ドイツがん患者REPORT 42 「僕にとっての健康寿命」

文・イラスト●小西雄三
発行:2018年4月
更新:2018年4月

  

懲りずに夢を見ながら」ロックギタリストを夢みてドイツに渡った青年が生活に追われるうち大腸がんに‥

全ての店が閉まってしまう日曜日以外、僕は歩いて10分ほどのスーパーに買い物に行きます。行く時間は決まって12時半から1時半頃。この時間帯は仕事をしていない人々が買い物に来るので、多くの高齢者を見かけます。

いつも買い物に行く近所のスーパー

杖ではなく歩行補助具がトレンド

半強制的に隠居となって9年目、僕も彼らのお仲間です。

最近は、歩行補助具を利用している老人が目につきます。病院では当たり前の歩行補助具は、バリアフリーになっていないと不便です。段差や階段などがあれば、無用の長物どころか邪魔。ですから、スーパーの出入り口にスロープが常設されたり、歩道と車道に段差がないところを作ったりと、インフラが整備されるようになったのが普及の要因でしょう。

こういったインフラ整備は高齢者だけではなく、バギーを使用する人たちにとっても必要不可欠。ポリティカル・コレクトネスが好きな国民でもあるドイツ人には、賛同しやすかったのでしょう。

5階建て以上でもエレヴェータのない古い建物が、いまだに多いミュンヘンの集合住宅の1階に、バギーに交じって歩行補助具が置いてあるのをよく目にします。両方とも昔にはなかった便利な道具で、身体的負担を軽くしてくれます。

僕には障碍があるので、健常者とは区別して欲しいと思う反面、たえず健常者に見えるような努力をついついしてしまう。それは折り畳み式で目立たない便利な杖を持っているのに使おうと思わない。宝の持ち腐れにしている理由はこういうことなんだろう、と自己分析しています。

ドイツの健康寿命

「健康寿命」という言葉を聞いたとき、「それってどういう意味なんだろう?」と思い、「僕の健康寿命は?」と考えてみました。

1.日常生活ができないような障碍はない。
2.すべての動作が健常人と同じようにできるわけではないが、困らない程度にはできる。
3.「私は健康です」という自覚がある。

「マインド」となると、僕は自信がなくなります。9年前、直腸がんの治療を終えて転地リハビリに行きました。職場復帰を目指して行ったのですが、もう肉体労働は無理、転職のための職能訓練も費用対効果に見合わないと判断され、障碍者年金受給者となりました。

その後の経緯を見るとその判断は正しく、今だに働くことが無理な状況です。「労働ができないから健康寿命が終わった」とは言い切れませんが、健康だとも言えません。僕の状況は、後期高齢者の人たちと同じように思えます。

僕は現在53歳、最近は僕と同年代の友人たちの親が亡くなったり、認知症や身体的な障碍で介護が必要になった、などの話を多く耳にするようになりました。しかし、「寝たきり」という話はほぼ聞ないから、さぞや「ドイツの健康寿命は長く、平均寿命と健康寿命の差がきっと少ないのだろう」と思っていました。だから、WHOの調査を見て、本当に意外でした。ドイツの健康寿命が71.3歳、平均寿命は81歳というのが調査結果。日本とそんなに大差がない結果に驚きました。でも、僕の「ドイツの健康寿命」とは違う感覚がするのは、ドイツの寝たきり期間が日本よりだいぶ短いのだと思います。

ドイツの高齢者施設

2012年の統計では11,390の高齢者施設があり、要介護者数246万人のうち76万人が施設に入居が必要な要介護者で、しかも、ドイツの要介護者数は高齢者に限らず、全ての要介護者の人数ですから、充分な数でしょう。とはいえ、以前ドイツレポートで書いたように、ドイツ人の多くが人生の最後を自宅でという希望は叶えられてはいません。

農家など家業を引き継ぐ場合などを除いては、子供たちは18歳で成人して独立、そしてパートナーと別れた後は、独居となるのが普通です。親の介護が必要となっても子供が担うことは少なく、介護専門の人にしてもらうのが一般的です。

高齢者になったときの選択に、高級老人ホームもあります。しかし、経済的に豊かな人は、自宅で最期を望む人が多い。重度の介護となると自己負担が大きく、経済的に豊かでないと無理。それで一般的な高齢者は、高齢者施設に入居することとなります。

最近になって認知症が問題に

認知症については少し事情が違います。最近になってやっとドイツでも認知症の高齢者が問題となってきたところです。去年(2017年)「わすれな草」という認知症を発症した妻の介護を通して夫婦と家族の絆を記録したドキュメンタリー映画が大ヒットし、認知症の対応や受け止め方、対策についてテレビで討論されるようにもなってきました。

ドイツで禁止されている尊厳死の問題もあり、まだまだ解決策は見い出せないようです。国内で禁止されていても、隣国のスイス、ベルギー、オランダ等の一定の尊厳死が認められている国があるので簡単ではないし、認知症は家族が他人に任せたくない、という感情の問題もあり、認知症のケアについてはこれからの問題という気がします。

科学が進化する中での健康とは

AI(人工知能)による自動化が進む世の中。それでも介護と看護の仕事は人間がやり続けるだろうと、言われています。それは、人間でなければできないという前提に立っています。それについて、僕は疑問に思っています。

「痛いときや必要なときに、なかなか来てくれない看護師さん。それよりも、すぐに来てくれたり、処置してくれるロボットのほうがいい」と、入院中に僕は何度も思いました。

「感情で、態度が変わったり扱いが変わるのは、人間なら当たり前」と思うので、誰に対しても忖度(そんたく)せずに公平なロボットのほうがいい。コミュニケーションも、僕の言葉を理解してくれるのなら、それ以上のものは求めません。「看護師はロボット」という日が近ければいいのに。

介護士に介護してもらうのは当然の権利と思っている多くのドイツ人でも、実際に介護してもらう状況になると、やはり気後れしてしまうものです。もし、介護してもらう相手がロボットだったらどうでしょう。

歩行補助具を使わないとうまく歩けない人は、自力で歩けないから健康ではないと思っているのでしょうか? もし、歩行補助具が進歩して、健康な人と同じように歩けるとしたら、どうなんでしょう? ハンディキャップはないから、健康と思えるのでは?

ドイツの有名な走り幅跳びのマルクス・レーム選手が、カーボン製の義足で健常人を上回る記録を作ったそうです。補助具も道具のカテゴリーの一種なら、それを利用して日常生活を普通に送れるのなら、健康人と言っていいでしょう。クローン技術や精密な肉体を補助あるいは代替できるようになって、それを一部ないし全部使っている人も、健常人でしょう。しかし、今のところ大腸の替えのない僕は9年間も、健常人とは言えない生活をしています。「君の健康寿命は終わった」と言われれば、反論できません。

年金は、もうこれ以上は働けない人の社会保障としてあります。ドイツでは、年金受給開始から約13年位で支給が終わると統計上はなっています。僕はもう8年も年金をもらってるので、寿命があと5~6年でもおかしくはないんです。もちろん、みんなが統計の平均値の人ではありえないにしろ、いい気はしません。

そこで、道具やクローン技術などを使って障碍を補えるくらい科学が進歩する日を、僕は夢見ることにしました。AIやiPS細胞技術など日進月歩の進歩ですから不可能ではありません。そのときには、「健康寿命」なんてなくなります、寿命が来るまで健康なんですから。

マルクス・レーム選手=2015年10月カタール・ドーハで行われた障害者陸上世界選手権で8m40を跳んだ。リオ・オリンピックの金メダルの成績は8m38

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