仕事をしながら療養する
会社の配慮による勤務時間短縮や配転で「人を癒やす仕事」を継続

取材・文:菊池憲一 社会保険労務士
発行:2010年8月
更新:2013年4月

  
細谷真実さん 細谷真実さん

細谷真実さん(56歳)は、専業主婦だった44歳のとき、乳がんで右乳房を切除した。「人を癒やす仕事」を目指して49歳で大手サロンに勤務。その直後、今度は左乳房の原発性がんを切除。1年後、さらに子宮と卵巣を失ったが、勤務時間短縮、柔軟な配置転換などの会社の配慮で、仕事を続けた。52歳で独立し、がん患者さんの心身を癒やすセラピスト()として活動する。

セラピスト=心理療法や物理療法など広い意味での治療を行う人

やりたいことがしたいと思った矢先、右乳房のしこりを発見

1998年の春。双子の息子が大学に進学。専業主婦だった細谷さんは「これからは自分のやりたいことをしたい」と思っていた。そんなとき、入浴中、右乳房にしこりを見つけた。43歳のときだ。大学病院の検査の結果、5ミリの大きさの腫瘍で、乳がんが疑われた。大切な胸を切除する気持ちになれず、治療をためらっていたところ、1年半後には大きさは5センチ、ステージ(病期)3Bの乳がんになった。

44歳のとき、右乳房を切除する手術を受けた。残ったのは右側の鎖骨1~2センチとその下の大胸筋の一部だけ。手術前、医師から、背中にチャックのある服はもう着られないこと、重いものを持たないことなどが伝えられた。

しかし、術後のリハビリを懸命にした結果、背中にチャックのある服も着られるようになった。入院は1カ月間。会社員の夫は毎日病室に来て、消灯時間までいた。入院費などは、夫と会社が対応してくれた。若いときに加入した民間の生命保険から、手術給付金約20万円、入院給付金1日約5千円が支払われた。

退院後、放射線治療を続けながら「長くは生きられない。自分らしく、悔いのない人生を送りたい」と強く思った。何のために生まれて、何を喜びと感じるのか、本当にやりたいことは何かを考えた。夫婦関係も考え続けた。そして、「人を癒やす仕事がしたい」と思い、整体やリフレクソロジー、アロマテラピーなどの学校に通い始めた。

夫とは別れた。仲よし夫婦だったが、考え方が違った。心に嘘をついて、表面をつくろうよりも、自分らしい生き方を息子たちに示したほうが、母親として大切だと考えた。息子たちも独立した。

大手サロンで働き始めた数カ月後、左乳房に原発性のがんが見つかる

03年、49歳のとき、念願の大手サロンに勤務。デパート内の店舗で働き始めた。スタッフは10名。11時から20時まで。帰りに足が動かなくなるほどハードだった。勤務して数カ月後、今度は、左乳房に原発性のがんが見つかった。医師から「悪性度が高く、拡大手術もやむを得ない」と言われた。勤務したばかりで、会社に伝えるべきかどうか迷った。店舗のスタッフは子宮筋腫の治療で休む人が多かった。そこで、副店長に「子宮筋腫の治療をしたい」と申し出た。

入院は2週間。非浸潤性乳管がん()でリンパ節転移なし。離婚したから、今度は、治療費を自分で支払わなければならなかったが、1回目の手術のときと同様、生命保険から手術給付金と入院給付金が支払われた。「すごく助かった」と言う。

手術後1カ月で職場復帰。最初の1カ月間は、会社と店長の配慮で、11時から17時までに勤務時間を短縮してもらった。その後、フルタイムに戻ったが、きつかった。

そこで、他の店舗への異動を願い出た。会社は、健康に配慮して、異動を受け入れてくれた。広くて、樹木に囲まれた気持ちのよい店舗だった。「2度の乳がんで、左右の乳房を失いながらも、他の店舗への異動のおかげで、仕事を続けられました」と言う。ところが、3度目の試練が待っていた。

左乳房の手術から1年後、子宮や卵巣がはれてきた。新生児の頭ほどの大きさになり、がんが疑われた。「生き方を変えて、自分らしく生きようとしても命は続かないのか」と落ち込んだ。睡眠不足の状態で仕事をこなした。苦しかった。

04年、50歳のとき、子宮が大きくなっていたため、悪性と想定し、子宮、卵巣をすべて切除する手術を受けた。病理検査で、がんではなかったが、左右の乳房、子宮、卵巣をすべて失った。入院は2週間ほど。

3回目の手術のときも生命保険が役立った。会社の健康保険から所得保障の傷病手当金も支給された。このときも、会社は働きやすいように配慮してくれた。最初の2週間は、終業時刻を18時に早めてくれた。その後は、12時~21時と、11時~20時の2つのシフトを交互にこなした。

お腹を切ったことは予想以上につらかったが、仕事は続けた。「誰かを癒やすことで、自分も魂が癒やされました。心を込めて施術すると、体が疲れていても心は満たされます。私が、元気になれたのは、自分のやりたい仕事を夢中になってやれたからです」と言う。

ただ、5年、10年と働き続けるには限界もある。自分の体力に合わせたペースでやれるようにしなければならないと思った。

非浸潤性乳管がん=乳管内のみで増殖し、それ以外の組織に浸潤していない乳がんの一種

自宅の「癒しのサロン」には、がんの患者さんも多く訪れる

06年1月、52歳のとき、自宅に念願の「癒しのサロンMamiy」(千葉県)をオープン。心と体を癒やすこと、1人ひとりに丁寧な施術をモットーに取り組んだ。施術室は、ヒーリング()アーティスト、画家Chieさんの作品「至高の愛」「Love2003」などの絵に囲まれている。細谷さん自身が、3回の手術、別れなどで精神的にへこんだとき、いつも励まされてきた絵だ。やわらかくて、あたたかくて、安心できる。

英国の女性薬剤師が創始したカラーセラピー法のオーラソーマも用いる。オーラは輝き、ソーマは身体や存在の意味。このセラピーは、施術を一方通行ではなく、双方向で行う。

利用者にはがん患者さんも多い。施術をしながら、自分の経験をまじえて、気持ちの切り替え方、生きるヒントなどを伝える。

「なぜか、このサロンにいらした多くのお客様が涙を流します。心の扉を開き、本当の自分に会える空間でありたいと思っています。私のすべての体験が、今の仕事に生かされています」と語る。

ヒーリング=心身を癒やすこと

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柔軟な配置転換
NHKのクローズアップ現代「がんとともに(2)“働き盛り”失業の不安」2009年7月28日放送で、がん患者さん1200名へのアンケート調査が紹介されました。「安心して働くには」という設問への回答(複数回答)は、柔軟な配置転換が42.8パーセントにのぼりました。がん患者さんの心身の状態を配慮した柔軟な配置転換も必要かもしれません

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