“夢の新薬”ともてはやされたイレッサの「薬害」を裁判で問う

取材・文:町口 充
発行:2007年8月
更新:2013年4月

  

“副作用の少ない夢の新薬”と発売の前からもてはやされ、異例の早さで承認されながら、発売後、短期間のうちに副作用の間質性肺炎による死亡者が相次いだ分子標的薬イレッサ(一般名ゲフィチニブ)。遺族たちは04年、「イレッサの副作用は薬害だ」として大阪と東京で国(厚生労働省)と製薬会社の責任を追及する損害賠償請求訴訟を起こした。それは、患者が主人公のがん治療を実現するための“命の尊厳を問う裁判”である。

「たいした副作用はない」と医者

写真:近澤昭雄さん
イレッサ薬害被害者の会代表の
近澤昭雄さん

原告の1人で、「イレッサ薬害被害者の会」代表でもある近澤昭雄さん(63歳)は、次女の三津子さんをイレッサによる副作用で亡くした。

三津子さんが肺がんとわかったのは01年9月、29歳のとき。医者からは「肺腺がんで、かなり進行している」と言われ、抗がん剤による治療が行われたものの、効果はなかった。

「ほかに治療法はないのか、何とか娘を助けられないか」という一心で、インターネットのがんサイトにアクセスしては情報を集めるうち、「イレッサという夢の新薬がいよいよ承認されるらしい」という情報を近澤さんがはつかんだ。それは、抗がん剤治療が終わりかけた02年7月はじめのことだった。

がんサイトの掲示板には「かなり前から個人輸入しています」「1日1錠を服用するだけで、あとは普通の生活ができる。たいした副作用は出ていません」「肺がんの影がほとんど消えました」「飲み始めてからめきめきと回復し、職場復帰ができました」など、書き込みの文字が踊っていた。

イレッサの製造・販売元はアストラゼネカ社というイギリスの製薬会社で、日本と欧米で実施された第2相試験では18.4パーセントの奏効率が認められたとして、02年1月、輸入承認を申請。同年7月5日、承認申請から5カ月あまりという異例の早さで、世界に先駆けて国の承認を受け、8月30日には保険適応となった。

近澤さんがイレッサのことを主治医に問い合わせたのは、承認されてから間もない8月はじめのことだった。

1週間ほどたった8月15日、主治医から「イレッサの服用が今日からできますよ」と言われた。三津子さんとともに、服用の同意書の説明と副作用に関しての注意などの説明を聞いてサインしたが、「副作用に関しての説明といっても、単にカゼ薬に書かれてある添付文書と同じようなことで、それほどたいした副作用はないと思いますよ、といったような話でした」と近澤さんは振り返る。

分刻みで奪われていった命

写真:薬害イレッサ シンポジウム
東京・野口記念館で開かれた「薬害イレッサ シンポジウム」

イレッサの効果は、確かにあったようにみえた。

「主治医からは、イレッサの服用で肺がんの影が3分の1に縮小していると言われました。娘も自分のレントゲン写真を見つめながらうれしそうに説明を聞き、私の顔を見返しながらニッコリと笑った顔が美しく輝いていました」

しかし、服用開始から1カ月半ほどたった10月3日、月に2度の定期検診日というので三津子さんが病院に行くと――。

「そのころは体調もよく、病院に行く前日にはフィアンセとデートにも行きました。ところが、レントゲン検査の結果、『肺に気になる影がある』と主治医から言われ、緊急入院。それからは、坂道から転げ落ちるように容態が悪化していき、まるで地獄絵図を見るようでした」

入院から2日目には酸素マスクが用意され、3日目をすぎたころからは呼吸が荒くなり、一日中酸素マスクをつけるまでになった。4日目から5日目になると、もはや自力で起きることができなくなった。

横になっていると呼吸ができず、ベッドに座ったままの姿勢でいるしかない苦痛のなかで、「娘の命は分刻みでなくなっていきました」と近澤さん。緊急入院からわずか14日後の10月17日、三津子さんは31歳という若さで、天国へと旅立っていった。

解剖で裏づけられた副作用被害

写真:イレッサ勉強会
大阪で開かれた「イレッサ勉強会」には多くの人が参加した

「お嬢さんは、イレッサによる間質性肺炎と思われます」と主治医から言われたとき、怒りがふつふつと湧いてきた。

「娘を解剖してください。この苦しみがどこからきたのか、真実を知らぬまま亡くなった本人に報告したいんです」

解剖の結果はやはり、イレッサによる間質性肺炎という所見だった。

調べてみると、10月15日、厚生労働省から、イレッサについての緊急安全情報が出されていた。「イレッサの副作用による間質性肺炎で死亡13人」という新聞報道もあった。死者の数はこれにとどまらず、発売後わずか半年で173人に達し、06年9月の厚生労働省発表では、副作用被害1708人、死者の数は676人となっている。

