誰にも相談できなかった美容の悩みを聞いて欲しい
止まってしまった人生の時計を美容の力で動かしたい!
グループ・ネクサス副理事の
多和田奈津子さん
がん医療の現場では治療優先で、患者が副作用にともなう美容上の悩みを相談しづらい雰囲気があった。そんななか、患者の声なき声に応えようと、化粧品メーカーの協力を得て、がん患者の美容サポートを模索しているのが、NPO法人グループ・ネクサスだ。副理事長の多和田奈津子さんに話を聞いた。
がんの治療にともなう副作用は、外見的にもさまざまな影響をもたらす。抗がん剤の投与によって引き起こされる皮膚や髪、爪の変化など、美容面で大きな悩みを抱えている患者は少なくない。しかし、その悩みを誰にも相談できず、1人で悶々としている人が多いのが実情だ。
美容の悩みなど贅沢
Aさんは30代後半で乳がんを発症し、再発やリンパ節転移を経験しながら闘病生活を送っている。長年、抗がん剤治療やホルモン治療による爪や肌の痛みに悩まされてきたが、「今こうして元気でいるだけでもありがたいのに、美容の悩みなど贅沢」と感じ、誰にも悩みを打ち明けられずにいたという。
「がんというと治療ばかりに焦点が当てられがちですが、患者にとっては毎日の生活もとても大切なのです。今は外来で抗がん剤や放射線治療などを行うケースも増えているので、外出するときは外見にとても気を遣います。でも、ただでさえ経済的な負担を家族にかけているのに、美容の悩みなどなかなか口に出せない。再発の心配を抱え、自信も持てないまま日々を送っている患者は、私だけではないと思います」
がん患者であると否とを問わず、女性ならだれもが「美しくありたい」と願うもの。だが「美容よりも命が大事」という風潮のなかで、Aさんのように悩みを口に出せない患者が多いのも事実だ。
そんななか、美容の問題に積極的に取り組んでいるグループがある。悪性リンパ腫の全国患者団体である、NPO法人グループ・ネクサスだ。同会では化粧品メーカーの資生堂の協力で、美容面から患者支援の可能性を模索している。
副理事長の*多和田奈津子さんによれば、患者会では以前から、肌のトラブルに悩む会員の声が寄せられていたという。その後、資生堂ライフクオリティービューティーセンターの竹内裕美サブマネージャーと知り合い、「がん治療中の患者を美容でサポートできないか」という計画が持ち上がった。その一環として、08年8月から3回にわたり、抗がん剤治療などによる美容の悩みをもつ女性患者を対象に交流会を実施。あわせてメイクに関するアドバイスも行ってきたという。
*著書に闘病記『へこんでも』(新潮社)がある
自分の顔ではないみたい
多和田さんがこの計画に取り組むきっかけとなったのは、自身の闘病体験だった。悪性リンパ腫を発症したのは25歳のとき。97年10月に告知を受け、翌月から20回にわたり、放射線治療を行った。98年1月から化学療法が始まり、5月に自家末梢血幹細胞移植(※1)を実施。移植に先立ち、限界量まで抗がん剤を投与する厳しい治療が続き、さまざまな副作用に苦しめられたという。
「大量の抗がん剤を投与した後は、髪だけでなく眉毛やまつ毛まで脱けてしまって。2枚爪になり、顔色も黒ずんで、まるで自分の顔ではないみたいでした。その後も正直、なかなかメイクをする気にはなれなかった。少しでも肌や体に負担になるようなことをするのが怖くて、ファンデーションを塗る気になれなかったんです。『またメイクをしてもいいかな』という気持ちになれたのは、抗がん剤の治療が終わってから1年後のことでした」
多和田さんの話にもある通り、一般的に抗がん剤治療が外見に及ぼす副作用としては、顔や関節への色素沈着、爪の割れやうねり、全身の脱毛などが挙げられる。こうした症状は、抗がん剤治療が終われば自然に消えていくが、回復に時間がかかる場合もあるという。また放射線治療の副作用としては、照射した部位が赤く腫れ、痕が残ってしまうケースがある。いずれにせよ、治療優先のがん医療の現場では、こうした患者の悩みはなおざりにされてきた。患者のメンタルケアの重要性が叫ばれつつも、QOL(生活の質)に大きな影響を及ぼす美容の領域には、これまでほとんど目が向けられてこなかったのである。
「抗がん剤治療をした先輩たちも、同じ悩みに直面したはず。皆、どうやってこの時期を乗り越えたんだろう」
多和田さん自身、悩みを誰にも打ち明けられず、1人で悶々とする時期が続いた。治療が一段落して体力が回復しても、外見が元通りになるまでは時間が必要だった。肌や爪が黒ずみ、髪が生えそろっていない状態で外出する勇気が持てず、家にひきこもる日々。そんなとき、手を差し伸べてくれたのが妹だった。
「爪が気になるなら、軽いつけ爪をしてカバーするといいよ」
「黒い肌を利用して、小ギャル風のメイクをしたら」
