卵巣がん治療の選択肢を広げるために、未承認抗がん剤の早期承認を!

取材・文:町口充
発行:2007年2月
更新:2013年4月

  
写真:寄せられた署名を集計する「スマイリー」会員たち
寄せられた署名を集計する「スマイリー」会員たち

06年11月16日、東京・飯田橋の東京ボランティア・市民活動センターに、重いスーツケースを引いた女性がやってきた。「卵巣がん体験者の会スマイリー」の代表、片木美穂さん(33歳)だ。

この日、「スマイリー」の会合があり、7人のメンバーが集まってきた。同会は主にインターネットを中心に活動していて、こうして直接、顔をあわせるのは、この日でようやく2回目という。

それでもみんな旧知のようにごく自然にあいさつを交わし、片木さんが「どっこいしょ」と、25キロもある重いスーツケースをテーブルの上に乗せて、中を開けると、あふれ出たのはぎっしりと詰まった署名簿だった。

メンバーたちは手分けして署名してくれた人の数を数えた。

わずか2カ月で2万を超える署名

写真:山と積まれた署名

山と積まれた署名。11月1日の第1次締め切り日までに寄せられた署名は短期間の間に2万人を超えた

「2万1885人!」

「わー、すごい!」

みんな、手をたたいて喜んだ。

「世界標準がん治療薬でありながら日本で未承認の、卵巣がんに効果があるとされる抗がん剤の早期承認と、卵巣がんで保険適用外となっている抗がん剤の保険適用」を厚生労働大臣に要請しようと署名活動を始めたのは、06年8月のこと。会員数50人あまりという小さな集まりにすぎないが、家族や知人・友人、さらにネットでも呼びかけて、1次締め切りの11月1日まで、わずかの期間に寄せられた2万を超える人々からの署名。片木さんたちは、多くの人々からの応援にますます意を強くするのだった。

“心の師匠”との出会い

写真:片木美穂さん

卵巣がん体験者の会スマイリー」の代表、片木美穂さん。手に持っているのは、ともに活動し、志半ばで亡くなった「たひさん」が大切にしていたクマのぬいぐるみ。今では会のマスコットになっている

そもそも片木さんが、仲間とともに署名活動を行うようになったきっかけは、自身が卵巣がんの体験者ということ以外にも、特別な出来事がある。

片木さんは2003年2月、2人目の赤ちゃんを流産。このとき、初めて右の卵巣が大きくなっていることを指摘された。当初、「良性の腫瘍でしょう」といわれたものの、右卵巣は秋ごろから急に大きくなって、翌年2月には7×5センチにまでなっていた。

医者は「卵巣嚢腫」と診断し、「2人目を産みたいなら、手術して取ってしまったらどうか」という。東京に住んでいた片木さんは、実家のある大阪の病院に入院し、4月に手術を受けることにした。

ところが、開腹手術をしたところ、術中の迅速診断で「がんの疑いのある境界悪性」との所見が出て、「あやしいのであれば命を優先したい」という両親と夫の判断で、卵巣と子宮を失うことになった。手術から数日して細胞診の結果が出た。1a期のがんとわかり、抗がん剤治療を受けることになった。

「覚悟はしていたものの、がんといわれたことはショックでした。でも、泣いても仕方ないし、まわりには“同じ時間を過ごすなら笑うべし”などと強気の発言を連発してました。たぶん、それが精一杯で、泣くという感情表現ができなかったんだと思いますが……」と彼女は述懐する。

「抗がん剤治療はタキソールとパラプラチンをともに点滴で3クール(約3カ月)ということでしたが、いよいよ治療が始まるというときになって、吐くような苦しみとか、髪の毛が抜けるひどい副作用があるに違いないと、急に恐怖感がわいてきました」

治療開始が迫り、怖くて夜中に泣いたり、眠れなくなっている片木さんを気づかって、隣のベッドの女性が声をかけてきた。

「その方は50代のおばちゃんで、私もあんたと同じ病気やから、薬を打ってるところを見せたるわ、横で見てたらいい、といってくれたんです。その人の治療風景を見せてもらうと、ご飯もバクバク食べて、見舞いの人とも平気でしゃべっている。目から鱗という感じで、抗がん剤への恐怖心がすっかりなくなりました」

