「理想の病院」をつくりたい~夢を夢で終らせない乳がん患者の底力

取材・文:守田直樹
発行:2008年9月
更新:2013年4月

  
写真:中川圭さん
乳癌患者友の会『きらら』の
世話人代表の
中川圭さん

「ピンクリボン」は、乳がんの早期発見などの推進をうながすシンボルマーク。このリボンが目印の9階建てビルが今年6月、広島市内の繁華街に誕生した。乳がん患者の声によって誕生した“国内初”の複合ビルで、女性スタッフだけによる乳がんの検診専門クリニックなどが入居している。

このビル設立の原動力となったのが、「乳癌患者友の会『きらら』」の世話人代表である中川圭さん。栗色の髪と淡桃色のジャケットの似合う、いまは完璧なキャリアウーマンだが、「乳がんになっていなければ、普通の主婦だったと思います」と、笑っていう。

「理想の病院」について語り合う

難病にかかっていた父親を看取り、これから外に出て習い事でもはじめようと思っていた2000年8月に乳がんを告げられ、すぐに手術。術後に患者仲間と「理想の病院」について語り合ったことが始まりだった。ひょんなことから企画会社の社長と出会い、単なる夢が次第に現実味をおびていく。土地探しでも、奇跡が起こった。

「患者さんが通うことを考え、市内の中心部で土地探しをしていると、女性の地権者さんが『社会貢献ができるなら』という条件で協力を申し出てくれたんです」

営利目的だけではない、象徴の1つが2階の総合案内だ。大きな不安を抱えて検診におとずれる患者のため、がん体験者を職員として総合案内に配置。体験者のユニフォームになっている親しみやすいエプロン姿の小林晴美さんはこう話す。

「自分の経験が役立つのならと転職してきました。いまも私は通院中で、自分の体験を話すことで検診に来られた患者さんの不安を少しでもやわらげられればと思っています」

体験者の話を聞くだけで患者は心強いうえ、治療中の患者が元気に働いている姿はなにより勇気を与えるはずだ。

経済基盤を持たなければ活動は広がらない

写真:建設中のビルにも出向き、打ち合わせをした中川さん
建設中のビルにも出向き、打ち合わせをした中川さん
写真:8階の喫茶室では、ボランティアの笑顔が絶えない
8階の喫茶室では、ボランティアの笑顔が絶えない

また、中川さんは、雇用促進の重要性も強く訴える。

「乳がん患者が、これは絶対ここで実現したい条件でした。現在、3人に働いてもらっています。がんで大変な治療を受けると雇用主に不安視され、職業の選択が狭まってしまうんです」

もう1つの象徴が、8階だ。

このビルは、検査や治療のためだけでなく、がん患者たちの拠点となるよう設計されている。8階には喫茶室があり、午前11時から午後4時までボランティアが当番で常駐している。

「8階はすべてボランティア関連なので、家賃収入がありません。でも、こういう公共の場があるからこそ、地権者であるオーナーさんなどが協力してくださったんです」

話を聞いていると、先の小林さんが勤務を終え、エプロンをぬいで8階で談笑を始めた。有給と無給の人がいることに対し、不満は出ないのか中川さんに聞いてみた。

「8階のボランティアさんにも、理想をいえばお支払いしたいくらいです。ここを造るときにも『誰が儲かるの』とよく聞かれましたが、実行して患者さんが助かることならやるべきだと思うんです。日本のNPO法人は経済基盤を持たないところが多く、経済活動を穢れたことのように考える方もいますが、それでは活動は広がりません」

フロアには、患者会などが自由に使える会議室や、今年5月に設立した「NPO法人広島がんサポート」の部屋もある。

「『きらら』の会員だけの場所にならないよう、『広島がんサポート』を前面に出すようにしています。ダメもとで理事長のお願いに行くと、広島大学の浅原(利正)学長が請けてくださったんですよ」

このNPOの理事には、広島弁護士会の会長なども名を連ねている。

リゾートホテルのような落ち着いた空間

写真:市内中心部の乳がんクリニックビル
市内中心部の乳がんクリニックビル

「広島がんサポート」の副理事長も担う中川さんに、クリニックを案内してもらった。

診察や治療を行う6階の「香川乳腺クリニック」は、診察室や手術室をそなえ、化学療法室はモノトーンを基調にしたリゾートホテルのような落ちついた空間だ。一方、5階は乳がん検診専門の「中央通り乳腺検診クリニック」。淡いピンクを基調にした女性らしい雰囲気で、稲田陽子院長をはじめすべてが女性スタッフになっている。

「『ちょっと胸に心配があります』と初診でおとずれる人や、電話での問い合わせでも、初診では『女性のドクターがいい』という声が圧倒的で、5階の検診では放射線技師まですべてが女性です」

