前立腺導管がんの治療法の発明は「撰難楽」の精神で 治療法が確立されていない導管がんになった発明王・ドクター中松博士(86歳)

取材・文●吉田健城
撮影●村山雄一
発行:2014年10月
更新:2018年3月

  

なかまつ よしろう(サー・ドクター中松)
アメリカ科学学会で歴史上の5大科学者(アルキメデス、キュリー夫人、ファラデー、テスラ、ドクター中松)に選ばれた。1928年東京生まれ。東京大学工学部・法学部卒。工学博士、法学博士、理学博士、医学博士、人文学博士。ロサンゼルスの大学でドクター中松創造学部設立。発明件数はエジソンの1,093件を超え、3,500件で世界第1位。代表的な発明に灯油ポンプ、フロッピーディスク、ハードディスク、カラオケ、自動パチンコ、フライングシューズなどがある

前立腺導管がんは、前立腺がん全体の1%に満たない極めて珍しいタイプのがんである。最大の特徴は、通常の前立腺がんと違いPSA(前立腺特異抗原)値の上昇が見られないケースが多いことだ。しかも希少がんであるため、標準治療が確立されていない。世界的な発明家として知られるドクター中松氏(中松義郎博士)が、この厄介ながんと診断されたのは今年(2014年)2月のことだった。


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発見のきっかけは大腸の検査

導管がんは、PSA値が低く症状が出ないので、医療機関を受診して見つかるケースは少ないが、中松博士の場合は別な部位の検査を受けた際、偶然に偶然が重なって発見された。

発見のそもそものきっかけになったのは大腸の検査だった。

「2008年に総合病院でS状結腸にできたポリープを内視鏡で切除しました。そこで、昨年末に5年経過したので、傷跡を検査しようと思いました。CT画像を見た医師が、『リンパ節が腫れている。S状結腸かどこかにがんがあるのではないか』と言ったのです。実は、あとで専門医に見せたらそれはただの血管で見誤ったのですが、そのときはリンパ節が腫れているということで、まず大腸のがんを疑い、内視鏡で丹念に調べました。しかし、何の異常も見つかりませんでした」

医師は前立腺がんの可能性は低いと見ていた。なぜならPSA検査の数値が4.0ng/ml台で、通常10.0ng/ml以上でがんの可能性がある程度出てくるからだ。

中松博士自身も医学博士なので、前立腺がんではないと思っていた。

「とくに前立腺がんに関しては、以前から警戒し、PSAの検査をして、これまで数値もずっと正常値でしたし、その日の検査で出た数字も4.0ng/ml台で正常値の誤差の範囲内でしたから、がんではないと思いました」

中松博士は「生検をしたらどうか」と担当医が言っていないことを提案した。完全主義者の中松博士は、受けてはっきりさせたかったのである。

こうして偶然受けた生検だったが、結果は思いもよらぬものだった。

「12カ所から採取した組織のうち2カ所から、グリソンスコアが8という顔付きの悪いがんが見つかりました」と担当医から報告を受けた。2005年、中松博士は米ハーバード大学で「人の寿命は最大144歳まで可能」という論文でIgノーベル賞栄養学賞を受賞したのだが、がんという思いもよらぬ伏兵が潜んでいたのだ。

Igノーベル賞=「高い理性とおもしろさを兼ね備えたハイレベルな研究」に対して授与される賞。米ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学のノーベル賞受賞者の教授連が審査委員を務めるアカデミックな色彩の濃い賞。医学賞など各部門に分かれており、栄養学賞はそのうちの1つ

がんを抱えながらの都知事選

当時、大学の講義などでアメリカにいた中松博士は、都知事だった猪瀬直樹氏が、徳洲会グループから5千万円の不明朗な資金提供を受けていた問題で辞意を表明したので、急遽都知事選に立候補するため帰国することになった。

がんを体に抱えた身で都知事選に打って出たのは、海軍の偉大な先輩の遺言を律儀に守り続けているためだ。

その先輩とは藤村義朗海軍中佐である。藤村中佐は大東亜戦争の昭和20年5月にスイスに駐在し、米国との終戦交渉を行ったことで知られる人物。中松博士は藤村中佐から弟のように可愛がられ、大きな影響を受けた。その藤村氏が死の床で「君が総理大臣になって日本を立て直して欲しい」と言い残して亡くなったことが、原点にあるのだ。

今回の都知事選でも中松博士は、がんに悪い冷え込みが厳しい中、精力的に遊説を続けた。大吹雪となり他候補者がすべて演説を中止したのにただ1人、最後までマイクを握り、タイムリミットの夜8時まで律儀に演説を通した。

治療法を求めてあらゆる病院を訪問

「選挙戦が終了して、直ちに日本で5本の指に入る専門家であるT病院のS医師を生検プレパラートを持って訪ね、顕微鏡で見てもらったんです。その結果、導管がんという治療法がないがんであることがわかりました」

権威あるS医師の説明によれば、導管がんは希少がんで、確立された治療法がなく、放射線治療は効かず、最新のロボット手術「ダヴィンチ」も使用できず、従来型の全摘手術でもだめだと言われた。なぜなら、「ダヴィンチロボット手術は、頭を水平より30度下げた姿勢を4時間保たねばならないため、中松先生が86歳なので緑内障になるのでダヴィンチは使えません」との御宣託だった。

そこで中松博士は、先端治療を受けられる医療機関を20くらいリストアップし、その全てに自ら足を運んで治療法を探した。

「国立がん研究センター東病院や筑波大学附属病院などでは、陽子線による治療はどうか尋ねたのですが、導管がんの症例がほとんどないので、それで治癒するかどうか、確かなことは言えないということでした。陽子線より強力とされる重粒子線の可能性も探るため、放射線医学総合研究所の重粒子医科学センターにも行きましたが、導管がんの症例は2例しかない上、いずれも成功していないということでした」

結局、どこを訪ねても解決策を見出すことができず、現状では導管がんの治療法がないことを思い知らされた。

他にも母校のT大学病院で30年間がんを研究したN医師から「先輩、がんを治療しすぎて副作用や後遺症が出てつらい思いをするということがあります。創造が出来なくなっては元も子もないのでは?」と言われた。

常に難しい道を選択

世間一般の高齢者なら、この助言を受け入れただろうが、中松博士は「撰難楽せんなんらく」が座右の銘で、難しい道とやさしい道があれば、常に難しいほうの道を楽しんで克服してきた人である。不治のがんという大敵に直面して、闘わずして白旗を揚げることは中松博士の生き方に反することだった。

そこで中松博士は余命2年の来年までに何をなすべきかを計画立案をしたのだ。

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