がん医療改革を願って、情報開示に取り組む

取材・文:常蔭純一
発行:2008年4月
更新:2013年4月

  
写真:天野慎介さん
NPO法人「グループ・ネクサス」理事長の
天野慎介さん

がん治療のあり方が地域によって異なる時代がまもなく訪れる。昨年4月に施行されたがん対策基本法を受けて、今、各都道府県で、具体的ながん対策について急ピッチで検討を進めているからだ。

そうした各自治体のがん対策の内容を知りたいと思うなら、悪性リンパ腫の患者会、NPО法人「グループ・ネクサス(悪性リンパ腫患者・家族連絡会)」のウェブサイトをチェックすればいい。では、なぜ1患者会が各地域のがん対策情報(都道府県がん対策推進計画)を公開しているのだろうか。

「最近になって、産科、小児科などで医療体制の崩壊が論議を呼んでいます。しかし、実は地域によっては、がん医療でも同じことがあてはまります。それに対して各地域でどんな取り組みが行われているのか。そのことを多くの人に知ってもらいたいと思って、各地域のがん対策情報を取り上げているのです」

こう語るのは、同会理事長の天野慎介さんである。

悪性リンパ腫患者であると同時に文部科学省のワーキンググループなどでも委員を務めている人だ。その天野さんががん対策の公開などの活動を通して何を訴えようとしているのだろうか。そのことにふれる前にまず、1人の患者としての天野さんの足跡をたどってみよう。

20代で発病した悪性リンパ腫

天野さんが、自らが悪性リンパ腫を患っていることを知ったのは2000年11月のことだった。

友人とカラオケに行ったときにいつもは出ている声が出ない。しばらくすると高熱に襲われ声がまったく出なくなった。耳鼻科を訪ねると、扁桃腺の腫れ方がおかしいと言われ、病院で検査を受けるように告げられる。

そうして訪ねた市民病院で下されたのが悪性リンパ腫との診断だった。正確な病名はびまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫――。30種類以上を数える悪性リンパ腫の1つである。27歳の若さ。それまで病気といえば風邪ぐらいしか患ったことのなかった天野さんにとっては、文字通りの意味で青天の霹靂だった。

「ショックだった。どうして20代の若さで、がんを患わなければならないのか。信じられない気持ちでした」

と、天野さんは当時を振り返る。

その後、天野さんは過酷そのものの闘病を強いられる。大学病院でCHOP(悪性リンパ腫に対する代表的な化学療法の1つ)と呼ばれる抗がん剤治療を受けたものの、効果は今1つで、自家末梢血幹細胞移植に治療が切り替えられる。そして、ようやく寛解を得たと思ったのもつかの間、翌年には早くもがんが再発し、今度は 化学療法を行い胸部に放射線を照射したところ、間質性肺炎を発症、天野さんは死線を漂うことになる。

「呼吸困難に陥り、最悪の事態に備え、家族、親族が病院に呼ばれていました」

幸い、一命はとりとめたものの、肺炎に対するステロイドパルスというステロイド大量投与治療の影響で免疫が低下し、日和見感染によって、天野さんは左眼の視力を失うことになる。

病魔と闘いながら患者会に精力的に参加

写真:『悪性リンパ腫と言われたら』と『NEXUS通信』

天野さんが闘病中にまとめた『悪性リンパ腫と言われたら』(右)と年5回発行している『NEXUS通信』
膨大な情報量を誇る「グループ・ネクサス」のウエブサイト

そうした闘病の過程で、天野さんは悪性リンパ腫に関する情報が極端に乏しいことを知りホームページを開設、自らの闘病体験を報告する。そのホームページで知り合った同じ悪性リンパ腫の患者仲間が家族とともに01年12月に発足させたのがネクサスだった。ちなみにこの会の名称は「つながり」という意味を持っている。もちろん天野さんもすぐにこの会に参画する。発会の目的は情報の開示にあったと天野さんはいう。

「初めて抗がん剤治療を受けていたときに、同室の男性患者が先生からいい資料をもらったと見せられたのが国立がん研究センターのホームページのコピーでした。もう何年も闘病を続けている人なのに、その程度の情報も持ち得ていないことに困惑せざるを得なかった。その人がコンピュータに通じていなかったこともある。しかし、それ以上に当時は悪性リンパ腫という病気についての情報が欠乏していた。アメリカではリツキサン (一般名リツキシマブ)という特効性を持つ分子標的薬が使われていたのに、日本ではそのこともほとんど知られていなかったくらいでした。同じ血液がんでも白血病については広く周知されていたのに、悪性リンパ腫はその陰に隠れて、ほとんど人が目を向けることがなかったのです」

