小児がん経験者が生きやすい社会を求めて発した「横浜宣言」とは

小児がんを正しく知ってほしい。そして、小児がん経験者を温かく見守って

取材・文●町口 充
発行:2013年3月
更新:2013年6月

  

小児がんネットワークMN(みんななかま)プロジェクト代表の小俣智子さん

代表:小俣智子

所在地:〒164-0001 東京都中野区中野5-32-11
中野シティプラザ中野504-14
http://www.accl.jp/mnproject/
email:mnproject@tenor.ocn.ne.jp

小児がんを発症する人は年間約3000人。小児の病死原因の第1位を占めています。けれども国の対策は遅れており、一般の理解も進んでいるとはいえません。「小児がんのことを正しく知ってください。社会全体の理解は私たちの生きやすさ、生きていく勇気や希望につながります」。2012年の暮れ、小児がんの経験者が集まり、社会に向けてこのように宣言しました。

小児がん経験者による横浜宣言


「共に生きよう 小児がん横浜宣言」の宣言書は、ホームページからダウンロードできる。「多くの人に知ってもらえるよう、病院のロビーなどに掲示を依頼していきたい」と小俣さんは語る

「宣言」が発せられたのは2012年の12月1日。「小児がんネットワークMN(みんななかま)プロジェクト」が横浜市で開催した日本初の「全国小児がん経験者大会」で、参加者全員の賛同を得て採択されたものです。

「共に生きよう 小児がん横浜宣言」と題したこの宣言は、その目的を「ひとりでも多くの仲間たちを救える医療体制を求め、小児がん患者が前向きに生きられる社会を実現するために」として、「私たちにできること」「医療者や教育者、家族、行政、そして社会へのお願い」をつづっています。

「MNプロジェクト」は2005年、小児がんの経験者が集まって、仲間との出会いやつながり、社会に対して小児がんへの理解を深めていくことを目的にスタート。小児がん経験者のネットワークづくりをサポートしたり、実態調査にもとづく情報発信、イベント開催、全国出前講演などを行ってきました。

13歳で白血病を発症

同プロジェクトの代表である小俣智子さん(44歳)は13歳のとき、急性リンパ性白血病を発症しました。

「今でこそ小児がんは7~8割が治るようになり、小児がん経験者は全国に5万人いるともいわれていますが、私ががんになったころはまだ治癒率が2割、3割の時代。とにかく命を救うことが最優先と、かなり強力な化学療法や放射線治療を受けた記憶があります」

大人と異なり子どものがんの場合、がんになったあとに長い人生が残されていて、がんが治ってもさまざまな問題を抱えて生きていくことになります。

たとえば治療後、何年もたってから発症する晩期合併症。化学療法や放射線治療が正常細胞にも与えた影響が、長い年月を経て合併症として発症するものです。小俣さんも15年前に足の裏に悪性黒色腫を発症し、7年前には乳がんになっています。

小児がんはうつる病気?

しかし、一般の人々は小児がん経験者に晩期合併症があることも知らないし、そもそも小児がんについての理解そのものが不足しています。

小児がんを「うつる病気」と勘違いしている人がいまだにいるといいます。また、映画やテレビドラマの影響からか、「小児がん」=「死につながる不治の病」とされ、がんを経験して成人した人を珍しい存在として接する風潮は今もあります。

「私が小児がん経験者としての活動を始めたころは、医療の進歩によって、多くの子どもが治るようになりつつあるときでしたが、行政も医師も私たちのことを『長期生存児』と呼んでいました。つらい治療を乗り越えた私たちにとっては、距離感のある表現でした。そんな呼び名はやめてほしいと訴えて、ようやく最近、小児がん経験者という言葉が定着しています」

晩期合併症も、かつては「晩期障害」と呼ばれました。英語では「レイト・エフェクト」なので、直訳すれば「晩期あるいは後期の効果・影響」という意味。「障害というのはおかしい」との声が小児がん経験者から上がり、「晩期合併症」と改められています。

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