ドイツがん患者REPORT 29 「R.Y.S 設立5周年記念パーティ」

文・撮影●小西雄三
発行:2017年3月
更新:2018年10月

  

懲りずに夢を見ながら」ロックギタリストを夢みてドイツに渡った青年が生活に追われるうち大腸がんに‥

2017年1月30日。月曜日の夕方、以前17年間住んでいたミュンヘン・シュバービングという旧繁華街の老舗のレストランで、「R.Y.S」設立5周年記念パーティが開かれました。この団体の〝専属バンド〟とも呼ばれている僕のバンドInksが、パーティを盛り上げるために演奏しました。

「R.Y.S」にいろんな形で参加したり、援助した人たちが大勢集まり、パーティは始まりました。それぞれの胸にはいろいろな思いが湧いてきたことでしょう。僕自身は「R.Y.S」とは3年のお付き合いになりますが、「がんサポート」のこの連載のきっかけとなったこともあって、感慨深かったのでちょっと報告します。

「R.Y.S」とは?

「R.Y.S」とは、Recover Your Smile、「笑顔を取り戻そうよ」という意味の頭文字を冠したがん患者支援団体の名称です。これだけを聞いても何のことかピンとこないと思うので、少し説明させてもらいます。

基本的には、女性がん患者を精神的にバックアップして、つらい治療を精神面で助け合おうということを目標にした非営利団体です。今、手を貸せる人(多くはがん体験者や、がん患者、がんで身近な方を亡くした人)が、がん治療中に生活や見かけの変化にショックを受けている、とくに若い女性がん患者を勇気づけようというのが、活動の目的になっています。

その方法として、ネットや会話を通じて孤独感を減らし、恐怖感を少なくすることが大事です。しかし、若い女性ががんになって一番自尊心や心が折れそうになる「見た目の変化」を、逆にアトラクティヴ(魅力的)なファッションやメークアップで変身させて、非日常なシチュエーションでフォトシューティング(写真撮影)をすることで、自信や生きることの素晴らしさ、患者が治療中でも美しいことを再確認してもらい、少しでもつらい治療の心の助けにしてもらおうとしています。

「R.Y.S」の活動を紹介する小冊子

プロのメークアップアーティストが、奇抜とも見える多彩なコスチュームに合わせて、整髪してメークアップします。そしてプロのカメラマンによるフォトシューティングをスタジオで、またはロケ地で、希望する女性がん患者に提供しています。本拠地はミュンヘンですが、ときには出張することもあります。

ドイツでは、世界的に有名なファッションモデルを輩出していることや、モデル登竜門のようなTV番組も多かったので、モデルにあこがれた少女時代を過ごした影響もあるのでしょう。そういう非日常的なことに感動をおぼえ、撮影の最中や撮影後に、本当にみんないい顔になっています。

「R.Y.S」の設立のきっかけ

連載の1回目と重複するので、なるべく簡単にまとめます。ドイツでベストセラーになった、『Nana der Tod traegt Pink』(ナナ 死はピンクを着て)という写真闘病記があります。

18歳でナナは、骨肉腫となりました。そして20歳のとき、たとえがんでも家族や友だちそして恋人のクリスと、できる限り普通に生きることを決めました。アマチュアカメラマンの母バーバラがその姿を写真に収め、母の友人の元記者ドロが、ナナの心情や状況を綴りました。

彼女の普通とは、20歳の女性が、その年頃の女性らしくおしゃれをしたり、メークアップをしたり……。ファッションモデルやアクトフォトモデルのような奇抜なファッションやメークアップを、いろいろなシチュエーションで、女の子として子どもの頃願ったようなことをやってみようっていうことでした。その姿勢に賛同したプロカメラマンの協力もあり、ナナの写真展を開きました。それが大きな反響を呼び、本はベストセラーになりました。

ナナは、自分が感じた幸福感を、闘病している他の若い女性がん患者にも味わってほしい、それがつらい闘病の助けになると信じて、ナナの母親バーバラ、共著者ドロほか数名の協力で立ち上げたのが「R.Y.S」です。ちょうどその頃サルツブルグ大学が、このような活動が治療の補助となることを、学術的に発表したことも大きな後押しにもなりました。

残念ながらナナは21歳で亡くなり、本の成功を見ることはできませんでした。しかし、彼女の意志は5年たった今も受け継がれ、「R.Y.S」に賛同してくれる人たちも、フォトシューティングをした人たちも増えていっています。

パーティは続く

50人以上が参加したパーティが午後5時から始まり、おいしい食事と僕らの演奏は11時頃まで続きました。みんな何らかの形で協力をしてくれている人たちです。楽しく思い出話をする人たちや、ときにはつらい思い出や悲しい思い出でうっすらと涙を浮かべている人たちもいました。バンドのボーカル兼ギターのデーヴも、一昨年に若くして娘を大腸がんで亡くしているので、時折思い出していたようです。

パーティの始まりには、参加者たちの紹介がありました。その中に、新しく賛同してくれた人で、見たことのある若くてきれいな人がいました。自己紹介で、最近売り出し中の女性司会者だとわかりました。彼女は、一度フォトシューティングを見学して感銘を受け、この団体のことを世の中に広めていきたいと思ったそうです。患者を援助するというより、参加することで心の中に眠っていた「生きる」という感情が覚醒されたといいます。今でも流行っているかは知りませんが、日本風に言うと「元気をありがとう」、という感じかな。

当日のパーティに、ドラッグストアのチェーン店の1つが1,000ユーロ寄付をしてくれて、加えてレストランの全費用のうち、1,000ユーロを超えた分は、レストランが負担してくれるそうです。

また、ミュンヘンにある地方銀行が、今年中に1万ユーロの寄付を集めると、名乗り出てくれました。人件費はボランティアで何とかなるものが多いのですが、実費は寄付を集めるしかないので、活動にはどうしてもリミットがあります。「もっとたくさんの人に知ってもらい、もっとたくさんの女性を助けたい」という気持ち、僕にもよく理解できるので、とてもありがたいことです。

演奏をするInksのメンバー。モニター横、座してギターを弾く筆者

僕たちのバンドは、2時間ほど演奏しました。僕にできることはそんなことぐらいですが、いつも演奏が終わると、みんなが嬉しそうに声をかけてくれます。疲れているはずなのに、逆に高揚して元気になって家に帰って来ることになります。

「R.Y.S」との3年の付き合いで、楽しいこともいっぱいありましたが、やはり亡くなる人も多いので、悲しいこともたくさんありました。僕は、病気になってからは、どんなことでも受け入れられますが、それでも喜怒哀楽の感情はまだ持っています。

「感動も多いけれど、悲しい気持ちに耐えられるタフな心がないと、つらくなるよ」ってはじめのころ言われました。でも、これらのことは、決して人生の経験として悪いことではありません。がんという病気が〝治る病〟になる日が来るまで、こういう活動を続けていって欲しい。5年の月日は確かに長いのですが、でもそれはまだ通過点。これからの活躍に「僕が少しでも協力ができたならいいなあ」って再度思った1日でした。

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