手術を拒否し、「生涯現役」にこだわる男 前立腺がんと闘い続けたプロゴルファー・杉原輝雄の6年間
1937年6月14日、大阪府茨木市生まれ。中学卒業後、茨木カンツリークラブに入社し、今でいう研修生となって腕を磨き、20歳でプロに昇格。1962年、最高峰の日本オープンで初優勝を飾ったあと、コンスタントに勝利を重ね、国内外で通算61勝を挙げている。長男の敏一氏もツアープロ。
ゴルフファンお馴染みのベテラン・プロゴルファー杉原輝雄が、医師からがんを宣告されたのは60歳の時だった。だが、杉原はあえて手術という選択を避けた。それは「生涯現役」にこだわり続ける勝負師としての杉原の生き様があるからだ。
“可能性あり”の助言から生検まで、半年がたっていた
杉原が前立腺がんを宣告されたのは1998年12月のことだった。細胞を取り出して行う生検で確認されたのだ。
杉原は言う。
「がんが見つかったのは、たまたま親しい友人が、私が前立腺肥大に悩んでいるのを知って、千里のTクリニックを紹介してくれたからです。検査を受けたところ、前立腺がんの疑いがあるということで、細胞をとって調べることになり、その結果、やはり前立腺がんだということになったわけです。驚いたというよりは、やっぱりそうかという感じでしたね」
これだけ聞くと、たまたま紹介された病院で検査を受けたら、前立腺がんの疑いがあるといわれ、スムーズな流れで前立腺がんが見つかったように聞こえる。
しかし、医師の話を聞くと、どうもそうではないらしい。Tクリニックの院長は、「前立腺肥大の検査で血液検査などを行った結果、前立腺がんである可能性が高くなったので、別の検査(生検)を受けるよう何度も連絡したのに、ずっと音沙汰なくて、半年くらいして、ようやく来てくれた」と語っている。
半年も来なかったのは、察するに、自分自身、がんに違いないと思っていたものの、それを受け入れる準備が出来ていなかったのではないだろうか。
もし前立腺がんと宣告されれば、生涯現役の夢が潰えてしまう可能性が高くなる。まさに藁にもすがる気持ちだったに違いない。
「最初から手術を受ける気はまったくなかった」
予想どおり、杉原は医師から前立腺がんであることを告げられた。しかし、がんが比較的初期で、質の悪いタイプのものでもなかったので、医師は外科手術によって患部を摘出する方法と、ホルモン療法で患部の拡大を抑制していく方法があることを詳しく説明した。そのうえで、杉原に家族とも相談してじっくり考えてから決めるよう求めた。
ホルモン療法というのは、がん細胞増殖の原因となる男性ホルモンを、薬剤によって抑える方法で、ステロイド性、および非ステロイド性の抗男性ホルモン剤、LH―RHアナログ剤などが用いられる。現役を続けることしか頭にない杉原にとって、選択肢はこれしかなかった。
「最初から手術を受ける気はなかったですね。手術すれば完治する可能性が高いと言われても、クラブが振れるまでに3カ月かかるということでしたから、それはできんと思いました。まだ50歳くらいだったら、手術する気になったかもしれませんけど、60になっていましたからね。そんな悠長なことしておられんという気持ちでした」
こうして、杉原の前立腺がんと付き合いながらのラウンドが始まった。
勝負の世界で「闘争心」を失ったらやっていけない
前立腺がんとトーナメントプロ。この二つを両立させるのは至難の技といっていい。なぜなら、トーナメントプロにとって男性ホルモンは必要不可欠な存在だからだ。プロゴルフは、あまたあるプロスポーツのなかでも、数少ない賞金稼ぎ型の競技である。これほど狩猟社会的な競技はないといっていい。
それを支えるのは、男性ホルモンが作り出す闘争心であり、その並外れたパワーの源泉にあるのも男性ホルモンだ。しかし、前立腺がんにとって、男性ホルモンはがん細胞を増殖させる。絶対に抑え込まなければならないターゲットである。杉原にとって、優先しなければならないのはこちらのほうだった。
ところが、そのうちゴルフのプレーに大きな影響が出始めた。抗男性ホルモン剤を投与することは、薬剤によって、いわば去勢状態を作り出すことに他ならない。以前は、前立腺がんの手術といえば、睾丸の摘出手術がメインだったことからも分かるように、前立腺がんは去勢状態に置くのが一番いいのだ。
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