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ドイツがん患者REPORT 52 「抗がん薬としてのメサドン」
少し前の話になりますが、昨今のドイツの風潮によくありがちな話なので紹介します。
メサドン(商品名メサペイン)、ドイツでは麻酔薬にも分類されている鎮痛薬が、日本でも中程度から高度の疼痛を伴うがん患者に処方されていると聞きました。薬自体は、かなり前からドイツにはあり、構造がシンプルな鎮痛薬です。
10年ほど前からよくテレビのドキュメンタリー番組に取り上げられ、ドイツに住む人なら服用をためらうような悪いイメージの薬でもあります。それは、ジャンキー(薬物依存症の人)が、禁断症状のときにメサドンを処方してもらえるからです。街中に設置されている保護センター(かけこみ寺のような所)では、一時的に苦痛を緩和するために注射してくれる、依存している薬物の代替薬として有名です。そのメサドンが、がん患者の救世主となるかもしれないという噂が、数年前からありました。
テレビで放送されたメサドンの可能性
2017年4月17日にドイツ国営放送ARDの番組「プラスマイナス(Plusminus)」が「薬価が安くがんに効く薬をなぜ患者のために研究しようとしないのか⁈」という題で、「メサドンががんに効く可能性が大である」という放送をしました。
ある悪性脳腫瘍Glioblastoma(神経膠芽腫)の女性患者の話です。彼女は医師に余命12~15カ月と告知されました。処方された高価な薬は効果がないばかりか強い副作用に苦しみ、歩くこともできなくなりました。そんな彼女を救ったのが、1日に2回、35滴のメサドンだったと彼女は言います。
こう書くと、「奇跡のサプリメント‼︎」のような怪しげな広告のようですが、実際に起こった嘘偽りのない事実であり、2年以上たった今でも再発もなく、普通に近い状態で生活ができるようになったということです。
彼女を救ったのはメサドンだと考えられますが、主治医に責任の持てない治療の処方はできないと断られたため、処方してくれる医師を探すまで13人にも断られ、すごく苦労したそうです。
彼女に関連して、メサドンの効果を裏づける発表が、2014年にウルムの化学者・クラウディア・フリーゼン博士からありました。いくつかの実例を挙げメサドンの可能性を追求するため、研究費と臨床試験を求めましたが却下されました。
他にも、ホスピスで緩和医療を行うハンス・ヨルグ・ヒルシュ医師は、1999年よりメサドンを処方し、結果的に延命した患者が多数いると証言。また、カルガリーやミュンヘンでも同様の例が示されています。それでも、ハイデルベルグ大学病院の神経科ヴォルフガング・ヴィック教授は、メサドンではなく補完治療としてベバシズマブ(商品名アバスチン)を推します。
この番組では、ベバシズマブの効果はあまりなく、福作用も大きくて患者が苦しむと述べています。先述の患者も、ベバシズマブの副作用に耐えきれず、メサドンで楽になったと言います。
そこで、「なぜ、メサドンによる治療の研究をしないのか?」「なぜ、メサドンという薬に興味がないのか?」という疑問が提示されます。理由は「特許も切れ、処方しても誰も儲からない薬だからか?」と続きます。
番組の初めに、「毎年50万人のがん患者が登録され、23万人ががんで亡くなる。老若男女問わず、社会のどの層に所属するのかも無関係に増えるがんの治療に使用される薬には、効能以上に利益が求められるのか?」と疑問を呈しています。
「このことをバカげた陰謀だと本当に笑ってよいのか? 現に多くの患者がメサドンを無視することで、多くの損益を被っているのでは?」と結ばれていました。
大きな反響後
2017年8月16日の放送の同番組では、前回のメサドンの可能性について大きな反響があったので、もう1度おさらいをするような形で放送されました。
大きな反響は、2つの異なる事象を引き起こしました。1つ目は、多くの患者やその家族たちが、メサドンの治療を医師に求めたこと。2つ目は、多くの医師がテレビの内容に反発してメサドンの処方をしなくなったことです。まるで、メサドンが特効薬のように思う患者が多くなり、今まで緩和のために処方していた医師も、泡のような希望を患者に持たせないためか、今までのように処方してくれなくなったと、患者からのクレームが多く送られてきたそうです。
それでも、視聴者や患者の大きな反響は、ドイツがん患者援助会から30万ユーロの研究費を出資させ、卵巣がんの臨床試験は却下されたものの、神経の臨床試験は10月から行われることになりました。
「民衆のために拝金主義の医療界と戦うジャーナリズム、後押しする世論、万歳‼︎」という感じで、番組は締めくくられました。
その結果は?
