同じ仲間同士なら、一言で通じる思いがある
再発しても楽しんで生きる心得――自分のことは自分で決める!

取材・文:町口充
発行:2009年1月
更新:2013年4月

  
写真:ソレイユの中村さん(中央)、牛木さん(左)、渡辺さん(右)
ソレイユの中村さん(中央)、牛木さん(左)、渡辺さん(右)

2008年、発足から20周年を迎えた、乳がん患者のためのサポートグループ「ソレイユ」。同会には、がんが再発しても明るくパワーあふれる人が多い。「同じ悩み・苦しみを持つ仲間がいるから」というのがその理由。「病気を治すのは自分自身。ほかの人からも学び、悲観しないで納得できる医療を選択し、人生を前向きに過ごしましょう」と訴えている。

自分に合った治療法を探して

中村道子さん

「脳転移をしていても元気な人がいる。そのことは、私自身の励みにも」と中村さん

「ソレイユ」はフランス語で、「太陽」のこと。乳がん体験者がヒマワリの花のように、いつも太陽に向かって明るく、そして前向きの姿勢で、よりよい生活を送れるようにとの願いを込めて名付けたという。

「会員相互の親睦と、乳がんの早期発見ならびにがんとの共存をも視野に入れた新しい治療法への理解と啓発」を目的に活動していて、会員は約200人。毎月2回の相談会&おしゃべり会のほか、勉強会、電話やメールでの無料相談なども行っている。

会長の中村道子さん(76歳)は42歳のとき、左胸にしこりを見つけた。「困ったなー、どうしよう?」と思ったが、結局だれにも言わず放っておいた。1年後、わきの下のリンパ腺が1センチほど腫れているのがわかり、ようやく受診して手術を受けたものの、リンパ節に多数の転移があった。骨転移もあった。

家族には「余命2~3年」と告げられていた。放射線科に移ってからは、自分に合った治療法をと、医者と相談しながら手さぐりで治療法を探したという。

「そのころは、今みたいな抗がん剤もホルモン剤も何もない時代。情報を得たくても本もない。先生方が書いた専門書を読むしかなくて、治療を受けていた大学病院の生協にあった専門書を読みあさり、これはよさそうだというのを自分で選択して、治療法を試しました。手術してから25年がたって、骨転移がもう1カ所見つかりました。がんとは一生、付き合っていくことになりそうですが、この通り元気に活動しています」

がんが見つかった当時、中村さんは会社に勤めていて、子どもも2人いた。しかし、がんの手術を受けて10カ月ほど休職したが、その後はずっと働き続けたという。

「75歳を過ぎて“後期高齢者”になりましたが、会の活動で忙しい毎日。患者の権利オンブズマンや、患者の権利法をつくる会の活動もしています」

会の活動で得たものは「やっぱり仲間ですね」と中村さん。

「同じようにがんになり、同じ治療を受けたとしても、家の中に閉じこもっているばかりでは決していいことはありません。家族に言ってもわからないことでも、同じ仲間同士なら一言で通じます。最初は仲間同士でおしゃべりするだけでいいけど、乳がんは年々治療法が変わっていきますから、勉強会などで、新しい情報を常に得ることが大切です」

リンパ節・脳転移から10年たちました

牛木周子さん

「おしゃべり会に参加する人からもらう情報もとても勉強になっている」と牛木さん

牛木周子さん(66歳)は、96年に自分でしこりを見つけ、近くの大学病院で乳がんと診断されて手術を勧められた。「どんな手術ですか?」と聞くと、「乳腺、胸筋、リンパ節を取ります」とのことだった。

「胸筋は念のため取る、リンパ節は取って調べてみないとわからないので取る、というのです。それ以上の説明はなく、知識がないのでそれが何を意味するのかわからず、質問することすらできない。腕がむくむなど術後の後遺症に苦しんでいる人を知っていたので、『考えさせてほしい』と帰って、別の大学病院を受診すると、そこも同じで『うちは温存はやっていません』と言われました。たまたま、主人が電車の中吊り広告で近藤誠さん(慶応大学医学部講師で日本における乳房温存療法のパイオニアとして知られる。ソレイユの顧問医でもある)の名前を見て、『こういう人がいるよ』と教えてくれたので行ってみたら、『温存できるよ』との一言。『何でこんなにも違うの?』と思いました」

ようやく乳房温存療法と出合った牛木さんだったが、温存手術を受けた1年後に鎖骨下リンパ節転移があり、抗がん剤の動注治療を受けたところ消失。ところが、その1年後、今度は脳への転移が見つかった。「私の命はもうこれまでかしら」と、言葉では言い表せないほどの衝撃を受けたという。

