被災&原発事故の福島で、悪性リンパ腫と闘いながら命の講演活動を続ける元教頭

ちょっと視点を変えるだけで考え方も生き方も変わってくる

取材・文●常蔭純一
発行:2013年2月
更新:2013年8月

  

三本杉祐輝(さんぼんすぎ ゆうき)元中学校教頭
1958年11月生まれ、54歳。福島県双葉町出身。2003年、富岡第一中学校教頭時代(45歳)悪性リンパ腫を発症。ドナー移植を含む3度の移植をするが、余命宣告もうけ自宅療養のため退職。原発事故で避難生活をしながら、「命の大切さや生き抜く力」を講演会等で伝える活動をする

原発事故のお膝元である福島県双葉町で中学校の教頭職として働いていた三本杉祐輝さん(54歳)。2001年に悪性リンパ腫を発症。その後も2度の再発を経験するが壮絶な闘病生活を体験し、厳しいがん再発の状況にあっても、三本杉さんは講演活動を続ける。彼を突き動かすものは、いったい何なのか。

生命の尊さを伝えたい

2011年3月の東日本大震災から1年10カ月。復興への道のりは遠く険しい。今も多くの人たちが不自由な避難生活を強いられ心身両面で疲弊を募らせている。

当時、双葉町に住み、原発事故の影響で会津若松市へ着のみ着のままの避難を余儀なくされた悪性リンパ腫を患う元中学校教師の三本杉祐輝さんもその1人だ。

三本杉さんは現在、悪性リンパ腫の闘病、大震災の経験を通して感じ取った、命の尊さや、人との支えあいの大切さを福島に住む心の傷ついた子どもたちに伝えるため、“命の授業”と題した講演を学校や公民館で行っている。

「教育者としては恥ずかしい話だけれど、がんが見つかったばかりのころは何でオレがと、不条理を呪い、自責の念に苦しめられたこともある。でも闘病生活のなかで生命の尊さや、その生命を支えてくれる人のつながりの大切さを実感することができました。家族や長い教員生活で触れ合ってきた多くの教え子たち、それに友人、知人たちの支えがあるから、私は今、こうして命を保つことができている。そんな自分自身の思いを多くの人と分かち合えればと思って、活動を続けているのです」

避難先の会津若松市に取材に訪れた昨年9月、三本杉さんは治療の副作用で股関節が炎症を起こしており、満足に歩くことができない状態だった。

それでもなお、自らの体験を通して育んできた思いを伝えようと身体に鞭打ち続けている。それは自分の生きた証しを“思い”という形で子どもたちに残すために行っているのかもしれない。

ゴールの見えない持久走

三本杉さんとがんとの闘いは、壮絶な悪戦苦闘の連続だ。自身の言葉を借りると、ゴールの見えない持久走のようだ。

福島県富岡町の富岡第一中学校の教頭職として働いていた2003年に悪性リンパ腫が見つかった。

「最初は腰や足にしびれるような痛みがあることから坐骨神経痛ではないかと半年間、病院の整形外科を訪ね歩いた。でも異常は見つからない。そこで宮城県のがんセンターで生検を受けたところ、左足の脛骨の骨髄にがんが発見されたのです」

悪性リンパ腫との診断だった。

治療はR-CHOP療法と呼ばれる抗がん薬治療。8カ月にわたって受けた治療で、三本杉さんの症状も寛解し、職場復帰が実現した。

しかし、それから1年が経過したころ、今度は同じ左足の太ももの筋肉に痛みが現われる。がんの再発。今度は大量の抗がん薬投与の後に、自己末梢血による造血幹細胞移植治療が行われる。学校を休職して臨んだ2回目の治療は、10カ月にも及んだが、何とか再び寛解に持ち込めた。

だが、この治療が終了してわずか4カ月後に、また3度目の病魔に襲われる。もとの部位にがんが見つかった。がんセンターでは、もう治療の術がないと言われた。そして余命1年の宣告。さしもの三本杉さんも、気力を失いかけたという。

「それまではここでがんばって治療を受ければ、以前と同じように元気に学校に復帰できるという希望を持てた。しかし再々発のときには、効果のある治療法が見当たらず、見通しがまったくたたない状態だった。ゴールが見えず、自分はこれからどうなるのかと不安に苛まれたものでした」

R-CHOP療法=リツキサン(商品名)+エンドキサン(商品名)+アドリアシン(商品名)+オンコビン(商品名)+プレドニン(商品名)の多剤併用療法

4たび、がんと相まみえる

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3度目の再発時、抗がん薬治療の中で

しかし三本杉さんは、その絶望的な状況から、見事に自分を立て直す。

今度は東京の国立がん研究センターでセカンドオピニオンを受けたのだ。すると同センターでは「ドナー移植の可能性がある」と提案された。幸いなことに、同センターでの医師は宮城県がんセンターの医師と連絡をとりあってくれ、宮城県でその治療を受けられるようにしてくれた。

そして三本杉さんは、再々発が判明した5カ月後の2006年2月、ドナー移植による治療を受ける。もっとも前回の治療後、わずか4カ月で再発したケースでのドナー移植が成功した例は日本では皆無に近い。アメリカでも成功例は20例のうち、わずか1例にすぎなかった。しかし三本杉さんは、そのわずかな可能性に賭けた。

だが結果は、吉とは出なかった。

次は2週間に1度、血小板や赤血球の輸血を受けながらサルベージ療法と呼ばれる抗がん薬治療が行われた。これは効果がありそうな抗がん薬を順次、投与して反応のいい薬剤を選択する治療法だ。三本杉さんにはこれまでの治療経験でベプシドという抗がん薬が、効果があることがわかっていた。その薬剤にエンドキサンという抗がん薬を合わせて何とか急場をしのぐ。

そして、ドナー移植の前に採取していた三本杉さん自身の末梢血の移植が再び行われた。この治療が効果を現し、三本杉さんの容態は奇跡的に回復に向かう。

しかし、それもつかの間だった。2008年、三本杉さんは全身にかゆみを覚える。今度は全身の皮膚をがんが侵し始めたのだ。その後、抗がん薬治療を6クール行った後、治療らしい治療をほとんどしないうちに大震災に遭い、避難生活を強いられることとなる。

そんな死と隣り合わせの長く壮絶な闘病生活の中で、自らの人生を見据え、命の尊さを実感した。家族や教え子たち、さらに友人や知人への感謝の思いを募らせ続けた。

「自分が奇跡的に生かされているのは、他の人たちの支えがあってのことだと思い知らされました。教え子たちや友人たちの励ましがあるから、頑張ろうという気持ちになれた。現実的にも、輸血で他の人たちの血液をもらうことで命を長らえているのです。そう思うと自然に感謝の気持ちが湧き上がり、人と人とのつながりの大切さを感じずにはいられませんでした」

ベプシド=一般名エトポシド
エンドキサン=一般名シクロホスファミド

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