同じ再建なのに、なぜ保険がきいたりきかなかったりするの?
失ったおっぱいを取り戻したい 乳房再建に保険の全面適用を!

取材・文:町口充
発行:2006年7月
更新:2013年4月

  

シンガポールで乳がん手術

写真:内田絵子さん

「乳房再建の保険全面適用を」と訴える内田絵子さん

1993年12月、ご主人の仕事に伴い、2人のお子さんを加えた家族4人でシンガポールに滞在していた44歳のとき、ふと左乳房にしこりを感じ、シンガポールでクリニックを開いていた日本人医師の診察を受け、乳がんとわかった。

日本に一時帰国することも考えたが、「家族のいるところで治療を受けてほしい」というご主人の言葉に、シンガポールで治療を受けることにしたが、これが正解だったと内田さんは振り返る。かつてイギリスの植民地だったシンガポールの医療技術は高く、インフォームド・コンセント(十分な説明と理解しての同意)は充実していたし、セカンドオピニオンも当然のこととして勧められ、医療者側からの気配り、心配りも十分にされていて、納得できる医療が受けられたという。

左の乳房とリンパ節を切除する非定型的乳房切除術を受けたが、何よりショックだったのは、乳房を失った悲しみだったという。内田さんは、“おっぱい”への思いをこう語る。

写真:シンガポールの病院で

内田絵子さんががんの治療を受けたシンガポールの病院で、ナースに囲まれて

「人生は、幼児期から少女期、思春期、成長期、壮年期……と続いていくけれども、女の人生は胸とともにあるといっていいほど。少女期には、胸のふくらみに恥ずかしいような気持ちになり、年ごろになれば甘美な思いをして心をときめかせ、母になれば生まれてきたわが子に命を与える役目をする。生きる命の源であり、母性の輝きや慈しみの思いがいっぱい詰まった、癒しの源が乳房です。人類の命の繁栄と豊饒の象徴でもあります。それを突然、理不尽にももぎ取られる悲しみは、ホントに悔しくて、何と表現していいかわからないほどでした」

幸い、内田さんは乳がんの手術を受ける前、乳房再建の方法があることを聞いていた。しかし、今でこそ乳房再建が普及し、切除手術と同時に再建手術を行う医療機関も増えてきているが、当時はまだ乳房再建は一般的ではなく、まわりの女性たちの話を聞いても否定的な意見が多かったという。

「がんだったのに命が助かったんだから、おっぱい、おっぱいって、そんなにこだわることはないわよ」「今さらお嫁に行くわけではないし、結婚し、出産も終わっているんだから、乳房はもう必要ないのでは?」

乳房再建はパワーアップ

では、男の人はどう考えているんだろうと、日本にいる男の親戚や友人10人に国際電話をかけたところ、意外な答えが返ってきた。

「絵子ちゃんはがんに勝ったね。再建するというその姿勢、意気込み、応援するよ」「『心は錦』というけれど、外見の美しさも大事だね」

と、みんな賛成してくれるではないか。中でも、20代の男性の言葉が心に響いた。

「乳房再建ですか――。絵子さん、これでパワーアップですね!」

彼女は述懐する。

「私の胸にストンと落ちて、元気が出た言葉が、このパワーアップという言葉でした。もしがんが再発しても、また頑張れると思いました。今までよりもっと元気になることができる。病気になってマイナスになったものが、乳房再建によってもう1度、いえ、それ以上プラスになると思うと、心の底から元気が沸いてきました」

写真:NPO法人ブーゲンビリアの会員のみなさん

NPO法人ブーゲンビリアの会員のみなさん。がんの問題に前向きに取り組み、みんな明るい笑顔

写真:ブーゲンビリア主催のシンポジウムで司会する内田さん
ブーゲンビリア主催のシンポジウムで司会する内田さん(右)

乳房再建を決意する前の内田さんは、乳房が2つある女性に比べて、自分だけが取り残されたような、落ち込んだ気持ちにもなっていたが、それも払拭された。

乳房再建手術には、シリコンなど人工物を移植する方法と、自家組織(腹部や背中の皮膚や脂肪)を移植する2通りの方法があり、彼女が選んだのは自家組織を移植する方法だった。

