サバイバーにとっての生きる力「希望(HOPE)」をみんなで育くもう
がんになって改めて、生きる意味を見つめ直した人も多いだろう。そんな人たちが集まって発足させたのが「HOPE★プロジェクト」という活動グループ。めざすのは、がんになった人、がんでない人も含め、すべての人が支えあいながら、共に生きる社会の実現。そのためにも「希望の言葉を贈りあおう」「がんについてもっと語りあおう」と呼びかけている。
第一線の新聞記者に肺がんの宣告
「HOPE★プロジェクト」代表の
生長恵理さん
「HOPE★プロジェクト」は、エッセイストの岸本葉子さんら、がんを体験した数人の女性によって発足した。活動の第1弾として、今年4月から取り組んだのが「希望の言葉を贈りあおう」プロジェクト。広く一般を対象に、つらく苦しいときに心が安らいだり、勇気が湧いた「希望の言葉」を募集したところ、6月末の締切までに約200点の応募があった。そのなかから約50点を選んで、秋をめどにウェブ上で公開。出版も計画している。
また、6月には設立記念イベントを東京で開催。東京都に特定非営利活動法人(NPO)設立の認証申請をしたばかりだ。
そもそも「HOPE★プロジェクト」が動き出すことになったのは、同プロジェクトの代表で毎日新聞記者の生長恵理さんの役割が大きい。生長さんは3年前の04年、肺がんが見つかり手術したものの、翌年、再発。治療を続けている。
がんを患ったことによって、生長さんは人生の大きなテーマを背負うことになった。
今年の9月で45歳になる生長さんが、毎日新聞社に入社したのは87年。第一線の記者として活躍する一方、1年間休職してイギリスに留学するなど、自己研鑽にも励んだ。英語が堪能ということもあって、環境問題や人口問題の取材を海外で行うこともあった。編集局勤務を経て、ラリー事業部に異動した。
世界の四輪モータースポーツというと日本ではF1レースが有名だが、ヨーロッパではF1をしのぐ人気があるのが世界自動車連盟(FIA)が同じく統括する「世界ラリー選手権(通称WRC)」だ。初めて日本での開催が決まり、スポンサーとなったのが毎日新聞。生長さんは04年9月に北海道・十勝地方で開催される「ラリー・ジャパン2004」のために、世界各地で開催されるWRC各戦を伝え、FIA関係者と折衝し、日本における歴史的なモータースポーツ・イベントの開催準備に携わった。
ところが、多忙をきわめていた04年5月、検診で肺に影が見つかり、詳しく調べた結果、1期の肺腺がんと診断された。しかし、ラリージャパンの開催は直前に迫っている。結局、仕事をすべてこなして、ラリーが終わった9月、左肺の3分の2を切除する手術を受けた。2週間ほど入院し、11月にも術後化学療法を受けるため短期間入院したものの、すぐに職場復帰。05年1月から始まったその年のWRC開幕戦を取材するため、モンテカルロまで出かけていった。
ヘンリ・ジマンドさんとの出会い
2006年来日時のヘンリ・ジマンドさん
その後、再発を心配しながらもラリー関係の取材を続け、同年5月、車好きのモナコのビジネスマンが来日するというのでインタビューしにいくと、その人の名はヘンリ・ジマンドさん。ジマンドさんは世界的実業家であるとともに、「Anda’s Spirit(アンダズ スピリット)」という慈善組織の代表でもあった。生長さんは語る。
「アンダとはジマンドさんの妻の名前で、アンダさんは03年に乳がんのため亡くなっています。常に明るく、希望にあふれ、ジマンドさんと幸福な結婚生活を送ってきた彼女は、がんが見つかってからも、笑顔を絶やすことなくがんと闘い続けました。その姿に感動したジマンドさんは、アンダさんのスピリットを世界の人々に伝え、励まそうと、始めたのがAnda’s Spiritの活動です」
ジマンドさんの話は生長さんを勇気づけた。
「私は当時、自分をがん患者と考えることは嫌だったし、人にもあまり言いたくなかった。がん=死というイメージがあって、どうしても特別な目で見られてしまうのが嫌でした。でも、常に前向きに生きたアンダさんと、彼女を支え続けたジマンドさんの話を聞いて、とても励まされるとともに、共感を覚えました。ジマンドさんの活動を支援し、がんをはじめ困難に直面しているたくさんの人々に、愛や希望を感じてもらう何らかの活動ができないかと、考えるようになったのです」