当時といっても、今からわずか数年前のことである。それはおそらく日本の悪性リンパ腫治療のあり方の後進性を物語っているに違いない。そして、そうした局面を打開する突破口になれば、と天野さんは患者会の活動に精力をそそぎこんだ。

病魔と闘いながらウェブサイトを通じて会員を募り、また、ネット上などで情報発信している医師を見つけては、講演会開催などの協力を依頼する。さらに過酷な治療を受けながら、『悪性リンパ腫と言われたら』という冊子を執筆する。

「同じ病気を患って命を落としている人たちを何人となく見てきました。その人たちも何か言いたかったに違いない。命を永らえている自分に何かできることがあるのではないかと感じました」

と、天野さんは、今も変わることのない心境を語る。

そうした天野さんの思いが通じたのかもしれない。当初は200人だったネクサスの会員は1200人にも達している。

新薬の承認を厚生労働省に働きかける

写真:2007年9月15日のネクサス主催の横浜医療フォーラム
2007年9月15日のネクサス主催の横浜医療フォーラム
写真:2007年11月4日のネクサス主催の大阪医療セミナー
2007年11月4日のネクサス主催の大阪医療セミナー

ネクサスが発足して6年あまり。その間に会の活動内容は大きく広がり続けている。当初の目的は情報の開示だったが、発会してしばらく後に、ある患者家族の訴えを聞いたことから、新薬承認について厚生労働省に働きかけを行うようになる。

「その人は奥さんがT細胞リンパ球芽球性リンパ腫という日本でも年間500人程度しか発症しないリンパ種を患っていました。治療法がまったくない難病で、唯一の頼みが、アメリカではすでに用いられていたアラノンジー(一般名ネララビン)という薬剤でした。その薬剤の承認のための働きかけに力を貸してもらえないかということでした」

当たり前のことだが、薬剤が承認されるには、製薬企業から承認申請が出されなくてはならない。アラノンジーの場合は、適用患者があまりにも少ないことから、企業からの申請は見送られ続けていた。そこで天野さんは、同じ悪性リンパ腫の治療薬であるゼヴァリン(一般名イブリツモマブ)も合わせて、企業、厚生労働省などに承認を働きかける。

「幸いにして厚生労働省でもようやく新薬承認の迅速化が進められており、アラノンジーに関しては、未承認薬使用問題検討会議で、少数の治験があれば、承認が行われことになりました。そこで患者会を通して情報を伝え、治験に参加してくれる患者さんを探すことにしたのです」

その結果、協力依頼のあった患者も含めて2名の参加者が見つかり、アラノンジーは承認にこぎつけられた。また一方のゼヴァリンについても、放射性物質であることに起因するハードルを乗り越えて、治験参加者を確保する。

そうした活動が医療者や行政側からも評価を集めたのだろう。それからの天野さんは、国立がん研究センターのワーキンググループや文部科学省のがんプロフェッショナル養成プランの書面審査委員として、積極的に活動を行うようになる。それは天野さんならではの行動規範でもある。

「患者だからと、ただ訴えるだけでは通じない。行政や企業の考え方にも耳を傾けて、互いにウィンウィン(両者にとって有益)の関係を築いていく。それが結局は患者にとってもプラスにつながっていくと考えています」

多くの人にがん医療の実情を知ってほしい

その天野さんが現在、憂慮しているのが地域によるがん医療の水準格差だ。たとえば血液内科を例にとると、激務に耐えかねて医師がいなくなり、診療科目が開店休業状態になっている地域もあるという。天野さんはウェブサイトで各都道府県のがん対策を開示し、さらに年5回のペースで会報を発行しているのも、そうしたがん医療の実態をより多くの人に理解してもらいたいためだ。

「悪性リンパ腫についての医療を少しでも改善するためには、何よりがん医療のあり方を糾していく必要があります。健康な人たちにも、がん医療の問題は他人事ではありません。各地域の対策が進行している今だからこそ、実情を多くの人に知ってもらいたいと思います」

いつまた襲ってくるかもしれない再発不安と向き合いながら、がん医療の改革を願って、天野さんの奮闘の日々が続く。


グループ・ネクサス(悪性リンパ腫患者・家族連絡会)

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