ドイツがん患者REPORT 49 「娘の結婚式」

文・撮影●小西雄三
発行:2018年11月
更新:2018年11月

  

懲りずに夢を見ながら」ロックギタリストを夢みてドイツに渡った青年が生活に追われるうち大腸がんに‥

2018年10月1日、娘が結婚しました。新郎とはすでに6年の付き合いですが、5月の婚約後たった5カ月で結婚というのはドイツではかなり珍しく、「急遽」という言葉が当てはまります。

僕が娘から話を聞いたのが8月の中旬ですから、あっという間に当日に。娘の願いで、姉と妹も急な話にもかかわらず日本から駆けつけてくれました。

結婚式はオクトーバーフェストの真っただ中

娘と新郎

ミュンヘンのオクトーバーフェストは9月の終わりの週から10月初めの週の2週間。この期間は、国内だけでなく海外からも多くの観光客が集まってきます。ホテルは1年も前から予約で満室、タクシーを拾うのも困難だったり、会場付近の主要駅はラッシュ時のようで、1年で最も大混雑します。

結婚式当日、案の定バイエルンの片田舎に住む義姉一家は、オクトーバーフェストに向かう交通渋滞に巻き込まれて会場へ直行することに。我々4人と1匹も雨が降っているのでタクシーに変更しましたが、やはり大渋滞に巻き込まれてしまいました。わずか6㎞の道のりが、30分経っても半分も進まない。しかし、幸運だったのは乗ったタクシーが地元のベテラン運転手だったことで、裏道の脇道を走り何とか間に合にあいました。

1年で一番ミュンヘンの人口密度が高いときは、祝い事やイベントを避けるのが普通です。だから姉や妹がミュンヘンに来るのも大変でした。

2人は9年前に、闘病中の僕に会いに来てくれて以来のミュンヘンです。我が家の子供2人が使っていた部屋に泊まってもらったので、宿泊は問題がなかったのですが、航空チケットに苦労して、航空運賃も通常よりかなり割高だったそうです。

姉は専業主婦なので時間的余裕はありますが、問題はミュンヘンまでの飛行機で、直行便はもちろん、ヨーロッパ各都市からミュンヘンへの便がありません。それでも姉は招待を受けてすぐに探し始め、姉は9月27日、妹は仕事の関係で29日の便と別々に取りました。帰りは10月3日一緒に帰ることができましたが。

「その日以外は、急すぎて予約が取れなかった」との答えを想像しながら、「なぜミュンヘンで最悪な日を選んだの?」と後で娘に聞いたところ、「まるっきりオクトーバーフェストの事は頭になかった」という答えが返ってきました。

急に結婚式を決めたのは

新郎について少し書きます。3年前にドイツでは二重国籍が認められたので、現在はトルコとドイツの国籍を持っています。彼の父親はトルコ人で、母親はイタリア人とオーストリア人のハーフです。彼はドイツで生まれ育ってドイツの教育を受けたのに、彼の血縁者にドイツ人がいないため、それまでドイツの国籍を収得できませんでした。

両親が早くに離婚し、彼のことは祖父母が面倒を見てくれました。母親はその後再婚して22人の娘を生んだのですが、彼にはその家庭は居心地が悪く、再び祖父母の元で暮らしたため、彼にとっては祖父母が両親みたいなものです。

その祖母に3年前に膵がんが見つかり、運よく手術ができたのですが、今年になって再発。祖母は娘を頼っていて、医療的な相談もしていました。僕から膵がんの再発の厳しさを聞いていた娘たちは、祖母の元気なうちに結婚式をやることを決めたのです。

彼は以前はダンスを、今は趣味でバンドのパーカッションを担当しています。娘とはダンス音楽を通して知り合ったと思っていましたが、12年前に彼が職業訓練で美容師の仕事をしていたとき「娘が客としてきたのが初めての出会い」と彼がなれそめを話しました。

祖母は、娘をとても気に入って2人の結婚を願っていました。膵がんが治る希望を今でも捨てていませんが、2人の結婚は彼女の最後の望みになるかもしれません。

だから他の誰より膵がん再発の厳しさを知っている僕は、娘たちが祖母のためにと決めた結婚式に出席できるようにとずっと願っていました。そして、その日の僕はずっとそばで気を配っていました。

ドイツでは普通2つの結婚式をする

登記所での結婚式

日本とドイツとでは、結婚式はかなり違います。日本では役所へは婚姻届を提出するだけで終わりですが、ドイツでは登記所(Standesamt)で、レジストラという立会人の元、新郎新婦、各自の保証人と共に儀式として執り行われます。

通常は両家の両親や親しい友人数名ですが、娘たちのように宗教上の結婚式をしない場合は、会場に入れない人が外で待っていたり、披露宴で合流するというのもあります。今回は、この後に家族だけの小さな披露宴があるので、30人ほど集まりました。

登記所の結婚式は宗教に関係なく共通で、僕も30年前に家内の出身地のバイエルンの片田舎で行いました。式は約30分ほどで終わり、その後に食事をして解散。登記所での結婚式でも何カ月も前から予約が必要です。

ドイツ人同士の結婚の場合、登記所での式の1週間後くらいに教会で結婚式を行います。キリスト教徒は教会で神父の下で結婚式という儀式が行われますが、カトリックとプロテスタンでは違いが出てきます。

