ドイツがん患者REPORT 37 「新しいウォーキングシューズ」

文・撮影●小西雄三
発行:2017年11月
更新:2017年11月

  

懲りずに夢を見ながら」ロックギタリストを夢みてドイツに渡った青年が生活に追われるうち大腸がんに‥

「誕生日のプレゼント、何がいい?」と友人に聞かれ、しばらく考えた後に「ウォーキングシューズ」と答えました。ドイツでは、売っていないからです。ジョギングシューズ、ランニングシューズ、フィットネスシューズ、もちろん多種多様のサッカーシューズが店頭に並べられています。

しかし、日本によくあるようなウォーキングシューズを見かけたことがありません。友人は「ドイツで本当に売ってないの?」と、半信半疑でした。

先日、そのウォーキングシューズがやっと日本から届き、僕は大喜びしました。誕生日は8月だったのですが、ドイツの郵便局がミスして(税関に呼び出されたとき、言われた言い訳です)、荷物が届いた通知もしないで、3週間の保管期間が過ぎたとの理由で日本へ送り返したそうです。それで、もう一度送ってもらったため1カ月遅れとなったわけです。

抗がん薬の副作用ですり足に

肉体労働系の仕事をしていた僕は、ビジネスシューズを履く必要もないので、楽な運動靴を仕事のときもプライベートでもずっと履いていました。1トン近い雑誌などのパレットを扱い、フォークリフトに乗るので、労働局から安全靴の着用を義務付けられましたが、それでも長年運動靴を履く生活でした。

闘病中の9年間、何足か運動靴を購入しましたが、フィットしませんでした。日本と違い、40、41と表示され、僕のサイズの27㎝は、42.5(実際にはないサイズ)となるので、そのせいかな? とも思っていましたが、どうやら違っていました。サイズではなく、歩き方に問題があったようです。足がちゃんと上がらず、高齢者のようにすり足になっているからでした。

最初の抗がん薬治療後から副作用で足の裏の感覚がなく、長時間正座した後のように足裏がピリピリしびれたような症状が常態化しています。それに足の筋肉も落ちていることもあって、いつも不安を感じながら恐る恐る歩いているのも要因かもしれません。とにかくすり足になってしまっています。

すり足はほんの小さな障害でも躓(つまず)きやすいので、外出時は気を使ってしまいます。ウォーキングシューズなら前の部分が塩梅よく反っているので、障害物に躓くことがなく、今の僕には都合がよいのです。それなのに、お店に売っていません。補助器を付けた高齢者を、買い物に行くとき多く見ます。彼らがどんな靴を履いているのか観察すると、革靴であったり、運動靴であったり、と健常人と同じもので参考にはなりませんでした。

母からの最後のプレゼント

ウォーキングシューズは1足持っていました。10年前、すでに末期がんとなっていた母がプレゼントしてくれたものです。もう体力のなかった母は姉に同行を頼み、姉が一緒に選んでくれました。そのとき初めてウォーキングシューズを知ったのです。

10年間愛用した、母からの最後のプレゼントのウォーキングシューズ

プレゼントされてから1年半後、僕自身もがん患者になりました。そして、普段の外出時は、その靴をずっと愛用してきました。外見もボロボロ、靴底もかなりはがれて壊れてきましたが、楽で履きやすく、なによりも躓きにくい安心感で、その靴ばかり履いていました。とはいえ、この靴はもう限界、どうしようかと思っていた矢先のプレゼントでうれしかった。

息子の新しい第一歩

この何週間か、家内は息子の引っ越しのために大忙し。来月、遠く離れたケルンの大学の舞踏科に入学する準備のためです。しかし、息子といえばのんびりとしたもので、オクトーバーフェストが始まったミュンヘンでの残りの日々を、友人たちと楽しんでいる様子です。

息子がケルンに発つ前に家族や友人たちが、お別れサプライズパーティを企画しました。当日は、30人以上が家に集まって大盛況。「一番のサプライズは、普段こういう場に出てこない僕の参加」だと息子が言うので、「ここまでしてもらったら、博士号資格習得までの5年間は帰ってこられないな?」と、プレッシャーをかけておきました。

息子は小さいころから人任せというか、誰かに何かをしてもらうのは当たり前と思っている、これは家庭の育て方の責任が大きいと思います。もう22歳、独り立ち、1人暮らしは当然の年齢。新しい第一歩を踏み出すのに、早すぎるというわけではありません。

息子の大学進学サプライズパーティ。手前が息子

複雑な患者心理なのかな?

今度、10月中旬の診療日は腫瘍内科の主治医に「ゼローダ(一般名カペシタビン)治療を止めます」と言うつもりです。腹膜の腫瘍切除手術のあと再発防止のために始めたゼローダ治療から5年、もう安全圏にいると思うからです。

ところが、思ってもみなかった不安感が沸き上がってきました。この9年間、とくにゼローダ治療を始めてからの5年間、治療の終了を夢見てきたのになぜ? だから、自分なりに整理してみました。

抗がん薬治療が日常となり、その不便な生活が当たり前になって、変化を望まないからか? いや、それは違う。毎日のように腹痛で苦しみ、何もできないことに時間を奪われる生活。痛みがないだけで心が晴れやかになるなら、常時そうであって欲しい。じゃあ、なぜ不安なのか? それは、ゼローダ治療を止めても酷い腹痛がなくならないなら、副作用の腹痛でないとことがはっきりするのが怖いんだと気づきました。今まで、ゼローダ治療が終われば、バラ色の人生が始まるって思い込んで、我慢してきたその期待が大きすぎて踏み出すのに躊躇しているのでは、と思います。

すべて悪いことはゼローダ治療のせいにしてきたのに、「そうではなかった」という現実を直後に突き付けられるからだ。ああ、僕はゼローダ治療に依存して現実逃避していたんだと実感しています。それは、同じような悪い経験を、最初の直腸がん肝転移で経験したからかもしれない。このがんさえ治れば、きっとバラ色の人生が待っていると信じ込んだ。でも治ったらどうなった? 腹痛で苦しみ、その上、肝転移の再発。そう、バラ色の人生なんて、今までどこにもなかった。

今回も、ゼローダ治療さえ終わればと、僕はそこに逃げていて、現実を、これから起きることに目を向けていなかった。その現実にもうすぐ直面しようとしている、それが怖い。だから、不安感でいっぱいになっている。患者はみんな口に出さないだけ、自覚していないだけで、きっとみんな同じように不安に思っている、そういうことにしておこうと、僕は思い込もうとしている。

新しいウォーキングシューズを履いて歩き出すんです、それでも。古いウォーキングシューズは過去のもの。母からの最後のプレゼントだったのに、この靴を履いている間、あまりいいことはなかった。でも、9年間の闘病生活は、いい人生修行だったと思うことにしました。

ウォーキングシューズを履けば、足の不安定さを気にせず、躓く心配もなく、一歩踏み出せば、勝手に歩き出せる。その新しい靴を手に入れました。まずは履いて、第一歩を踏み出すだけ。だから、「心配なんてしなくていいんだ」って暗示をかけている最中です。それに僕はわりと単純な人間だから、簡単にかかってくれる。また、そう願っています。

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