その年の10月、2回目のラリージャパンが開催されたが、ちょうどそのころ、がんが再発。転移の可能性が高いというので、再び抗がん剤治療を受けるようになった。
自分ががん患者であるという現実と直面しながらも、「がん患者にも、できることがあると示したい」という生長さんの思いはますます募っていった。その手始めとして、ジマンドさんを日本に招聘し、講演会などを行うことを計画。昨年11月、ジマンドさんの来日が実現した。
「Anda’s Spiritは音楽、スポーツ、災害被災者への緊急支援、がん患者へのサポートなど、世界中でさまざまな活動をしていますが、特筆すべきは毎年ニューヨークで行われている『ラブレターコンテスト』でしょう。インターネット上で、愛する人に贈るラブレターを募集し、専門家が選んだ12のラブレターの筆者とそのパートナーの12カップルが、バレンタインデー前後にニューヨークに招待され、それぞれのラブレターを披露しあうのです。今年は私も休暇を取って見にいきましたが、同じようなことが日本でもできないかなと思いました」
生長さんは、セカンドオピニオンを気楽に受けることができるというので、がん患者とその家族をサポートするNPO「ジャパン・ウェルネス」の会員になっていたし、06年3月にNHKホールで開かれた「第2回がん患者大集会」や、9月に茨城県つくば市で開催された「リレーフォーライフ」にも参加。同じがん患者との連帯感を育んでいった。
当初の「ラブレターコンテスト日本実施案」を練り直し、「希望の言葉をおくりあおう」プロジェクトの原案が生まれた。
サバイバーの本当の意味は?
「HOPE★プロジェクト」のポスター
そんななかで知り合ったのが、岸本さんであり、また、小児がんなどの難病を患う子どもとその家族、子育て世代のがん患者などへの支援活動をしている「ボタニカルキッズクラブ」の代表、桜井なおみさんとも親しくなった。
生長さんも、岸本さんも、桜井さんも、ちょうど同じ世代。働き盛りでがんになっただけに、ただじっとしているのではなく、社会の構成員として役割を担いたい、人のため、社会のために役立ちたいという思いも強かったに違いない。彼女らが約束し合ったのは「サバイバーシップ」の理念を日本に広めていこうということだ。
「サバイバーとは、単にがんに勝ち、生き続ける人のことではありません。『がんと診断されてから生を全うするまで生きる人々と、支えるすべての人々』を意味する米国生まれの概念がサバイバーですし、サバイバーが生きる支えとするのが希望(HOPE)です」
と生長さん。それぞれの経験から、日本では「早期発見、早期治療」のかけ声が高いが、がんとともに生きている患者やがん経験者への支援や理解が薄いとの思いも共有していた。
このようなサバイバーシップを実現するためには、がんとともに生きる患者に対し、良質な医療や「生活の質」への配慮が大事なことは当然だが、偏見をなくし、人々が希望を持ち、ともに手を携えて生きていける社会を実現させなくてはいけない。
「HOPE★プロジェクト」では、「ともに生きる」をキーワードに、多彩な活動を行っている。 冒頭に紹介した「希望の言葉を贈りあおう」プロジェクトもその1つ。集まった言葉もさまざまだが、いくつか紹介すると――。
「ときには、褒めてあげましょう。自分自身を」
「この壁さえ乗り越えられたら、自分はもっと強くなれる」
「疲れたら休んでいいんだよ。いつでも声をかけて。話を聞くよ。それから、また歩き出せばいいじゃないか」
これからの活動のなかで、多くの人に呼びかけ、訴えていきたいことを、生長さんは次のように話している。
「“がんに人生をハイジャックされる”のではなく、あきらめないこと、希望を持つことの大切さを知ってほしい。あらゆることを前向きにとらえ、小さくても、できることから行動してほしい。
自分でできることが1つでも見つかれば、自然とスイッチが入り、闘病や社会参加への勇気が湧いてくるもの。そのきっかけづくりとして、サバイバーが社会に向けて発信するツール、イベントなどを企画していきたいと思っています」