プロテスタンは戒律がかなり緩やで、カトリック教徒との結婚も異教徒との結婚もあまり問題なくできますが、カトリックの場合はカトリックへ異教徒は改宗しなければならず、同じキリスト教徒であるプロテスタンとの結婚の場合ですらカトリックに改宗を求めます。田舎は今でも戒律が厳しいようです。

僕らの世代は子供がいても結婚をしていない人が多いのです。子供の権利は保障されているし、父親は養育費などをきっちりと払わされるので、女性は結婚しなくても子供を持つことへの不安が少ないのでしょう。

とはいえ、ドイツも出産率は日本と変わらないくらい低く、多産の移民を多く受け入れての数字だからドイツ人の数字は日本よりも低いくらい。晩婚や結婚をしない女性が多いなかで、娘の友人たちは結婚や出産している人が多く、若い世代は人生の価値観も変わってきたのかな? そうであってほしい。

小さな披露宴

登記所での式の後、小さな披露宴をしました。最終的には40人ほどが披露宴に参加。会場の登記所近くのイタリアンレストランは、以前20年近く住んでいた近くでした。「その辺りの店は良く知っているはずなのになあ」と思いつつ到着すると、何とそこはかつて僕が唯一息抜きのできる行きつけの店があったところ。僕が夜出かけるとき、子供から言い当てられるくらいよく通った店でした。

パブと小劇場が併設されていて、バンドメンバーのフランツィーとの出会いもそこでした。10年前に発病し、闘病中にそこでライブ中のバンドのゲストでギターを弾いたこともありましたが、その後店は閉店してしまいました。

娘に訊くと店は彼女の記憶にはなく、店もメニューの選択等、娘が全部1人でやったそうです。前菜の後、メインが来るまで2時間近く待たされ、祖母は「食事にまで顔を出せたら本望だ」と言っていたので、僕は気が気ではありませんでした。その上、痛み止めの薬を持ってくるのを忘れて、幸運にも僕の非常用の薬を飲んだら彼女はすぐ元気になり、我が家での2次会を2時間も楽しめましたからよかった。

我が家での2次会

我が家での2次会は、まずシャンパンで乾杯。その後にコーヒーとケーキ。娘の友人がウェディングケーキと4種類のスウィーツ、アレルギーで乳製品や卵が食べられない息子用のスウィーツまで作ってくれて、娘のために本当にいろいろとやってくれました。

我が家は120平方mほどありますが、そこに40人もの人を詰め込むのは一大事です。テーブルクロスやコーヒーメーカーをご近所さんに借りたり、準備も大変だったようです。姉や妹も手伝ってくれましたが、娘の友人は後片付けにまで来てくれ、本当に感謝しています。僕は、そういう時は役立たずですから。

その後、パーティの飲み物はアルコールへと切り替わっていきました。途中、僕の楽器を使って新郎のバンドメンバーたちが即興で演奏を始めました。僕も娘に「お祝いと送る言葉」に代わる歌を贈りたかったのですが……人前で唄わない僕ですが、一応練習していたのです。2年後くらいに友達などを大勢呼んで披露宴を兼ねたパーティをするらしいので、その時には娘への歌をと思っています。

娘への贈り物

日本の結婚式はご祝儀を渡すようですが、こちらは品物をプレゼントすることが多いです。娘に絵をプレゼントしようと構想を練るのですが、全然アイデアが出てこなくて困りました。娘の犬を平日の朝から夕方まで預かっていて、犬は僕の部屋に入りびたりなので、狭い僕の部屋で油絵を描くのは無理。

しかし、結婚式の前々日までの10日間、家内が犬を連れてホリディに出かけたのでチャンス到来、それなのに描けない。描けない本当の問題は健康面でした。もう1年以上、慢性疲労症のように疲れて何もできなくなっていました。しかたなく結婚式を含めて約2週間、禁じ手としてきた薬(鎮痛剤)に頼って絵を描き始めると、いろんなものが湧いてきて完成。絵の題は、「子供時代の夢」です。娘が喜んでくれるかちょっと心配でしたが、杞憂に終わりました。

新しい小西家の一員

娘とティト

新郎は、結婚を機に苗字をKonishiに変えましたが、養子というわけではありません。彼はそれまでトルコ人の父親の苗字を名乗っていました。3年ほど前、周りの反対を押し切って父親の会社で働きだした彼は、理不尽な理由で会社を追われ、それ以来父親とは絶縁状態となり、結婚式にも招待しませんでした。

苗字は、正当な理由なしに簡単には変えられないので、この好機に変えたのです。新郎の祖母に何度も「彼の苗字が変わったことがうれしい、ありがとう」と感謝され、僕は面はゆい気持ちになりました。

姉と妹がドイツを立つとき、僕の日本の身内はこの2人だけなんだと、実感しました。息子と娘が見送りに来ていて、小西を継いでくれるだろうとも思いましたが、その小西は新郎も含めKonishiだと思います。

娘の犬は結婚式に参加するために、胸だけの白いシャツに蝶ネクタイを着用させられていました。嫌がりもせず、その日は1日中僕と一緒に着慣れないものを着て一緒だね。ティトちゃんもこれで正式にKonishiになりました。

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