若くて元気に見えても、
立ちくらみ、貧血症状、筋けいれんなどで苦しんでいる人たちがいる
「車内弱者」って知っていますか? 席を譲ろう運動

取材・文:松沢直樹
発行:2009年10月
更新:2013年4月

  
写真:橋本明子さん
特定非営利活動法人血液情報広場
つばさ代表の橋本明子さん

“車内弱者”といっても、この言葉に馴染みのある人はあまりいないかもしれない。電車内における弱者、つまり、外見や年齢には関係なく、がんなどの病気などのために車内で立っているのがつらい人たちのこと。彼らをサポートするために、「車内弱者プレート」を社会に浸透させようと、あるプロジェクトが起ち上がった。


橋本明子さんを代表とする「特定非営利活動法人血液情報広場つばさ」は、94年5月から、血液の病気に向かい合う患者さんやご家族のサポートを続けてきた団体。

血液の病気は治療が長く、疾患と治療の理解も難しい。つばさは情報提供活動から始め、97年からは電話相談も運営。現在は、電話相談の対象を血液がんから全がんに広げ、不安や悩みについてのサポートや治療情報の提供を行っている。

通院治療が可能になり新たなつらさが生まれた

写真:NPO法人血液情報広場・つばさ定例フォーラムで

2009年7月25日、NPO法人血液情報広場・つばさ定例フォーラムで、「車内弱者プレート」の必要性を訴える橋本さん

同団体が必要性を感じ、新たに発足させたのが「車内弱者プレート」の普及プロジェクトだ。

「交通機関の中では、見た目や年齢に関係なく、座って移動する必要がある通院治療中の患者さんがいます。がんの方だけでなく、内臓障がいの方など、立っていることが厳しい方が、座って快適に移動できる環境を作りたいと考えているんです」

医療技術の進歩とともに、血液のがんに限らず、がんは通院治療が可能となるケースが増えてきた。QOL(生活の質)の向上は好ましいことだが、通勤や通学など社会生活を営みながら治療を続ける上で、健康な人には理解しにくいつらさがあると橋本さんは指摘する。

血液がんの患者は、立ちくらみや貧血症状などが起こることが多い。また、抗がん剤治療によっては、筋けいれん、神経痛、しびれ、入院後の筋力の低下などが相応の頻度で起こる。ほかのがんの治療でも、同じような副作用があるのではないか。

通院治療を受ける上で、交通機関の利用は、がん患者さんにとって大きな体の負担となっているのに、多くの患者さんは、外見上、健康な人とさほど変わりなく見えるのだ。

優先席は、がん患者さんにとっては機能していない

橋本さん自身も、長男の白血病の治療を通じて、通院時の交通機関の利用が、がん患者の負担となることを経験している。貧血症状が強く出ていたのは13歳~14歳、中学生のころだったが、通院時に20分ほど交通機関を利用する間、どんなにつらくてもなかなか座ろうとしなかったという。「あの子は、見た目は普通の中学生の自分が、周囲の大人や母親を差し置いて座っているのはおかしいと思われるのがつらかったのだろうと思います」と橋本さんはつらい思い出を述懐する。そのとき、「がん患者は車内弱者である」ということをはじめて意識した。

そして、10年近く前に若い女性の患者さんから寄せられた相談をきっかけに、再考することになったという。

「20歳の時に、骨髄移植を受けた女性の患者さんがいます。彼女は移植後の通院中の電車で、立っているのがつらくて座っていたら、中年の女性から席を立つように厳しく叱られたそうです。彼女は、やむなく席を立ったそうですが、相当つらかったと思うんです。こういう経験を持つ人が、血液がんの世界では少なからずいるんです」

同様の悩みは、男性患者さんも経験している。

「血液がんになる前は、スポーツマンだった男性の患者さんがいらっしゃいます。体格がいいので、見た目がとても壮健そうに見えるんですね。だから、どんなにつらくてもシルバーシートに座るのは抵抗があるそうです。でも表示プレートがあれば座ります、ありがたいです、とおっしゃってました」

また橋本さんは、交通機関を使って通院治療を受ける患者さんが、他にもつらい状況を経験するケースがあると指摘する。

「電話相談で相談を受けた女性の例です。通院に使うバスで、彼女は優先席の側に立っていたそうなんです。彼女がつらい思いをして立っている中、優先席に座っていた子供たちが、携帯電話を使い始めたんだそうです。彼女は骨髄だけではなくて、心臓にも疾患を持っているので、携帯電話を使うのをやめてほしいと、言わなければならなかったそうなんですよ。ただでさえ体がつらいのに、自分の病状を見ず知らずの人に言わなければならないのは、また別のつらさを感じたと思うんです」

がん患者は、外見上、健康を保っているように見えるため、優先席に座ることはどうしても気後れしてしまいがちなのだ。仮に理由を言って席を譲り受けたとしても、自分の病状を見ず知らずの人に伝えなければいけないのは、二重のつらさを経験することになるに違いない。

「がん患者はみなさん踏ん張っています」と橋本さんは訴える。

本来、優先席は、高齢者や妊娠中の女性だけでなく、身体に負担がかかりやすい方のために設けられている。しかし、いくら身体的につらい状況であっても、外見上健康そうに見えるがん患者にとって、優先席は、ほとんどと言っていいほど機能していないのが現状だ。