乳房のX線撮影機「マンモグラフィ」はもちろん、広島県で唯一という最新式のエコーも導入。こうした検診専門のクリニックを入れたのは、中川さんの体験と無関係ではない。

患者同士のおしゃべりから「きらら」発足へ

1999年の暮れ、中川さんはマンモグラフィ検診を標榜する総合病院で乳がん検診を受けた。が、1度引っかかって再検査まで受けたのに不思議にもエコーと視触診だけだった。

翌年8月4日にセルフチェックでしこりを見つけ、同じ総合病院で検査を受けると、ドクターはおどけてこう言った。 「ゴメン、見逃しぃ~」

付き添ってもらった友達の握りこぶしはブルブルと震えていたという。

「なぜマンモグラフィを撮らないのかを聞いたら、『エコーは同等の検査だ』と上から物をいうような先生でした。そんな人にかかわっても仕方ないので、サッサとその日に病院を変えました」

ポジティブシンキングなのが、中川さんの魅力だろう。

すぐに広島大学の原医研(原爆放射線医科学研究所)外科に行き、受けた乳房温存術は成功。手術後、同じ患者仲間と食事会でのおしゃべりが、「きらら」発足へつながっていく。

「食事会が、ほぼ毎月の定例会になり、2年ぐらい経つと原医研外科の先生が『きちんとした患者会にしたほうがいい』と、バックアップをしてくれました」

「きらら」の正式スタートは2003年1月。原医研外科のドクターを招いた学習会を開いたり、広大病院の乳がんの初診患者に「きらら」が作成したアンケートを配ると、「初診は女医」という希望が圧倒的だった。

「そしたら初診の外来はすべて女医に変えてくれました」

ほかにも「抗がん剤の点滴用ベッドが小さくてしんどい」という患者の声を伝えると、すぐに8基ぐらい高価なマッサージチェアの導入が決まった。個人的な要求ではなく、患者会「きらら」の声として伝えると、病院側は必ずきちんと聞いてくれたという。

「患者と先生の垣根が高いと思っているのはたぶん患者のほうなのではないでしょうか。他県の某大学病院の患者サロンが病院批判の場になっていて、困っているそうなんです。批判ではなく、患者会の要望としてお話すれば伝わると思います」

緩和ケアのできる病院建設へと夢は羽ばたく

写真:「中央通り乳腺健診クリニック」は、稲田院長(前)をはじめ全員が女性スタッフ
「中央通り乳腺健診クリニック」は、
稲田院長(前)をはじめ全員が女性スタッフ
写真:総合案内の後藤美幸さん(左)と小林晴美さん
総合案内の後藤美幸さん(左)と小林晴美さん

こうしたドクターとの関係は、複合ビルの開設にも大きく役立った。開業が決まったドクターたちは、全員が中川さんらと顔なじみになり、熱いラブコールに応えた人たちだ。とくに5階の稲田院長は、広島から「九州がんセンター」に転勤していたのを呼び戻す形になった。

「稲田先生の旧姓は内田さんで、私たちはウッチー、ウッチーと呼んでいました。ボランティアで『きらら』の活動などに積極的に参加してくれる先生で、いきなりの電話に『エーッ』と驚かれましたが、私たちの思いが伝わり、今年の2月に正式に受けてもらえました」

ドクターの“1本釣り”は、すべてが成功しているわけではない。昨今の産婦人科医不足で、婦人科の誘致は断念したし、「もっと身軽な開業をしたい」と敬遠されるドクターもいた。が、逆に断ったドクターもいる。

「ここでの開業を望む方で『ぼくの開業だからぼくの自由にする、あなたたち患者会はぼくを盛り上げて』みたいな先生もいましたが、お断りしました」

現在、皮膚科など3つのクリニックが入っているが、全フロアが埋まっているわけではない。

「金融機関には、ゆるやかな事業計画を出しており、地権者さんと企画会社の協力から、焦ってすべての階を埋める必要がないんです」

中川さんは2002年に乳がんが再発。いまは寛解状態にあるが、ホルモン療法は継続している。そんな素振りは露見せない彼女に、次の目標を聞いた。

「次は別の場所に入院できる病院をつくります、って断言したりして(笑)。見放され感のない、見慣れたドクターなどに囲まれて亡くなれるような緩和ケアができる病院です。このビルも、口に出していたらできましたから」

中川さんなら本当に実現しそうな気がした。


きらら事務局

〒730-0011 広島市中区基町6-78リーガロイヤルホテル広島13階
T&T WAMサポート㈱内 世話人代表 中川 圭
TEL 090-1686-7615 FAX 082-511-1136
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