無理はしない。できることからする。子宮頸がんを乗り越えよう! 子宮頸がんの手術から復帰した女優・古村比呂さん

取材・文●「がんサポート」編集部
撮影●向井 渉
発行:2013年9月
更新:2018年10月

  
古村比呂さん

こむろ ひろ
1965年北海道生まれ。1985年、北海道のローカル番組出演中に放送作家の景山民夫氏にスカウトされ上京。クラリオンガール準グランプリに選ばれる。1987年NHK朝のテレビ小説「チョッちゃん」のヒロインを務め一躍人気女優に。現在、女優として活動を続けるほか子宮頸がんの正しい知識や検診の啓発に努めている。

1980年代のアイドル全盛時代に北海道でスカウトされ、上京した古村比呂さん。慣れない生活に戸惑いながらも、NHK朝の連続テレビ小説「チョッちゃん」のヒロイン抜擢で一気に花開いた。充実した女優生活を送っていたが、46歳で子宮頸がんが見つかった。乗り越える原動力は何か。

アイドルとしてのデビューから女優に脱皮し、テレビに舞台にと活躍の場を広げていた古村比呂さんは、一昨年2011年の冬、思いがけないハードルが目の前にあることに気づいた。子宮頸がんの告知。デビューから無我夢中で走ってきて17年、自分の体と真剣に向き合わなくてはならなくなった。

「初めはひとりで抱え込んでしまいました。しかしだんだん、みんなに私の思いを含めてすべてを話したくなった。いい反応もそうではない意見も、がんに向き合う原動力にしようと思ったんです――」

19歳でスカウトすぐに上京

北海道江別市出身。

「いなかでしたから……」

と、振り返るように“のどかな”高校生活を送っていた。誘われるままに地元テレビ局のバラエティ番組に出てから、人生が変わった。東京からゲストとしてやってきた芸能関係者の目に留まり、いつの間にか「東京に来ないか」という話につながった。

「時代が時代でしたからね。日本経済も右肩上がり。東京で女優にならないか? 芸能界に興味ない? って感じで話はトントン拍子に進みました」

古村さんは19歳で東京に出た。与えられたマンションの部屋で一人暮らしを始めたが、数日で体調を崩した。

「『水』が合わずに体調を崩しました。外食が続いたこともあり、1週間で顔がむくんできました。これは大変だと気づいて、自分で食事を作るようにしました」

北海道では、母親の作る“自然の味”を食べていた。豚汁、肉じゃが、焼き魚……。それを思い出して自分で料理をして食べるようになると、健康状態はすぐに回復した。

「あ、こんなに食べ物は影響するんだな、と食べ物の大切さに気づきました」

アイドルは苦手女優として開花

芸能界入りしたころの古村さん

“アイドル”としての役回りは、古村さんにさらなる負担をかけた。

「アイドルは苦手でした。歌やイベントなど、イヤでイヤで悩みました。人前でつくり笑いをしたり、アイドルに求められるコメントをするのが嫌いだったんです。どうしようかと悩みました」

古村さんは「役者をやりたい」という自分の気持ちに行き当たった。そんなころ、NHKの朝の連続ドラマのオーディションがあった。トライすることにした。

オーディションで課せられたのは、歌とパフォーマンスだった。

「受験者には演歌歌手もいました。私は歌が苦手なので、自作自演することにしました。だれが聴いてもわからないから。内輪の仲間でやっていたミュージカルの恋愛の歌を歌いました」

その個性と度胸の良さでみごと、オーディションに合格した。出演したのは、黒柳徹子さんの母親をモデルにした「チョッちゃん」だった。

「若かったので、気持ちも体力も充実していて役割を果たすことができました。1回だけ風邪をひきましたが、撮影に影響するようなことはなかった」

その後も、数々の人気ドラマに出演し、人気女優の地位を築いていった。何の問題もなくやってきた。

外国ロケ前ついでに受けた検査

ナミビアでのテレビ番組ロケ(2011年12月)

2011年も押し詰まったころ、テレビの仕事で、アフリカのナミビアに行くことになった。外国には何度も行っているが、東京に出てきたときのように、水が合わないと、腹痛を起こすことが多かった。このときも「何かあったら嫌だな」と軽い気持ちで、予防薬をもらおうと近くの産婦人科に行った。

腹痛対策の薬を処方してもらった後、看護師がふと言った。「子宮頸がんの検診をしてみませんか?」

3人目の子どもを産んでから婦人科の検診はしていなかった。生理は規則的で不正出血もなかった。

「婦人科系の病気に意識はありませんでした。何かあったら体が教えてくれると思っていましたから」

看護師の言葉に少し躊躇はあったが、「すぐに終わるので、ついでだから」とさらに勧められ、「せっかくの機会だからやってもらおう」と、そのときに受けた。2週間後に結果を聞きに来るように言われた。

次に医院を訪れたのは、ナミビア出発の前日、12月14日だった。そこで待っていたのは、がんの疑いのある精密検査の宣告だった。

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