外からは見えにくい後遺症。社会的支援のはざまで不安を抱く患者家族のために 職場で、社会で、脳腫瘍治療後の後遺症を理解してほしい
脳腫瘍ネットワーク(JBTA)
副理事長の
田川尚登さん
脳腫瘍の治療後は、疲れやすさ、言葉の出にくさをはじめとした、実に多様な後遺症が現れる。患者さんは、後遺症によって生活がどうなるのかわからない、将来が見えない不安のなかにいる。加えて、これらの後遺症が周囲から理解されにくいため、社会復帰への障害となったり、そのことがさらに精神的な負担となる。患者さん家族が治療後を生きやすくするために、今、何が求められているのか。
脳腫瘍患者と家族を支援する患者会
脳腫瘍の治療による後遺症としては、知覚障害や視覚障害、聴覚障害、運動機能障害など、さまざまなものがある。とくに厄介なのが、高次脳機能障害により、言語や記憶、思考力の低下が起こりやすいという点だ。こうした症状は外からは見えにくいため、周囲の理解も得られにくく、それだけ患者さんの悩みも深いのが実情である。
こうした悩みを抱える全国の脳腫瘍患者さんと家族を支援するため、2006年にNPO法人脳腫瘍ネットワーク(JBTA)が発足。
患者さんや家族の交流の場であるホームページを開設し、メールによる医療相談や、年数回の交流会などを行っている。
さらに、脳腫瘍関連の学会にも積極的に参加し、患者さんの立場からさまざまな問題を提言。医療者の意識啓発に努めるかたわら、市民講座で一般向けの情報発信も行っている。
理解されにくい後遺症が社会復帰を阻む
脳は全身を制御し、生存にかかわるあらゆる活動を司る重要な臓器である。このため、脳にメスを入れる、あるいは放射線を当てるといった治療は、さまざまな後遺症を引き起こす引き金となる。
脳腫瘍患者を悩ませる問題の1つに、「後遺症のつらさが周囲に理解されにくい」ということがある。
脳腫瘍治療後は、気力が落ちたり、疲労やストレスを感じやすくなる患者さんが多い。
また、感情がコントロールしにくくなる場合もあり、そうすると、自己中心的な振舞いなど、社会不適応とみなされるような行動が現れることがある。
「『体がだるくて仕事を休みがちだ』、『満員電車で気分が悪くなり、通勤途中で電車から降りてしまった』という話もよく聞きます。
脳腫瘍の後遺症は一見わかりにいので、周りからは『怠けている』と受け取られることもあります。このため、職場でのいじめにも遭いやすく、患者さんが追いつめられて、うつを発症してしまうケースも少なくないのです」
脳腫瘍ネットワーク副理事長の田川尚登さんはこう語る。
なかでも、患者さんの社会復帰を阻む要因となるのが、高次脳機能障害だ。
これは、脳の損傷によって引き起こされるさまざまな症状で、記憶障害で物忘れがひどくなったり、注意力が散漫になって仕事に集中できなくなったり、思考や判断力が低下したりする(グラフ参照)。このため、仕事に支障をきたし、会社から配置転換を命じられたり、退職を勧告されたりするケースも跡を絶たない。
「働き盛りの人が治療後に直面するのが、『職場で病気のことを伝えるべきか否か』という問題です。正直に告白して職場の理解が得られればいいのですが、それが裏目に出ることも珍しくない。病気のことを告白した途端に、片隅に追いやられ、退職に追い込まれたケースも少なくないのです」
この先、自分はどうなってしまうのか
さらに、患者さんを苦しめているのが、将来に対する漠然とした不安だ。脳腫瘍の治療は、しばしば失語症や認知症、体の麻痺などの後遺症を引き起こす。このため、「自分はこの先、どうなってしまうのか」と不安に駆られ、脳腫瘍ネットワークのホームページにアクセスしてくる患者さんも多いという。
「会が主宰するセミナーのアンケートには、『主治医が忙しすぎて、外来ではなかなか相談に乗ってもらえない』『高次脳機能障害について身近に相談できる施設がない』『再発したが、今後の症状が知りたい』など、さまざまな声が寄せられます。他の患者さんや家族と悩みを共有すれば、不安も乗り越えやすくなる。ぜひ、交流会にも来ていただきたいですね」
その後の人生を左右する診断書の書き方
後遺症のため仕事ができない場合は、障害者認定を受ければ、最低限の生活は保障される。また、介護認定を受ければ、65歳未満でも介護保険を利用することが可能だ。
だが、ここにも落とし穴が潜んでいる、と田川さんは言う。
「脳腫瘍には種類が多く、介護認定の対象になる場合とならない場合があるのです。診断書に『脳梗塞』や『脳血管障害』などの記述を併記してあればいいのですが、それがないために、介護認定が受けられない患者さんも多い。もっと困るのは、医師の側がこうした事実をあまり知らないということです」
問題はそれだけではない。たとえば、子どものころに脳腫瘍の治療を受け、成人後に高次脳機能障害が現れたとしよう。こうした場合、認定を得るためには、20歳になった時点で「高次脳機能障害がある」という診断書を書いてもらう必要がある。それがないと、将来にわたって障害者手帳は交付されず、障害者年金を受け取ることはできないのだ。
「診断書の書き方1つで、患者さんの人生は大きく左右されてしまう。このため、会としても、学会への参加などを通じ、医療者向けの啓発活動を続けていきたいと考えています」
小児の症例を集積して治療法の確立を
現在、脳腫瘍の治療法としては、手術と放射線療法が主流となっている。だが、小児脳腫瘍の治療実績についてはデータも少なく、治療法も確立していないのが現状だ。
「小児脳腫瘍の場合、手術や放射線照射を適切に行わないと、成人後に高次脳機能障害を引き起こす危険が高い。ただその一方で、個人情報保護法の壁に阻まれ、全国に何人の小児脳腫瘍患者がいるのかさえわからないのが実態です。今後は早急に、統一された小児脳腫瘍の治療プロトコルを確立していく必要がある。研究を進めるためにも、小児脳腫瘍の拠点病院を定め、集中的に症例を集める体制づくりが必要です」
治療の成果を上げるという意味では、新薬導入のスピードアップも課題だ。
「グリアデル・ウエハー」という悪性脳腫瘍向けの化学療法インプラントだ。これは、抗がん剤を染み込ませたものを術中に患部に置いてがんを小さくする効果を発揮する。
脳腫瘍ネットワークは12年2月に、「グリアデル・ウエハー」承認を求め、厚生労働省に要望書を提出している。ドラッグ・ラグ解消のため、患者さんが声を上げる意味は大きい。
治療法の選択や後遺症の問題、さらに就労問題、介護や障害者認定に至るまで、患者さんの悩みは尽きない。世の中の偏見を取り除くためにも、会の活動を通じて、「脳腫瘍という病気に対する正しい知識と理解を広めていきたい」と田川さんは語る。
「医療者の方々に伝えたいのは、患者さんを1人の人間として尊重し、よりよい人生を生きるという視点で、治療やアドバイスをしていただきたいということです。とくに、子どもの患者さんに対しては、残り時間が限られるとしても、1人ひとりが楽しい時間を過ごせるような治療をしていただきたいですね」
自らも14年前に脳腫瘍で娘さんを亡くしたという田川さん。その言葉には、万感の思いがこもっていた。