ドイツがん患者REPORT 34 「知らない人の告別式」

文・撮影●小西雄三
発行:2017年8月
更新:2018年10月

  

懲りずに夢を見ながら」ロックギタリストを夢みてドイツに渡った青年が生活に追われるうち大腸がんに‥

2017年6月1日、僕はミュンヘンの大きな墓地にある斎場にいました。ミュンヘンには東西南北に大きな墓地があり、出向いたのは東。告別式で、演奏をするためです。

レギーナという名前、イタリア系のファミリー出身、乳がんで亡くなったこと以外故人について僕はなにも知りません。演奏の話を持ってきたバンド仲間のデーブも、直接には知りませんが、故人の姪がデーブの古くからの友人という関係です。

姪は2年前、デーブの娘ナディーンの大腸がん肺転移で25歳の若さで亡くなったときの演奏を見て、そして何度かライブを聴いて、演奏を依頼しようと決めたそうです。

演奏料は無し。ナディーンの生演奏による見送りに感動して、大好きだったおばさんにもぜひそうしたいという理由だけで十分です。それに僕たちの演奏なら身内が歌えるというのも、選ばれた理由でした。

歌で大好きだったおばさんを送りたい

ミュンヘンに住んでもう30年、何度か葬儀に参列しました。ミュンヘンや、地方の田舎でもありました。ミュンヘンでの葬儀は、混雑しているために1時間刻みでとり行われていましたが、ルイーゼの葬儀のあったライプチヒでは、もう少しゆっくりと時間が取れていました。

ミュンヘンの東にある斎場

花が飾られた円形で搭状の斎場。そこには故人を偲べるものは、写真だけでした。そのうえ時間に余裕がなく、次の組の時間が気になり、そのときは形だけっていう感じを受けました。自分が悲しむこともない葬儀に参加するのは、人生初のことでした。故人は乳がんでしたが、緩和治療もうまくゆき、苦しむことなく人生を全うできたと聞いていたので、本当に第三者の立場でした。とはいえ、珍しく僕は演奏前に緊張していました。

身内の女性たちは、故人が好きだった曲を歌って最後の別れを告げ、送り出してあげたいと思ったそうです。普通の葬式ではあまりないことですが。

故人には、子供がいません。それ故姪や甥たちが成人しても、彼女との絆が緩むこともなかったのでしょう。姪たちが告別式のイニシアティブを取っていました。イタリア系のファミリーということで、信仰心や家族のつながりをドイツ人より大事にすることもあるのかもしれません。

もし僕が彼女だったら? と少しシミュレーションしてみました。すると、こうはならないと思います。僕には、甥っ子が2人、姪っ子が1人いて、成人した今も僕を大事にしてくれ、誕生日などに招待すれば、少々無理してでも遠方から来てくれます。しかし、葬儀まではしてくれないでしょうし、また僕も望みません。故人はきっと人徳のあった人なんでしょう。

神経を集中してギターを歌に合わせる

さて、彼女たちは2曲選びました。2曲とも70年代に欧州で流行った曲で、耳にしたことのある曲でした。とくに、「ハレルヤ」という曲は、確かに葬儀にはふさわしい曲です。ただ、この曲は弾き語りの曲で、楽器と歌のテンポがフリーなので、かなり難しい曲。それに、こちらの人は鼻歌のように歌う機会は多くても、日本のようにカラオケで鍛えていないので、すごく心配でした。

事前にデーブは2時間ほど彼女らと練習しましたが、ほとんどおしゃべりで終わったらしいです。(デーブもバンドの練習中によくしゃべり、あまりにも練習時間が短くなるので、僕は無口になります)

「女3人寄れば姦(かしま)しい」と言いますが、イタリア系はとくに姦しい。普段はそれでもよいのですが、こういうときはちょっと困りものです。

僕も前日にデーブと会って30分ほど打ち合わせをして、あとは本番待ち。いつもは、待ち合わせに遅れ気味の僕ですが、当日は30分以上も前に到着、デーブも同じでした。それで、音合わせの時間が取れたのですが、彼女たちはいつも途中、とくに一番のサビの部分で、息が続かなくなりテンポがものすごく早くなり、音符の1つや2つをすっ飛ばしてしまいます。

それでも、まあ、何とかなるだろうと思うことにしました。誕生日パーティとかでなら、こういうのもご愛敬ですが、さすがに葬儀では……と、久しぶりに神経を集中して彼女らの歌に合わせました。