「これだけ重大な副作用が出ているのに、なぜ国も製薬会社も早い段階から注意を促さなかったのか。そもそも、イレッサが承認されたのは正しかったのか?」

そんな疑問を抱いているうち、たまたま東京・銀座4丁目の交差点を歩いていたら、医薬品機構の独立行政法人化に反対する人たちの署名活動に出くわした。メンバーは薬害オンブズパーソンなど、薬害問題と取り組む弁護士や医者など。国が行ってきた医薬品の審査、安全対策、被害救済といった業務が独立行政法人化されると、国の責任があいまいとなり、民間企業への依存が強まって、新薬承認に製薬会社の影響が及びやすくなるなどの懸念を訴えていた。

近澤さんは、そのとき初めて、薬剤被害をただ恨むだけでなく、国や製薬会社の責任を問う方法、すなわち裁判があることを知った。

娘を亡くした近澤さんの体験が新聞に掲載されたのをきっかけに、イレッサの副作用で亡くなった患者の遺族が集まり、03年4月、「イレッサ薬害被害者の会」を設立。翌04年7月、大阪地裁で薬害イレッサ西日本訴訟が、同年11月、東京地裁で薬害イレッサ東日本訴訟が提起された。いずれも、国とアストラゼネカ社を相手取り被害の救済を求める損害賠償請求訴訟(国家賠償訴訟)だ。

やっと出された「延命効果なし」の報告

写真:西日本訴訟の支援グループによる街頭行動
西日本訴訟の支援グループによる街頭行動(大阪・淀屋橋)

バラ色に描かれていた“イレッサの真実”が次第に明らかになっていった。

裁判の争点となっているのは主に、イレッサと急性肺障害の因果関係とその予見可能性、イレッサの有用性の有無などだが、このうちイレッサと急性肺障害との因果関係については、アストラゼネカ社が04年に調査を実施していて、イレッサによる急性肺障害の発症率は、ほかの抗がん剤を用いた患者に比べ約3倍に高まることが明らかにされた。

急性肺障害の予見可能性についても、「すでに臨床試験や、承認前の個人輸入により副作用症例が報告されており、予見可能性があったことは明らかです」と近澤さん。

イレッサの有用性も争点の1つだ。薬の有用性について検討するとき、どれだけの安全性があり、延命効果があるかをチェックするのは必須だろう。その薬によっていくらがんが縮小しても、薬の毒性によって寿命が縮小したのでは意味がないからだ。

ところが、イレッサが承認された当時、延命効果の有無は市販後に調査すればよいことになっていて、延命効果を調べる第3相試験は行われないまま、承認された。発売開始後、国内での第3相試験が実施され、その結果が報告されたが、ほかの抗がん剤と比べ「延命効果に有意差はなし」の結果だった。

海外ではすでに、同様の試験結果がいくつも出ていて、05年1月には、アストラゼネカ社はEUでのイレッサの承認申請を取り下げている。また同年6月、FDA(米国食品医薬品局)は「投与はすでに服用して効果のあった患者に限り、服用経験のない患者には与えるべきでない」とする警告を出している。

それでも日本では、イレッサの海外での臨床試験のうち、「東洋人では有効である可能性がある」とのデータを根拠として、現在もなお使い続けている。

提訴から今年で3年。西日本訴訟は16回の裁判を数え、東日本訴訟も5月に14回目の裁判があり、審理の途中だ。

近澤さんは、「娘にイレッサを勧めたのは自分だった」との悔いがある。裁判を始めるにあたって、酒もたばこもやめ、仕事もやめて、裁判に自分の人生のすべてをかけることにした。 「判決が出たときが、自分の一生の終わるとき」という近澤さんはこう語っている。

「がんの薬を選択するとき、“最後の選択肢”という言い方をすることがありますが、それはおかしい。薬とは本来、希望を持って飲むものであり、その希望が裏切られたのがイレッサです。無念の思いで亡くなっていったがん患者の命の重さを、1人でも多くの人に訴えていけば、医療は変わる、抗がん剤の治療は必ず変わると信じて、これからも行動していきたいと思っています」


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