- ホーム >
- 連載 >
- コラム・レポート >
- ドイツがん患者REPORT
ドイツがん患者REPORT 43 「つらかった再発の告知」
ドイツでは、患者本人に病気を告知します。それががんであっても昔から隠さないで直接伝えます。今では日本でもそうなったようですが、僕が日本に住んでいた30年前は、主流ではなかった。がんという病気が不治の病ではなくなってきたことと関係があるのか、患者に告知するのが普通になったと聞いています。
10年前に高熱と腹痛で救急入院した僕も、内科医から「大腸がんで、肝臓に大きく転移している」と直接告知されました。僕はある程度予感していたので、「ああ、やっぱり」と、あまり驚きはしませんでした。
それが、14カ月に及ぶ闘病生活の始まりでした。鎖骨下にポートを取り付ける簡単な手術から始まって、最後にストーマを取り外すまで、大小5回の手術を経験しました。その間に7カ月半に及ぶ化学療法と6週間の放射線治療を受け、何とか完治といえる状態となりました。
2011年3月11日
あれから7回目となる3月11日が今年もやってきました。7年前の僕は、テレビで1日中流れている日本の恐ろしい大震災の様子をボーっと見ていました。津波の映像が何度も何度も繰り返され、寝食も忘れて見入っていました。「理不尽な」「これでは不条理だ」という言葉が、繰り返し空っぽの頭の中を横切っていきました。
ちょうどその2日前、僕は肝臓への再発を医者に言い渡されていたのです。CT検査のときにすでにアナリストに腫瘍ができていることを告げられていたので、突然ではないにしろ、「再発」が僕の中で確定となったわけです。
直腸にできた腫瘍も、肝臓に転移した腫瘍も摘出はうまくいきました。しかし、術後の化学療法でアナフィラキシーショックを起こし、化学療法は不完全で終わりました。白血球の極端な減少は輸血でカバーできたのですが、中心的な抗がん薬(*オキサリプラチンと*アービタックス)が投与できなくなったため、僕は化学療法の効果にかなりの疑問を持ちました。
主治医は、そして姉は、「完全に化学療法ができなかったからといって、再発するとは限らないし、完治したと思って大丈夫」と言ってくれましたが、僕の心の中ではいつも疑問符が付く「完治」でした。化学療法が最後までできなかったことが、心の中で〝しこり〟になっていたのに、治ったと喜んでいる家族や友人には言えなくて、僕のこの不安を誰にも話せませんでした。ずっと病気の相談をしていた姉にも、言えなかったのです。「縁起の悪いことは言ってくれるな」という空気は、イニシャルがK.Y.の僕でもわかりました。
よく行く花屋さんからのひと声
2011年、1月のミュンヘンは、雪が多くてすごい寒波でした。仲良しの屋台の花屋さんも寒すぎて花が駄目になるので休業していました。ヴァレンタインデー用の花を売るため、ようやく2月の中旬に屋台が再開。彼女に会ったのも本当に久しぶりでした。
そして開口一番「日焼けして健康な顔色してるね」と言われたのです。冬場にそんなはずないと思いながら自宅に帰り、鏡を見てみると確かに黒い。日焼けというよりも、どす黒い感じでした。
「もしかしたら、肝臓?」
運良く1週間後には腫瘍内科の定期検診の予約が入っていたので、CT検査をすることに。それでもまだ楽観的に、再発の可能性を全否定していました。長期間、不安を隠していたから、都合の悪いことにはフィルターをかけていたのかもしれません。
医師から肝転移の再発を聞いたとき、今まで思っていた「僕は幸運だ」という考えが吹っ飛びました。がんを告知されたとき以外、闘病中はほぼ忘れていた「死」をまた感じました。しかし、言葉にも顔にも不安な思いを出さないように、努めて元気に再発を家族に告げました。そして「大丈夫、たいしたことはないよ」ということを信じ込ませることに成功しました。
当時は、元気になったらやりたいことをする準備期間中みたいな頃で、体力はついていかないけれど、やる気はいっぱいだったので、落ち込んでいる姿は見せられない。だから、日本の大震災を見て、憂鬱になっていると勘違いしてくれたので、助かりました。
「こんな大震災が起こるなんて思ってもいない健康な人たち。悪いこともしていないのに。それでも、無数の人たちが多くを失い、命すらも失う。本当に理不尽だ。そんなことはゼロに近いはずなのに、それで命を失ってしまう」
そういう思いで、テレビを眺めていたら、1つの考えがふっと浮かんできました。「逆の理不尽もあるのかも」と。
〝病気でも死なない人〟という思いのようなものが、理屈ではなくて浮かんできたのです。そのときを境に、僕は「死」ということを感じなくなりました。〝亡くなった人たちの分も、生かさせていただきます〟〝腫瘍なんて出来たら切ればいいんだ〟って開き直りのような心情になり、気も楽になりました。
おばあちゃんの膵がん
僕の25歳の娘には、6歳上のボーイフレンドがいます。付き合って今年で6年目、同居するようになって4年。彼の家庭環境はかなり複雑で、祖父母に育てられたそうで、彼の祖母に僕も何度か会っていますが、僕の母親より12歳ほど若い74歳です。
2年前、そのおばあちゃんの膵臓に腫瘍が見つかりました。幸運にも腫瘍が小さかったので切除手術を受け、成功しました。おばあちゃんは術後の化学療法を受けませんでしたが、今年になり膵がんが再発、肝臓に転移もしていました。