写真:長男の香之介君と
長男の香之介君と

以来、“おばちゃん”は片木さんの“心の師匠”となり、つらい入院生活を笑顔で乗り切ることができたという。

「おばちゃんと出会わなければ、きっと私、がんであることを内緒にして、一生を隠れて暮らしていたと思います。おかげで私自身の性格もコロッと変わって、明るくなりました」

たまたま入院したのがキリスト教法人が経営する病院だったこともあり、訪ねてきた牧師に「なぜこんなに若くしてがんにならなくてはいけないの?」という、周囲にはいえない悩みや不安を聞いてもらえたことも、支えになった。

やがて退院して、東京に戻った片木さんだが、がん患者が発するSOSをしっかり受け止めてくれた“おばちゃん”と、牧師さんのことが忘れられなかった。

インターネットを通じて患者会を立ち上げる

ところが05年夏、逆に“おばちゃん”からのSOSを受け取る。“おばちゃん”は医者から「手を尽くしたけれど、もはや治療手段はありません」と宣告されたのだという。片木さんはすぐに大阪に駆けつけた。

“おばちゃん”は80歳の父親と2人暮らし。これまでいろいろ薬を試したけれど、治療を続けるうちに耐性ができて、だんだん効かなくなってきた。ほかにも代替医療とか、未承認の薬を輸入する方法もあるけれど、そこまでして治療を受けるお金はない。死を待つしかない自分の現実を、ようやく受け止められるようになった。それであんたにも伝えることにしたのよ……。

“おばちゃん”はその1カ月後に亡くなった。

実は“おばちゃん”が亡くなる前から、片木さんは、1人で思い悩む同じがん患者に少しでも役に立つため、「自分で何かできることはないか」とホームページを開設したりして、模索を始めていた。“おばちゃん”の死は彼女の背中を強く押した。

インターネットを通じて、がん患者やその家族との交流を続けるうち、ハンドルネーム“たひ”さんという女性を知った。やはり卵巣がんの患者で、“おばちゃん”同様、国内の承認薬ではもはや効果が出ない状態となり、「がんの進行は待ってはくれない」と、たひさんは自費で未承認薬を使った治療に挑戦を始めた。ネット仲間たちは、たひさんを応援した。それだけでなく、助かる命を救うために世界で有効とされている抗がん剤の早期承認を求めて、「卵巣がんネット患者会」を立ち上げ、ネット署名を始め、それに片木さんも加わった。06年の夏のことである。

しかし、署名の輪が広がり始めた9月15日、たひさんは帰らぬ人となってしまった。

署名はいったん休止したが、たひさんの遺志を引き継ぎ、「卵巣がん体験者の会スマイリー」として再開。2万人を超える声を結集するまでに至ったのである。

治療の選択肢が限られている現状

写真:大原まゆさんと

乳がん患者で『おっぱいの詩』の著者、大原まゆさんと

現在日本では、卵巣がんに標準的に使われ、ファーストラインとされる抗がん剤として、タキソールとパラプラチンの併用は一般的に効果が認められている。しかし、治療を続けるうち耐性ができて効果がなくなっても、セカンドラインの薬は種類も限られ、やがて治療の手段がなくなってしまうケースが少なくない。つまり、治療を受けたくても、選択肢は極めて限られているのが現状なのだ。

「日本での承認薬がないというので、自己負担で輸入しようとすれば、かかる費用は莫大です。日本で未承認のドキシルの治療を1回するのに、50万円近くかかったという話もあります。時間と労力も伴います。日本の保険適応内での治療方法がないといわれるような体調の患者さんが、自分で病院を探し、輸入のための手続きをし、それまでにも多額の治療費を払っている上に、さらにそれだけ自己負担をするのです。あまりに酷だとはいえないでしょうか。ぜひとも日本で、保険適応内で治療できることを望みます。そして薬剤が承認されても、薬害が起こらないように、医師の徹底した治療方法の理解と治療に使うよう、指導してもらうことを願います」

このように語る片木さんらは、さらに署名活動を続けている。


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