婦人科がんの体験を活かし、健康と美容の両面から患者さんをサポート

新たなことにチャレンジするきっかけはいつも病でした

取材・文●吉田燿子
発行:2013年3月
更新:2013年8月

  

岡村麻未さん (歯科医師・健康美容コンサルタント)

おかむら あさみ 1993年日本歯科大卒業。歯周病医として5年間勤務した後、35歳で子宮頸がんを発症し手術を受ける。1997~1998年ニューヨークで審美歯科や皮膚科、化粧品学を学び、ニューヨーク州のエステティシャン資格を取得。2000年に『キャシーズ・チョイス・フェイスケア・ラボ』を開設し、2005年化粧品の開発・販売をスタート。2006年乳がんを発症し、2007年にクリニックを閉鎖。『毛穴革命』(小学館)、『美人のお稽古』(幻冬舎)などの著書がある。2010年に『女性のがん支援センターHaNA』を立ち上げ、がん患者さんを対象に医療相談や医療コーディネートなどを行っている

子宮頸がん、乳がんと2度のがんを経験した岡村麻未さん。それでも、病気を乗り越えるたびに新たなことに取り組み、現在は、女性のがん患者さんを支える仕事をしている。度重なる病魔、過酷な闘病生活を経てもなお立ち上がらせるものとは。

35歳のとき子宮頸がんを発症


歯科医師時代の岡村さん

岡村さんが歯科医を志したのは、米国留学中の体験がきっかけだった。アルバイト先でペンシルベニア大の先生と知り合い、歯学部を見学に行った。そこで、医師と患者が一体となって治療に取り組む姿を目の当たりにして、岡村さんは感銘を受けた。

「アメリカでは矯正歯科の技術も進んでいる。口の中から健康と美容を見てみるのもいいのではないか」

現地での歯学部進学を考え始めた矢先、岡村さんは急性膵炎で倒れてしまう。受験勉強のスタートは京都の実家に戻り、療養しながらとなった。そして見事、日本歯科大に合格し、歯科医としての一歩を踏み出したのは1993年のことだった。

だが、仕事にも自信がついた1997年ごろ、岡村さんは再び体調の変化を感じるようになる。生理が重くなり、おりものの量が増えた。当時通っていた医大で検診を受けると、主治医はこう告げた。

「0期です。子宮頸がんであることは間違いありません」

子宮全摘を勧められたが、当時の岡村さんはまだ35歳。出産をあきらめるにはまだ早く、子宮を全摘すれば、結婚生活にも差し支える。手術して命が助かったとしても、その後の生活に支障が出るのは嫌だった。

「先生、円錐切除術はいかがですか。それで再発したら、全摘していただいてけっこうです」

提案は受け入れられ、1997年、円錐切除術が行われた。しかし、万事とどこおりなく、というわけにはいかなかった。麻酔事故に遭い、1日以上も目が醒めなかったのだ。この体験は、岡村さんの死生観に大きな影響を与えることとなる。

「手術の後、緑の液体の中にプカプカ浮かんでいる自分がいて、(ああ、気持ちいいなあ)と思いました。あのまま起きなかったら、ずっと緑の液体の中に浮かんでいたのかな、と……。人間って、はかない、これからは好きなことをしよう、と思いました。そのとき、『そうだ、ニューヨークに行こう』という考えが頭に浮かんだんです」

N.Y.で美容を学び銀座にクリニックを開院


2000年に、日本初のクリニック「キャシーズ・チョイス・フェイスケア・ラボ」を銀座に開院

もともと岡村さんにとって、歯科医になることが最終ゴールではなかった。次のステップでは美容を学び、いずれは化粧品も販売する医療美容スパを経営したい――というのが20歳で描いた夢の設計図だった。そのためにも、まずは皮膚のことを学ぶ必要がある。岡村さんは1997年に渡米し、1年半にわたって皮膚科や審美歯科の知識を修得した。ニューヨーク州のエステティシャン免許も取得し、全身の健康と美容、疾病予防、リハビリなどを総合的に学んだ。

その成果をもとに、2000年、銀座で「キャシーズ・チョイス・フェイスケア・ラボ」を開院した。ここに、肌と口腔、リハビリメイクの3本立てでフェイスケアを行う、日本初のクリニックが誕生したのである。

意気揚々とクリニックを開いてはみたものの、経営はけっして順風満帆ではなかった。患者さんがゼロという日が半年間続いた。だが、翌年4月、女性誌『トランタン』(婦人画報社)で紹介されたのを機に、クリニックの経営は軌道に乗り始める。口コミで取材や患者さんが増え、3年先まで予約で埋まってしまうほどの盛況ぶりだ。2005年には念願の化粧品販売事業にも乗り出した。

成功の秘密は、それまで日本では誰も着目していなかった「毛穴ケア」を打ち出したことにあった。毛穴の角栓を取り除けば、皮脂膜の働きで皮膚が弱酸性に保たれ、感染症やニキビを予防してくれる。その美容効果が口コミで伝わり、毛穴ケアは爆発的なブームを呼んだ。毎晩10時まで診療を行い、休暇がとれるのは元旦の1日のみ。

無理を重ねるうちに、次第に体が悲鳴をあげていった。

「なぜ無理をしたかというと、『自分には時間がないかもしれない』と思ったからです。20代のころから原因不明の関節炎に悩まされ、子宮頸がんの手術でも麻酔で失敗した。その経験から、『普通の人よりも寿命が短いのではないか』と感じていたんです。だから、自分がやりたいことをするには、他人の5倍は努力する必要がある、と思っていた。ストレスが蓄積していることに気づかないまま、無理を重ねていたんです」

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