通院中の交通機関の利用に潜む危険

橋本さんが、交通機関の中で席に座る必要があることを周囲の乗客にさりげなく伝える「車内弱者プレート」の普及を提言するのは、もう1つ理由がある。患者さんの安全を守るためだ。

白血病をはじめとした血液がんの患者さんは、造血機能の問題から、貧血症状が現れることが多い。そのため、無理をして交通機関の中で立っていると、意識が遠のいて転倒することもありうる。血小板が減少しているときは、血液の凝固機能が低下するため、転倒や怪我から大出血につながる可能性がある。

「今はあまり見かけなくなりましたが、雨降り時に傘を脇に抱えて移動する人が多かった時期があったんですね。息子が通院治療を続けていた時もそうだったんですけど、傘の先がぶつかって怪我しないかはらはらしたことがあります」

駅の階段は、人ともぶつかりやすい。また、貧血症状がある患者さんが、下りの階段で立ちくらみを感じたら、とても危険だ。患者さんが転倒したり、何らかのアクシデントで意識を失ったとして、もしこのプレートを付けていたら、と橋本さんは言う。「血液の状態が要注意だということが、救護する人に分かりますよね」

健康な人にとって、交通機関を使った移動は、ごく普通のありふれた日常である。だが、がん患者にとっては、他の人に伝わらないつらさに耐えなければならないだけでなく、時として、生命にかかわりかねない危険と向かい合わなければならない場所でもあるのだ。

座る必要があることをそっと伝えるために

写真:「知ってほしい 元気に見えても辛いカラダがあります。」キーホルダー

特定非営利活動法人HOPE★プロジェクト作成の「知ってほしい 元気に見えても辛いカラダがあります。」キーホルダー

実は、がんに限らず、交通機関を利用する際に配慮が必要な患者さんのために作られたプレートやバッヂは、いくつか存在している。実際のところ、様々な患者支援団体が作成したバッジやプレートは、患者さんが交通機関を快適に利用する上で一定の効果をあげている。

「1つの患者団体が独自にプレートを作って活動を続けていくと、そのプレートを付けていることでがん種や病名が特定されてしまう可能性もあります。そういったことも防げますから、疾患や障害を越えて連携するのは良いことだと思います」

橋本さんは、患者さんのプライバシーを守りつつ、年齢や疾患に関係なく、電車やバスの中で座って移動する必要がある患者さんの存在を広く社会に啓蒙するためには、病気の種類を越えた共通のシンボルが必要だと考えていたという。

橋本さんが、「車内弱者のためのプレート」を考えて、今回の運動を開始するに至ったのは、不思議なエピソードと縁がある。

「10年ほど前のことだと思います。コバルトブルーの鮮やかなプレートを胸につけている患者さんが、車内で座っていても、周囲の人がそれを見守るシーンを夢に見たんです。ついに思いが実現に向けて動き出せたのは09年の5月です。東大で開催されたある講演会で、がんなど難病をもつ患者さんを支援する、特定非営利活動法人HOPE★プロジェクトの桜井なおみさんが、独自のキーホルダーを見せてくれたんです。直感的に、これだ! と思いました。すぐに桜井さんに『全がん、全疾患で使える車内弱者プレートをつくりましょう』」とお話したら、すぐに意気投合したんです」

桜井さんは、すぐに快諾した。実現を待ち望んでいた様々な人の思いが、大きくつながった瞬間だった。

厚労省へ要望書提出 いたわりあえる社会へ

「車内弱者のためのプレート」の取り組みは、09年5月にスタートし、事務局の開設に向けて動いている。

橋本さんは、86年に骨髄バンク設立要求運動に立ちあがり、多くの人々と共に日本骨髄バンク設立に寄与した経験を持つ。

骨髄の提供は、健康な人が自分の身体の一部を提供することである。にもかかわらず、ドナー登録に同意してくださる人がいることは、社会の中に、お互いをいたわりあう心が存在していると考えられるように思う。

「車内弱者プレートの普及活動を、社会のあらゆる場所で活発化させる必要があると考えています。たとえば、学校で子供たちへ普及教育を行っていただけるような状態が1つの理想の形ですね」

プロジェクトの最初の活動として、国土交通省への要望書提出を検討している。

「車内弱者プレート」に関するプロジェクトでは、がんに限らず交通機関を利用する上で配慮が求められる患者支援団体の賛同を募っている。

サポートが必要な患者さんが快適な社会生活を営めることを実現するだけでなく、お互いがいたわりあえる社会を創り上げていくためにも、このプロジェクトを推進していく必要があるのではないだろうか。


車内弱者プレート普及に関するプロジェクトへの参加は、つばさのホームページから受け付けている。


特定非営利活動法人 血液情報広場・つばさ
代表 橋本明子
東京都世田谷区中町2-21-12 なかまちNPOセンター内
〒154-0004 東京都世田谷区太子堂3-18-3 世田谷太子堂郵便局々留
TEL:03-3207-8503(祝日を除く 月~金 午後12時~17時)
〔全国どこでも一律の電話料金(1分10円)。祝日を除く 月~金 午後12時~17時〕
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