がんのこと、生活のこと、患者さんが知りたい情報を1冊に
『患者必携』はがん患者さんを救う患者バイブルになるか
患者さんや家族の声を最大限に聞き、患者さんの目線を重視して作られているというが、果たして不安を抱えている患者さんにどこまで情報を届けることができるのか。
がんの療養生活に必要な情報を網羅したガイドブック
がんと知らされたすべての患者さんは、がんという病気のこと、これから変わるかもしれない生活についてショックや不安に苛まれている。
「病気についても、病気で生活がどう変わるかについても、それに対してどう対応するかも、全部わかる本があれば!」という患者さんの願いを体現したのが、国立がん研究センターがん情報対策センターが作成した『患者必携』だ。
「医療機関が配布する資料」と聞いて一般的に思い浮かぶのは、欲しい情報の一部が細切れに書かれた薄いパンフレット。しかし、『患者必携』をそうしたものと考えたらそれはちょっと違う。
見た目も優しく親しみやすいその資料は3種の文書からなる。『がんになったら手にとるガイド』は200ページを超え、『各種がんの療養情報』は病気ごとの分冊になっている。『わたしの療養手帳』には治療の記録やかかりつけリストが書き込め、自分の状態を把握するのに役に立つ。
がん患者の情報格差をなくせ! と基本計画に盛り込まれて
その全体を取りまとめている、『患者必携』の作成を担当した国立がん研究センターがん対策情報センターがん情報・統計部がん医療情報サービス室長の渡邊清高さんは、『患者必携』が作られた経緯をこう話す。
「2007年4月、がん対策基本法が施行され、同年6月にがん対策推進基本計画が策定されました。その中、『取り組むべき施策』の項には、『インターネットの利用の有無に関わらず、得られる情報に差が生じないようにする必要があることから、がんに関する情報を掲載したパンフレットやがん患者が必要な情報を取りまとめた患者必携を作成し、拠点病院等がん診療を行っている医療機関に提供していく』と書かれています」
国立がん研究センターがその制作を担当し、渡邊さんが中心となって『患者必携』は本格的に始動した。制作開始は同年6月。同じ月、患者・市民パネルが発足した。
「患者・市民パネルはがん対策応援団とも呼ぶべき組織で、患者さん、ご家族やご遺族、中には患者会の主宰者、そして一般市民の方が参加されています。全国から60名ほど(現在は100名)、がん種や地域による偏りがないよう、様々な立場の視点から協力をいただきました」
患者さんやご家族の意見を最大限に生かして制作
『患者必携』の制作には、この患者・市民パネルが全面的に協力している。
協力を要請した理由は、「医療関係者目線ではなく、患者さん目線による情報が必要だった」からだ。冒頭に書いたように、「病気についても、病気で生活がどう変わるかについても、それに対してどう対応するかも、全部わかる本」でなければ、患者さんの不安は消えないからだ。
「患者・市民パネルの皆さんには最初の企画段階から、内容はもちろん、構成や形態についても意見をうかがっています」
結果、読み物が欲しいという意見と書き込み式の手帳が欲しいという意見が同じくらい寄せられたため、「ガイド」と「手帳」を両方つくることになった。
限られた日程の中、患者・市民パネルメンバーや医療者に原稿チェックを受け、さらに、「たとえば治療費の話題であればくわしいソーシャルワーカーや保険会社の人にも聞く」といった進め方で、1ページに入った赤字(修正)が40~60カ所ということも。
「患者さんにとって思いやりのある記述かどうかを、チェックしていただきました」
それを幅広い範囲にわたる80名を超える専門家の意見を含めてとりまとめ、2009年6月『試作版』をホームページで公開した。そのための進行表を見ると、大きく張り合わせた紙に、各項目の入稿・編集作業スケジュールが細かい字でびっちり。
「さすがに、これは涙なしには見られません(笑)」
今でこそ渡邊さんも笑うが、その大変さは推測するにあまりある。