彼女も再発時の告知のほうがショックだったそうです。もちろん、膵がんを初めて告知されたときもショックでしたが、腫瘍が小さいので手術が可能なことと、たとえがんになっても僕の例を知っている彼女は治ると信じていたので、家族を含め死ということをほとんど考えることもなく、前向きに治療に入れたようです。もちろん医師から詳しい説明を受けてはいるのですが、彼女にとっては、膵がんも大腸がんも同じがんでしかありませんでした。
前回も術後の化学療法を受けないという決定は彼女がしたのですが、今回はもっと切羽詰まった決定を要求されました。僕と同様、彼女も相談する相手が家族におらず、もっぱら僕の娘を頼りにしていますが、人命にかかわることに娘にはかなりの負担になっています。
おばあちゃんの家族は化学療法には反対です。それは、膵がんによく効く抗がん薬がなく、効果があまり期待できないというファクトからくるのではなく、「抗がん薬は副作用がひどい」とか「医者と製薬会社を儲けさせるためのもので、患者のためにならない」などとアドバイス。そういう状態では、娘に相談するしかありません。
おばあちゃんは、医師の話も理解して、化学療法による治癒の可能性が低いことがわかった上でも、化学療法を受けることにしました。術後に化学療法を受けなかったという後悔も、受ける理由としては大きいようです。
もし、僕に相談されていたら、年齢や奏効率などを考慮して、化学療法を受けないことを勧めていたでしょう。緩和治療でなるべく痛みのない自由に活動できる日々を優先したほうが、年齢的にも人生の最後という意味では意義があるように思いますし、人生の善し悪しは長さだけで計れないと思っているからです。そういうことをすべて承知で、それでも化学療法を受けるというなら、それでよいと思いますが。
化学療法を始めて、腫瘍マーカーはかなり下がってきました。しかし、副作用も強く出てきて、痛みも酷くなり、治療を続行するか再検討することになりました。治癒の可能性はほぼなく、いばらの道を進むだけとなりそうですが、それでもおばあちゃんは治療の続行を選択しました。おばあちゃんの選択を支持したのは、僕の娘だけです。おばあちゃん同様に、僕が化学療法で成功した実例が頭にあることは否めず、少ない可能性に賭ける人を応援したいのでしょう。
僕にもそれは理解できます。僕の母親は乳がんが再発して、治療はもうできないと言われましたが、最後まであきらめてはいませんでした。亡くなる最後の5週間、母親はホスピスで過ごしましたが、彼女はそこがホスピスとは知らずに、最後まで治療していると思っていました。彼女の最期は痛みのない穏やかなものでしたが、闘争心があり生きたいという彼女の望みとは違うものです。もう10年も前の話ですが、ドイツと違い、日本では隠し通すことができました。
「no try no win」
時々こう思うのです。
僕が弱小サッカーチームの監督で、最強のチームと対戦することになったとします。奇跡的に前半は0-0、ひょっとしたら引き分けにと期待した後半直後に1点を取られました。本来は攻撃型のチームなのに、負けないための防御に徹した戦略。しかし、もう引き分けの可能性すらないなら、大敗してもよいから自由に試合をさせたいと僕は思う。
0.1%の勝機があるとしても、僕は選手の応援をしてしまうダメな監督でしょう。きっと僕の娘もファクトを見ないダメな監督ですが、娘を応援したくなってしまいます。やはり、そこには感情の存在があるからです。
人はファクトや確率だけで考えるならまずしないことでも、〝希望〟というあやふやなものを加味して判断をしてしまいます。しかし、99%はダメでも1%の成功する人は実際に存在するのです。そして希望によってよい結果が生まれることもあるのだと思います。
2018年、7年目の3月11日。後になって気がつけば、30年目の結婚記念日でもありました。30年のうち10年近くを病人のように過ごし、まだそれは終わっていない。来年の3月11日は、希望のある楽しい日であって欲しい。
*オキサリプラチン=一般名エルプラット *アービタックス=一般名セツキシマブ
同じカテゴリーの最新記事
- ドイツがん患者REPORT 91 ドイツレポートを振りかえって 後編 最終回
- ドイツがん患者REPORT 90 ドイツレポートを振りかえって 前編
- ドイツがん患者REPORT 89 ドイツで日本のアニメを見て その2
- ドイツがん患者REPORT 88 ドイツで日本のアニメを見て
- ドイツがん患者REPORT 87 ドイツの医療用〝カナビス〟事情
- ドイツがん患者REPORT 86 「続々・コロナがうちにやってきた」家内がブレークスルー感染して2
- ドイツがん患者REPORT 85 「続・コロナがうちにやってきた」家内がブレークスルー感染して
- ドイツがん患者REPORT 84 「コロナがうちにやってきた」
- ドイツがん患者REPORT 83 乳房インプラントのスキャンダルが規制のきっかけ EUの新医療機器規制は本当に患者のため?
- ドイツがん患者REPORT 82 「1回だけでもワクチン接種者を増やす」に転換