円形の建物と天窓の効果

告別式が始まると、その空間は一変して悲しみに包まれました。会場はレンガ造りの塔のような建物で、装飾はほとんどなく不規則に塗られた壁が、円形に僕たちを覆っていました。それに天井が高く、中心に天窓があり空が見えました。そこから差し込む光はほこりを反射し、天から差し伸べられた手、もしくは天上へ繋がる道のようにも見えました。これを設計した人は、きっとそういう効果をねらって作ったのだろうと感動しました。

扉を閉じることで、外部を遮断して厳かな雰囲気を作る。送る言葉も、強いエコー効果とぐるぐる回るサウンドエフェクトのせいもあり、もしソロで歌ったら大きな感動を呼び起こしたに違いありません。

しかし、今日は「姦しい」にもう1人加わり、4人の女性が歌いました。微妙にエコーがかかるせいか、1人ひとり、少しずつ歌がずれていました。高音で歌うサビの一番いいところは、音合わせのときよりもはるかに音符の存在を無視し、バラバラすぎて、僕もデーブも合わせようがありませんでした。が、この場では上手下手は関係なく、歌で故人を送るという気持ちが伝わり、みな満足していましたし、式が終わった後、決して少なくない人たちが、僕たちに感謝を述べてくれました。

左右に有名人が葬られている。中でも、2005年に起こったスキャンダル殺人事件の被害者、ドイツファッション界の大立役者だったモースハマーの墓がある。ホモセクシュアルで、ミュンヘン駅前で声をかけ、自宅に呼んだアラブ系不法移民との間で金銭でもめて殺された。葬儀は国葬級だった。社会活動でも大きく貢献した人で、今でも花を供える人が後を絶たない

彼女たちの歌の後、友人の希望でデーブが娘のがん闘病時に彼の気持ちを綴った曲を3度も演奏しました。この曲は去年のデーブの誕生日に、僕が作詞作曲してプレゼントしたものです。

デーブは歌詞を書くのが苦手。しかも「ドイツ語の曲は歌わない」をモットーにしています。英語の曲がいいんだそうです。確かに、ロックにドイツ語は、響きとして不向きと僕も思っています。

この曲は、デーブから娘ががん闘病中に歌詞を書いてくれと頼まれていたのですが、僕はすぐには曲作りを進めませんでした。理由は、内容が「娘を思う父親の気持ち、無力感、苦しみ」だからです。

僕はがん闘病を経験しているので、患者がどういう言葉に敏感に反応しやすいかも知っています。「たとえ事実でも、周りに迷惑をかけているんだなあ」っていう思いを、彼女にさせたくないという、僕なりの配慮でした。

この日のこの曲の演奏は本当によかった。僕自身もいろいろ思い出し、センチメンタルになっていたせいかもしれませんが……。思い出って、そういう個人のものだと思います。

デーブの誕生日に再会した人

先日、デーブの60何回目の誕生日パーティに行ってきました。そこで、去年の今頃僕たちが参加した、個人でがん患者へのチャリティコンサートを企画した人と再会し、いろいろと話しました。

彼女は乳がん摘出後に再建手術を受けましたが、健康なもう片方の乳房も予防のために切除して、再建したそうです。しかし、安くないその費用を、健康保険が全額でなく、2割しか補助してくれないと怒っていました。

ドイツでは乳房再建は保険適用されますが、予防的切除のあとの再建は一部しか保険適用されません。僕は、乳房再建の費用を健康保険が出してくれること自体進歩だと思っていますが、本当に人によって受け止め方はそれぞれで、万人が満足なんてないって思いました。

デーブの娘ナディーンが他界して2年。遺児の娘はもう6歳、9月から小学校に行きます。当時、生まれたばかりの赤ちゃんだった2番目の娘の子供には今回初めて会ったのに、僕の指をつかんで家じゅうを引っ張りまわして、ものすごく少ない単語で説明してくれるようになっていました。

「時は過ぎゆき、人は移り変わる。今と同じ瞬間は2度と来ない」

盛夏の6月下旬の強い日差しが夕焼けに変わるなか、そう感じました。

行く人もいれば、来る人もいるなか、僕は今も生きている。

人に求められたら、人が喜んでくれるなら、動けるのなら、都合がつく限り演奏していこうと思った1日でした。

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