不安のない治療生活へ患者さんを導く内容に
『患者必携』の中心となる冊子、210ページからなる『がんになったら手にとるガイド』は、第1部「がんと言われたとき」、第2部「がんに向き合う――自分らしい向き合い方とあなたを支える仕組み」、第3部「がんを知る」からなっているが、1つひとつの記述がきめ細かい。
たとえば、第2部の第1章「自分らしい向き合い方を考える」には、「社会とのつながりを保つ」、「治療までに準備しておきたいこと」、「医療者とよい関係をつくるには」などの項目が並び、「経済的負担と支援について」にも大きく1章を割いている。目次のあとには「ガイドマップ」があり、目的別に引けるようになっていたり、末尾に詳細な用語集があったり。
『わたしの療養手帳』は第1部が「がんと診断されてから治療が始まるまで」、第2部「入院治療の記録」、第3部が「療養生活の記録」、第4部「治療ダイアリー」となっていて、自分で治療を整理して記録できる。
いずれも、情報をただ掲載するだけでなく、「こうなったらこうしましょう」といった具体的な記述を心がけ、患者さんが行動しやすいようにした。結果、患者さんやご家族が使いやすいだけでなく、医師とのコミュニケーションにも役立っている。「お金のことや介護のことまでわかっていい」と医療関係者にも喜ばれている。
すべてのがん患者さんにがん情報を届ける道のりは長い
好評を得ている『患者必携』。完成したとはいえ、現在、実際に冊子の形で患者さんに提供できてはおらず、患者さんは「がん情報サービス」のホームページ上からダウンロードするしか入手方法はない。患者さんには、パソコンやインターネットの苦手な高齢者も多い。
「パソコンでの閲覧・印刷のほかに、携帯電話でも『がんになったら手にとるガイド』をごらんいただけます。冊子体として印刷したものを入手できるように検討を現在進めているところです」
また今後は地域での療養に必要な情報の提供の取り組みも必要だと渡邊さんらは考えている。
「今回、試作版として各県で先駆的な取り組みをされている協力者の方を中心として、茨城・栃木・静岡・愛媛の4県について『地域の療養情報』という小冊子を作成しました。ですが地域の情報については、例えば緩和ケアや在宅の施設に関する情報の収集体制、独自の取り組み、支援制度などは、それぞれの地域で異なっています。そういった地域密着型の情報は国では収集が難しいので、地域ごとに独自の工夫を盛り込みながら、収集、管理更新、活用される冊子が整備されていくことが望ましいと考えています。都道府県など、地域が主体で情報を収集したり、活用するといった取り組みにつながれば、よりよい地域のがん医療に向けた連携や協調のきっかけになると思います。」
また、「たとえば特定の治療レジメンに関する治療情報を、製薬会社が作成したり、患者会がより生活に密着した視点で支援情報を『患者必携』と同じA5サイズや2穴形式で作るといった動きが広がれば、1人ひとりの病状にあった病気情報、生活情報、地域情報、病気の記録を、バインダーに綴じて『患者必携』と一緒に情報の共有ツールとして活用できるのでは」としている。
さまざまな患者さんに合わせた情報を届けたい
今後は、さまざまな患者さんに対応できるような関連コンテンツの作成も考えたいという。
「診断されて間もない患者さんと、再発した患者さんが欲しいと思う情報は同じではありません。たとえば終末期のケアや家族向けの対応を含めた情報ツールなど、どこまで情報を入れるかが議論されましたが、すべての患者さんの状況に対応した情報を分厚い1冊の冊子にまとめることは限界があります。今後は再発患者さん向け、家族向けのコンテンツなど、さまざまな患者さん・ご家族のニーズに対応できるような情報も作っていきたいと考えています」
『患者必携』の作成は、国が目指すがん情報格差の解消に向けての最初の1歩。
「今後も患者さん、国、がんセンター、都道府県、地域の医療機関や企業など、みんなで対話して、望まれる情報提供に向けた取り組みを進めていきたい」
渡邊さんの多忙な日々はまだまだ続きそうだ。