大反響後に「研究臨床試験が決まった」との情報がありましたが、それ以降番組で取り上げられることもなく、「研究って、人の健康にかかわることは時間がかかるものだから」と、臨床試験が続いているものとばかり思っていました。
ところが、最近ネットでメサドンを検索したとき、結末を知ることになりました。
結論を書けば、「メサドンは神経膠芽腫の治療に有効ではない」と、ドイツ神経科学会が2018年2月21~24日の第33回ドイツ癌学会で発表していたのです。
神経膠芽腫に対する特異効果の実験には、脳腫瘍の細胞培養物を、抗がん薬テモゾロミド(商品名テモダール)単独、メサドン単独、併用の3つで比較した。
結果、メサドンは抗がん薬の効果を高めない、標準治療薬テモゾロミドに感作効果はない。メサドン単独でも、がん細胞の生死に検出可能な影響を及ばさない。メサドンの有効性の欠如の説明として、メサドンにはドッキングステーションがない。研究は患者の状況に似た細胞を使って行われたが、実際の神経膠芽腫はオピオイド受容体を持たず、メサドンに反応することができない。
新知見で、「神経膠芽腫の抗がん薬治療で、メサドン療法の併用は推奨できない」「他の腫瘍、または他の化学療法でのメサドンの効果については、この結果から推測はできない」
この結果を受けて、メサドンががん治療に効果があると訴えていたフリーゼン博士は、「人体での臨床結果ではないから短絡的なものだ」との反論はありますが、科学的に効果がないと証明されました。
残念な結果に終わっても
1年近く前に「効果がない」と結果が出ていますが、今でもネットでメサドンの抗がん作用と検索すると、トップには効果があると信じているWebサイトやメサドン治療を扱う病院やクリニックが紹介されています。
多くのがんと闘病している人にとっては、希望の1つでしょう。「もしや」の期待は、たとえ個別例だとしても、今も存命している患者がいることは、自分にも可能性がゼロではないと思わせてくれます。そして、1度信じ込んだものを全否定することは大変難しいことだと、最近つくづく思います。
効果があると信じている人に、いくら科学的に否定しても無駄なことですし、その人たちにとっては余計なお世話で、「データはいくらでも改ざんできる。政府も機関も、みんな繋がっていて同じ穴の狢(むじな)、利権に群がる巨悪。だから、信用できない、きっと嘘だ」と思っているんでしょう。そういった人は圧倒的少数派だと思っていましたが、昨今の欧米の風潮を見ていると、そうでもないような気がしてきました。
国営放送だから嘘は放送しないでしょうが、これだけ期待を持たせ、煽(あお)っておいて、そうでなかったときには一切その結果を伝えないのは無責任だと思います。巨悪に立ち向かう正義のジャーナリストが、実はお騒がせに協力しただけでメンツが立たないのでしょうが、こういうところから不信感が増長するのだと思います。
今回、もし調べなかったら、僕は今でもメサドンに効果があると信じて、いつまでもよい結果が出るのを待っていたと思います。
僕の経験した思い込み
僕は、直腸がんの最初の治療を化学放射線療法から始めたとき、いろんな痛みに苦しんでいました。当時、毎日放射線治療に通っていたので、痛みの相談を放射線科の主治医にしていました。とても親切で理解できるまで説明してくれる医師で、僕は今でも感謝しています。
全身の神経が痛んで眠れなくなったり、常に鈍痛があった僕に、チリジン(商品名セチリジン)という鎮痛薬を処方してくれました。便秘や体がだるくなるなどの副作用があるそうですが、僕には起こらず、痛みが薄れ、体が楽になり、心も軽くなったような気になりました。
服用を始めしばらくたったころ、チリジンは「暴力薬」との悪名を世間でつけられることになったのです。チリジンを服用すると暴力的になり、喧嘩をして怪我をしても痛みを感じず、躁(そう)状態になるアッパー系の簡易代替ドラッグとして悪用する人が増えたため、処方が難しくなるくらい大問題となりました。
よく知っている友人の母親に僕と同じ頃、直腸がん肝転移が見つかりました。僕と違って肝臓の転移も小さく、手術と化学療法がよく効き、僕よりかなり早く完治しました。しかし、僕と同時期に再発して以降、明暗がはっきり分かれ、彼女は残念なことに亡くなりました。2人とも同じ化学療法、違いは僕が疼痛に服用していたチリジンだけ。服用すると精神的に楽になり、やる気になるので、これが明暗をわけるカギだったのかもと、一時期秘かに思ってしまいました。
「がん患者さんに希望の持てる情報があれば伝えたい」と思うのは、テレビのジャーナリストも僕も同じ。だから、メサドンの効果があるならと期待していましたが、逆にがっかりすることになり、残念な気持ちでいっぱいです。
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