思いのほか進行していた病。それでも彼は、這い上がってきた 42歳の若さで浸潤性膀胱がんと激戦を強いられた元世界ミドル級王者の竹原慎二さん(43歳)

取材・文●吉田健城
撮影●向井 渉
発行:2015年3月
更新:2018年3月

  

たけはら しんじ
1972年広島県出身。中学卒業後、プロボクサーを目指して88年に上京。89年にプロデビュー。1995年、無敗のまま24戦目で世界初挑戦し、見事日本人初のミドル級世界王座を獲得。引退後はタレント活動の傍ら、元ライト級世界王者の畑山隆則氏と「竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム」を立ち上げ、経営者として手腕も発揮している

「ここまでいったらもう駄目だろう、死ぬんだろうなと思いました」膀胱がんがリンパ節転移していた事実を突き付けられた、元プロボクサーの竹原慎二さんは、当時の心境をこう振り返る。精神的にどん底まで追い詰められた元世界チャンピオンは、どうやってその状況から這い上がることができたのだろう。

頻尿、下腹部の激痛、血尿…

昨年12月に行われた「竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム」所属の上林巨人選手の試合にて。左から2人目が畑山隆則さん

ボクシングのミドル級は人気のある階級の1つで選手層も厚い。そのため日本人のボクサーからミドル級王者が誕生する可能性はほとんどないと思われてきた。それをやってのけたのが竹原慎二さんである。95年12月、竹原さんは23勝無敗の成績を引っ下げてWBAミドル級王者ホルヘ・カストロ(アルゼンチン)に挑戦。第3ラウンドにボディブローでダウンを奪い判定勝ちで日本人初のミドル級王者になった。

引退後、竹原さんはタレント活動を開始。バラエティ番組などで人気を博す一方、元ライト級世界王者の畑山隆則さんと「竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム」を立ち上げ、経営者として手腕も発揮するようになる。その竹原さんの体に異変が起きたのは、2013年1月のことだった。

最初は頻尿だった。知り合いの内科医のクリニックを訪ねたところ膀胱炎が疑われ、抗生物質を処方された。しかし2週間ほど服用してもよくならないので、再度同じクリニックに行ったところ、別の薬を処方された。この薬も効かなかったので、クリニックの医師の紹介で、大病院の泌尿器科でも診てもらったが何も見つからなかった。

その後夏場には、からい物を食べたりすると排尿の際、局部に激痛が走るようになった。このときも前出のクリニックで診察を受け、薬を処方されたが、あまり効いていないような気がした。

「局部は常に痛むのではなく、しばらく痛みが出ないこともあるんです。痛みが出ないときは薬が効いているような気もするけれど、痛みが出てくるとやっぱり効いていないのでは、と思うことの繰り返しでした」

膀胱がんが見つかる直接のきっかけになったのは、その年(2013年)の大晦日に尿から出た鮮血だった。

年明け早々の1月6日、竹原さんはクリニックの医師から紹介された総合病院を訪ねた。このときはエコー診、採尿などが行われ、採った尿はがん細胞の有無を調べる尿細胞診にも回された。

尿細胞診の結果からがんが発覚

再度、真っ赤に染まった血尿が出たのは2月1日のことだった。尋常ならざるものを感じた竹原さんは、正月明けに診察を受けた総合病院の泌尿器科医師に電話を入れて、真っ赤な血尿がまた出たことを話し、2日後に診察を受けた。

診察室に入った竹原さんは医師から予期せぬことを伝えられた。1月6日に採った尿を尿細胞診に回したところ、がんの存在が強く疑われる「クラス5」という判定が出ているというのだ。

「がん?」「ええ、膀胱がんです」

竹原さんはその言葉に愕然とした。

「頭が真っ白でした。42歳でがんになるなんて、えっ、ウソだろうという感じでした」

医師から、がんの大きさや位置を知るには膀胱鏡検査を受ける必要があると言われ、竹原さんはすぐに検査を受けた。しかしこのときの検査では、腫瘍は確認されなかった。とはいえ、尿細胞診でがん細胞の存在がわかっている以上、体の中にがんが潜んでいることは間違いない。そこで膀胱鏡を使って組織を採取する手術をひと月後に受けることになった。

帰宅した竹原さんは、奥さんにがんを告知されたことを伝えた。ショックを受けた奥さんは、それを機にがんのことを猛勉強するようになった。それは竹原さんも同じだった。竹原さんはすぐさま治療を受けたいと、医師にかけ合って膀胱鏡検査の日程を2週間繰り上げてもらい、手術に臨んだ。

病理検査で浸潤がんと判明

手術は全身麻酔で行われた。麻酔から覚めたあと、竹原さんは担当の医師から大きさ2.5㎝の腫瘍が見つかり、切除したことを知らされた。また、病理検査の結果を見ないとはっきりとしたことは言えないが、恐らく浸潤がんで膀胱摘出の可能性が高いことを告げられた。

それから竹原さんは膀胱がんの全摘手術と尿路再建法(新たに造らなければならない尿の通り道や出口の術式)の勉強を始めたが、調べれば調べるほど暗くなった。

手術から2週間後、竹原さんは担当の医師から病理検査の結果を知らされた。

「ダメでした」

医師はそう言って浸潤がんと判定されたことを伝え、治療方針として、抗がん薬を4クール行ってがんを小さくしてから膀胱を全摘し、ストーマをつける治療法を提示した。ストーマとは、尿を排泄するために腹部に造設する排泄口のことである。

全摘が避けられない場合、竹原さんは傷口が小さい、「ダヴィンチ」によるロボット手術で行いたいと考えていた。また尿路の再建法に関しても、回腸導管と呼ばれるストーマをつける術式ではなく、腸を使って膀胱の代わりの袋(新膀胱)を造り、尿道につなぐ新膀胱造設術を希望した。この新膀胱造設術だと尿道から排尿できるので、お腹にストーマをつける必要がないからだ。

ロボット手術のことを医師に尋ねると、前立腺がんでは行っているが、膀胱がんは従来の開腹手術で行っているという。

医師からひと通り話を聞いたあと、竹原さんは、セカンドオピニオンとサードオピニオンを取ることにした。

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