妹の助言に後押しされてお洒落をするうちに、自信がついて外出もできるようになった。
こうした実体験を通じて、がん患者に対する美容サポートの必要性を痛感した、と多和田さんは語る。
※1 自家末梢血幹細胞移植=事前に造血幹細胞(赤血球、白血球、血小板をつくり出す細胞)を自分の末梢血中から採取して冷凍保存しておき、 大量の化学療法を行ってがん細胞を根絶した後、保存しておいた造血幹細胞を体内に戻す
悩みを語りあえる場が欲しい
09年6月末、資生堂と共同開催した交流会では、患者からさまざまな声が寄せられた。
「抗がん剤の副作用で眉毛やまつ毛も抜けてしまい、アイブロウ(眉墨)で眉を書きたくても、目印がないので“福笑い”のようになってしまう」
「ドライスキン(乾性肌)になり、全身がかゆくてたまらなくなった」
「色素沈着で顔や手の色が黒ずんでしまった。でも、生きるかどうかの治療をしてくださっている先生(医師)に、そんな悩みは相談できない」
こうした患者の声に耳を傾けながら、資生堂のスタッフが悩み別にメイク法を患者と一緒に考えながらアドバイスを行った。
交流会では、患者同士が気がねなく美容の悩みを語り合える場を持つこと自体を評価する声も多かった。多和田さんは、そんな患者の思いをこう代弁してくれた。
「化粧品売り場のカウンターでも、化粧品のお試しメイクをしようとすると、ウィッグ(カツラ)が邪魔になることがあります。かといって、病気のことやウィッグをつけている理由をお店の人に打ち明けるのは怖い。患者には『私のことを受け入れてくれるの?』という迷いが常にあるわけです。治療を境に、それまで足しげく通っていたお店に通えなくなってしまったという人もいる。そんなとき、もし、がん患者向けの美容サロンがあれば、カツラをかぶっていても安心して通うことができる。そのことだけでも、患者にとっては大きな救いなんですね」
最初は緊張気味だった参加者も、時間をかけて悩みを話し、アドバイスを受けるうちに、見ちがえるように元気になっていく。自然に笑顔がこぼれ、最後の記念撮影では全員が満面の笑みを浮かべていた。
「私たち患者は、自分の体を治すために痛みを与えてきた。ではその分、自分を可愛がってあげる機会があるかというと、少ないと思うんです。スキンケアやメイクで顔を優しくいたわっていると、心の中にも潤いが染み渡っていく。自分の顔を見つめ直すことが、癒やしにつながっているのではないかと思います」と多和田さんは語る。
美容の力で自然治癒力をアップ
とはいえ、がん患者向け美容サポートの取り組みは始まったばかりだ。がん患者にはどのような美容ニーズがあり、どのようなメイク法や商品が求められているのか。患者向けの商品開発が新たに必要なのか、それとも現行商品をうまく利用することで対応が可能なのか――。さまざまな研究課題が山積しており、患者や医療者と情報交換を行いながら、あるべきサポートの姿を模索しているのが実情だという。
とはいえ、治療の副作用をカバーする美容技術やサロンなどの情報が事前にあれば、抗がん剤治療にともなう身体的な変化に衝撃を受けても、立ち直る時間が短縮できるのではないか。そのことが、患者のQOL向上に大きく寄与することはいうまでもない。
「今後も患者さんからのニーズがあれば、ネクサスでは継続的に美容の問題に取り組んでいきたい」と多和田さんは抱負を語る。
「メイクをすることが1歩踏み出すきっかけになる、と思うんです。今度はお洒落してお茶に行こうか、あの人に会ってみようか、という具合に。何かをしたいけれども自信が持てない、そんな患者さんにとって、美容は社会復帰に向けた1つの後押しになる。これは資生堂さんからお聞きしたのですが、患者さんに『元気に見えそうなメイクを教えてください』といわれることが多いそうです。美容によって元の自分を取り戻したい、と感じている方はとても多い。患者さんが元気になるための手段、それが美容なんです」
外見に気を遣うことは、人の目を外へと向けさせる。そのことは心身に活力をもたらし、免疫力や自然治癒力の活性化にもつながる。患者のメンタルケアの点でもQOLの向上という点でも、がん医療と美容の連携はなおざりにできない問題であるといえよう。
最後に、冒頭で紹介した乳がん患者Aさんのコメントを紹介して、本稿の終わりとしたい。
「脱毛がつらいならウィッグをつければいい、投薬で肌がガサガサするなら、お手入れして化粧すればいい……こんな答えが欲しいのではないのです。女性としてつらいと思っている気持を共有し、さらに踏み込んで考えてくれる存在がほしい。そう心の中で叫んでいる患者は、きっとたくさんいると思います。止まってしまった全国のがん患者の人生の時計が、美容の力で動き出す日が、1日も早く来るようにと願っています」