【特別編】

「がん哲学外来」開設10年。「病気であっても病人でない」社会をめざして 順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授の樋野興夫さん

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2018年1月
更新:2018年1月

  

ひの おきお
1954年島根県生まれ。順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授、医学博士。一般社団法人がん哲学外来理事長。米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェイスがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部部長を経て現職。2008年1月「がん哲学外来」を開設、現在では「がん哲学外来&メディカルカフェ」を全国で展開中。『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)『がん哲学外来へようこそ』(新潮新書)、『いい人生は最期の5年で決まる』(SB新書)など多数

順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授の樋野興夫さんが2008年1月「がん哲学外来」を開設して10年。

現在、全国各地140カ所に広がった「がん哲学外来&メディアルカフェ」にはがん患者さんが諸々の悩みを抱えて連日訪れている。樋野さんは何故「がん哲学外来」を開設するに至ったのか。

医者を志した原点

僕が生まれ育ったのは、島根県出雲市大社町鵜峠(うど)という日本海に面した漁村です。子供の頃、僕は体が弱くてしょっちゅう高熱を出していたのですが、鵜峠は無医村でしたから、母はそのたびに僕をおんぶして、峠のトンネルを通って隣村の診療所に歩いていくんです。子供心にも、村に医者がいてくれたら、母がこんな大変な思いをしなくてもすむのにと思いました。三つ子の魂百までと言いますが、それが医者を志す原点です。

僕は何もない田舎で育ってよかったと思っています。学校の授業が終わると、1人でいることが当たり前で、海辺や家の裏手の山に行って瞑想にふけっていました。

少年時代、孤独に甘んじながら考えるという体験をしていなかったら、「我思う、ゆえに我あり」という人間にならず、「がん哲学外来」ということも思いつかなかったと思います。

がんは病気というよりは個性に近い

病理医になったのは、患者と話さなくもいいからです。僕は島根の田舎のほうで育ったから出雲訛りが強くて、大学に上がった頃は、僕が喋ってもみんなわからないんですよ。そうなると言葉にコンプレックスを感じてしまうので人と話したくなくなる。病理医は顕微鏡で細胞を見てればいいから、まあ、僕に合ってるな、と思いました。

病理医になってよかったと思うのは、がんを、細胞をマクロからミクロに見ていくので、がんを幅広い視点で見ることができるようになったことです。

病理医は、顕微鏡をいつも同じ倍率で見ているわけじゃないんです。初めは40倍くらいで全体を俯瞰(ふかん)するんです。それから、がんがあると思しきところを200~400倍で詳しく見ていきます。はじめから200~400倍で見ないのは、そうするとみんな悪い細胞に見えてしまうからです。がんかどうかの判定は、全体像から1つひとつの細胞までつぶさに見てからでないと、決められないものなんです。

病理医として、38年間がんを見てきてわかった重要なことは、がんは病気というよりは個性に近いということです。感染症は全身を冒すけど、がんは体の1部に生じるだけです。はっきりした外敵の侵入によって起きるのではなく、自分自身の細胞のDNAが傷つくことによって起きるので、予防では防げない。誰にでも起こりうるものなので、病気ではなく、単なる個性として捉えたほうがいいのです。

病理医が、がん患者と向き合うきっかけ

「八方塞がりでも、天は開いている」

日頃患者に接することのない病理医の僕が、患者のために「がん哲学外来」を開設したいという思いを強くしたのは、アスベストによる中皮腫(ちゅうひしゅ)がたくさん発生し社会問題になった2005年のことです。このとき僕が勤務する順天堂大学医学部付属医院が全国に先駆けて「アスベスト・中皮腫外来」を開設することになり、僕も病理医ですが参加することになったんです。

僕は、1995年に中皮腫の発生を早期に血液診断できるマーカーERCを開発していましたので、それを使って早期発見に努めたのですが、中皮腫になれた医師が少なかったので、僕が患者への問診と、中皮腫についての説明も担当することになったのです。

患者は外来待合室で診察待ちの時間があるので、それを利用して1人30分ぐらいやったんですが、不安と持っていきようのない悩みを抱えた方ばかりでした。そうした声にじっくり耳を傾け、1つひとつ自分なりの言葉で対応していった経験は、かけがえのない財産になり、「がん相談室」の原点になるのです。

その3年後の08年1月に「がん哲学外来」が開設されたのは、07年4月に施行されたがん対策基本法が結果的に大きな追い風になったからです。

がん対策基本法の施行で、全国のがん拠点病院は「がん相談支援センター」を開設することになり、僕たちの病院(順天堂大学医学部付属順天堂医院)にも新設されたのですが、なかなか人が集まらなかったのです。

院長や事務長に「何かいい考えはないか?」と問われたので、「がん哲学外来」を提案したら、ゴーサインが出たんです。2年前はあっさり却下されたので、急激に流れが変化していることを感じずにはいられませんでした。

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