しかし、これも、全脳照射ではなく、ほかにいい治療法はないかと探して見つけたガンマナイフ(放射線治療)で消失した。

「ガンマナイフ治療を受けて1年以上たったとき、先生が、うちの病院でガンマナイフをかけた人の平均寿命は8カ月とおっしゃった。一瞬ギョッとしましたが、私はこう答えました。『それなら先生、私が平均寿命を延ばしますよ』って。経過観察しながら現在に至っていますが、鎖骨下リンパ節、脳ともに、3年、5年、7年と何ごともなく過ぎ、とうとう10年がたっています」

自分で情報を仕入れるため、勉強会に参加

牛木さんの場合も中村さん同様、医者頼りではなく、自分で情報を集め、行動した結果、今日がある。それでも牛木さんはこう語る。

「私って、人のおこぼれを頂戴して生きているんですよ。最初に入院したときに、隣の部屋の方と仲よくなったんです。その友達は予後が悪いと言われて、いろんな治療法を探していました。私は、そのたびに一緒について行きました。残念ながら早くに亡くなってしまいましたが、今の私の原点はその友達との出会いであり、おかげで生きていられるんです」

その後は自分で情報を仕入れるため、ソレイユの勉強会に出席。

また、これからの人生を1人でも多くの人のためになるように送ろうと、NPO法人キャンサーネットジャパン認定の乳がん体験者コーディネーター養成講座を受講。6カ月間の講義を受けて第1期生の認定を受け、ソレイユの相談会&おしゃべり会や電話相談などで、患者さんの相談にあたっている。

人生は楽しむもの、と毎年海外へ

渡辺紀子さん

「今年はベトナム、来年はタイに旅行に行く予定」と渡辺さん

渡辺紀子さん(58歳)の乳がんが見つかったのは、ソレイユが発足したのと同じころの89年。

「自分でしこりを見つけたとき、がんについて何も知らず、最初は産婦人科へ行ったほどでした。温存のことも知らず、非定型と呼ばれる手術(筋肉は残すものの乳房を切除する手術)を受けましたが、その後の抗がん剤治療は苦しいからもういやだ、と途中でやめました」

それから10年がたって、乳房再建手術を受けたが、今度は再発が見つかった。骨にも転移していた。それでも、自分に合っていると思われる治療法を探しては試し、再発がんとたたかっている。

「ソレイユのことは、発足した直後に新聞で知りました。一度覗いてみようと勉強会に行き、ドアを開けたとたん元気な人がいっぱいいて、もうビックリ。死んだらお墓をどうしようかとか、そんなことばっかり考えていましたが、同じ乳がん患者なのにみなさん元気で明るい顔をしていて、救われる思いがしました」

そんな渡辺さんも、今では新しくやってくるがん患者さんを励ます側だ。

渡辺さんは美容師で、美容院経営と主婦業で忙しい毎日だが、「人生は楽しく過ごさなくちゃ」と1年に一度、海外旅行に行く。

「友達とハワイに行ったのが始まり。海外に行くようになって7年を過ぎたころ、骨転移が見つかり、治療が始まりましたが、元気なうちに行きたいところへ行こう、それも遠いところへ、と毎年どこかへ行っています」

医者まかせにしてはダメ

写真:相談会&おしゃべり会

東京ウィメンズプラザ・交流コーナーで毎月第3火曜日午後12時~17時に開催される相談会&おしゃべり会

がんを再発しても、楽しんで日々を送る3人が口をそろえて言うのは、「医者まかせにしては絶対にダメ」ということ。

「医者は専門家かもしれないけど、結局は他人です。自分のことは自分で決める。それをやっている人が生き残っています。特に乳がんは、少なくとも10年はお付き合いしなければいけない病気です。手術したから終わりではなく、そこからがんとの付き合いがはじまります。自分の意見を聞いてもらえないような医者は最初から選ぶな、と言いたいですね」(中村さん)

「後悔しないためには、納得のいく治療を受けること。私がよくそれを言うと、『あんたはいい結果が出ているから』と言われるけど、タイミングも大事なんです。納得したらソク行動。その結果、今の私があると思っています」(牛木さん)

「お店に見える30代、40代の方たちのほとんどが検診を受けていない。早く見つかればそれだけ治る確率も高くなるのだから、ぜひ受けてほしい。それから標準治療を受けることの大切さを知らない人が多いと思います。乳がん治療に関するガイドラインが出ているので勉強しましょう」(渡辺さん)

乳がんとわかって「どうしよう」と不安になったら、迷わずソレイユのドアを開けよう。たっぷりの笑顔と熱い励ましの声が待っているはずだ。


ソレイユ

〒154-0026 東京都世田谷区若林5-34-8 板倉方
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