「6時間かかった手術は無事、成功して、数日後、鏡の前に立って胸のふくらみを見て、そっと触ってみました。やわらかくて、あたたかくて、生きていました。間違いなく私のおっぱいで、できたてのおっぱいは、心臓のドクン・ドクンという軽やかなリズムに合わせて弾んでいました。こんなにも自分の体をいとおしく思ったのは、初めてのことでした」

95年、ご主人の任期が終わり、帰国。それと前後して、彼女がつけていた闘病日記をたまたま親戚の人が読み、人づてに伝わって「本にしてみてはどうか」となり、『メイド・イン・シンガポールのおっぱい』という1冊の本になって96年に出版され、翌97年にはテレビ東京で『ドキュメンタリー人間劇場・おっぱいがふたつほしい』として放映。多くの人から反響が寄せられた。

さらには、生まれて初めて講演を頼まれ、そのとき集まった人たちとともに、98年に発足したのが「内田絵子と女性の医療を考える会」。昨年10月にはNPO法人「ブーゲンビリア」として認可された。

写真:ピンクリボン・キャンペーンに参加したブーゲンビリアのみなさん

ピンクリボン・キャンペーンに参加したブーゲンビリアのみなさん

「最初は25人の仲間とともにスタートし、乳がん体験者も、未体験者も、男性も女性も集まっていただき、情報交換や学習会を通して、女性の健康、医療などについて考える一助になればと活動しています」

と語る内田さんだが、会の活動の1つが乳房再建であり、ホームページでも乳房再建についての体験者の声や、乳房再建のアンケートに答えてくれた病院の紹介もしている。内田さんはNPO法人日本乳房インプラント研究会の倫理委員でもある。

また、「乳房再建をすべて保険で」と厚生労働省などに訴える活動も展開中だ。

保険のきく再建・きかない再建

乳がんの切除手術を受ければ、程度の差こそあれ腕のむくみとか胸のひきつれ、あるいは圧迫感などが残る。片方の乳房がないための肩こりや腰痛、頭痛に悩む人もいる。これは立派な機能障害であり、その治療のために乳房が再建されるなら、費用を保険でまかなうのは当然のこと。ところが、どんな再建方法を選ぶかによって保険適用が異なってくるので、やっかいだ。

自家組織を使う再建は保険適用になるが、インプラント法を選択した場合、シリコンなどの人工物は医療材料として未承認なので、再建費用は保険外となり、自費負担しなくてはならない。一般的に、自由診療だと100万~130万円ほどかかるといわれている。

もしも乳房の切除と再建を同時に行ったとすると、インプラント法を採用すると保険診療と保険外診療を組み合わせる混合診療となり、現行では混合診療は禁止されているため、摘出手術も含め、全額自己負担しなければならなくなる。 ただし、病院によっては、人工物を差額ベッド代に上乗せするなどして、自己負担分が増えないようにしているところもあり、かかる費用は一概にはいえないようだ。

失ったものを取り戻すだけ

写真:乳房再建についての参考書

乳房再建についての参考書、同会編による『おっぱいが二つほしい』(北水刊)と『メイド・イン・シンガポールのおっぱい』

しかし本来、だれもが等しく医療を受けられるのが日本の保険医療のあり方のはず。目や耳、手や足がたとえ片方でも、ほんのちょっとでも失われれば、その再建手術は当然、保険適用となるはずだ。それがなぜ乳房では認められないのか――。

内田さんはこう語っている。

「もちろん中には、乳がんの切除手術で受けた傷は自分の人生の一部だからと誇りを持って、あえてそのままにしている人もいます。でも、2つあった乳房を取り戻したいと願っている人が多いのも事実で、どちらがいいかは患者自身が選択すること。そのとき、お金がないから再建できないのでは、あまりにもひどい。とくに、若くしてなる人が多いのが乳がんですが、子どもがいるとかマイホームを買ったばかりとかで、お金が要る時期でもあります。再発を心配しながら、保険がきかないので家族に再建をいい出しにくい、という女性だっています。特別のことではなく、失ったものを取り戻すという、ただそれだけのこと。1日も早い全面適用を実現してほしいと願っています」


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