ドイツがん患者REPORT 54 「日本から来た短期留学生」

文・イラスト●小西雄三
発行:2019年4月
更新:2019年6月

  

懲りずに夢を見ながら」ロックギタリストを夢みてドイツに渡った青年が生活に追われるうち大腸がんに‥

2月に入り寒い日が続き、ニンフェンベルグ城のお堀が凍りついて「アイスホッケーやカーリングをする人が見られるかな」と犬の散歩中に思っていました。

ところがその後、異常に暖かい日が続いて3月になってしまい、もう春の到来のようです。

我が家に来た日本からの留学生

2月の中旬、日本から短期の女子留学生がやって来ました。語学留学のため、4週間我が家に滞在します。

その約1カ月前のことです。家内が地方紙に載った「ホストファミリー求む」という一文を見つけました。そこには「日本人学生」という文字がありました。もうすぐ退職して年金受給者になる家内は、すぐ電話をしました。2人の子供たちも家を出て、この間まで半年ほど甥っ子が使っていた部屋も空いています。短期間なら、部屋を留学生に貸すのはよいアイディアだと思ったようです。

見知らぬ人との同居は短期間でもリスクもあり、日本人以外なら躊躇(ちゅうちょ)したかもしれません。しかし、僕以上態度の悪い日本人を知らないので、家内はかなり乗り気でした。

V.I.V(Verein für Interkulturelle Verständigung):直訳すると「異文化を理解するためのクラブ」から事前調査のため、我が家に日本人女性がやって来ました。僕は外交的ではないと家内に思われているので、なるべくおとなしく話を聞いていました。

それでわかったことは、

1.関東の2大学と、北海道の1大学から学生を募集、今回は20人以上とのこと。
2.年2回の企画で、2月からのホストファミリーはすでに決まっているが、キャンセルが出た場合にお願いする。

ということでした。女性はドイツ在住の日本人にしてはすごく自然にドイツ語を話すので驚きました。日本人とのつき合いが少ない僕が知らないだけで、今はネイティブのように話す人が増えているのかも知れません。

とにかく「キャンセルなんて滅多にないだろうし、僕の生活は下方安定」と高を括くっていたら、そのキャンセルが出て、留学生が来る1週間前に受け入れ要請があったのです。

ミュンヘンにウェルカム

ミュンヘン中央駅

大学が休暇中でミュンヘンに帰っていた息子を荷物持ちに連れて、家内が日曜日の夕刻、ミュンヘン中央駅に留学生を迎えに行きました。

息子はこちらに帰省してもガールフレンドの家に滞在して、和食や中華が食べたくなると家に帰って来る生活です。

その日の夕食は、娘と息子のガールフレンドが作ることになっていました。それは珍しいことです。娘は「実家に帰ると何もしたくない」タイプ。そのほうが「日本びいきの旦那さんも喜ぶ」と言い訳をしますが、やっぱり甘えたいのでしょう。そこは小さいころからあまり変わっていないようです。

まぁ、家内が夕食を作るよりは安心して食べられます。

「いったい何を作るのかな?」と期待していたら、出て来たのはハンバーグとポテトサラダ。うん⁈ 確かに、まぁ確かに、ドイツ料理ではあります。

「粉砂糖をカラメル状にして、ワインとバルサミコ酢を加えて煮詰めて……」、バターを使わずにソースを作るのは至難。でも、それはドイツ料理ではありません。つなぎに卵を使わないハンバーグ。最初の食事ぐらいは本当のドイツ料理でおもてなしをしたかったのですが……。強度のアレルギー体質の息子も食べられるドイツ料理を作るのは大変。でも、和食は以外に大丈夫なのです。

子供たちは日本からの留学生に興味津々。だから料理作りを買って出たのでしょうが、年齢が近い子供たちがいて、留学生も打ち解け易くなったと思います。興味本位で対応する大勢の人とは「たとえ歓迎の意思があっても疲れるもの」。でも、子供たちにはそういう感覚がありません。幸い、彼女は引っ込み思案ではなかったので、大丈夫だったようです。

いつものように、僕は食後早々に自分の部屋に戻りました。日本人の僕がいるとドイツ語を喋りづらいだろうし、すぐ通訳してもらえると思うと、ドイツ語を話しにくいものです。

ホストファミリーを引き受けるにあたり、心がけることがありました。事前調査で、会話はドイツ語でと頼まれたことです。語学留学しているのに、日本語で話していては何のためだかわからないからそれは当然です。

また、家内が「うちは彼が主に食事を作るので、和食や中華が多くなりますけど」と言うと、「食事もできるだけ一般のドイツ家庭で出されるものを」と要請があったことです。

案外、ドイツ人はパスタとかをよく食べますし、休日や祭日は別として、今ではあまりドイツ料理を食べなくなっています。若い人ほどその傾向が強く、料理が不得意な家内より、僕のほうがドイツ料理のレパートリーは多いくらいです。また、ドイツ人は昼食にメインの温かい食事、夕食はパンとソーセージなどの軽いもの、冷たいものを取るのが慣習でした。現在では時代の変化もあり、夕食がメインのところが普通です。

シュバイネ・ハクセ(Schwein shaxe):豚の骨付スネ肉を漬け込み、オーブンなどで焼いた料理。皮をカリカリに香ばしく焼くのが特徴(ドイツ北部料理のアイスバインとの大きな違い)。つけ合わせは、口当たりと消化を良くするクミンやワインを入れて煮込んだサワークラウト(キャベツを塩漬けした発酵食品)とクヌーデルと呼ばれるつぶしたジャガイモを団子にして茹でた典型的な南ドイツ・バイエルン州の料理

僕がする朝食の準備

最初の1週間は、僕が留学生の世話係となりました。世話といっても、朝食を出すだけです。留学生には朝食のみ提供をお願いされています。僕は今までずっと朝食ぬきだったので、何を出していいかわからず、朝食に食べられそうなものをずらっと並べました。

彼女は朝食にコーヒーを飲むそうですが、お茶も用意しました。イギリスなら紅茶の1種類でよいのですが、ドイツはハーブティやフルーツティが一般的なので、最初は全部用意しておきました。

もっと困ったのは「朝食の間、そばにいたほうがいいのか」ということでした。結局、犬と一緒にキッチンを出たり入ったり、ウロウロしていました。

まぁ、それも最初だけで、すぐに彼女との朝食にも慣れ、タレントの堀ちえみが舌がんをブログで公表して注目を集めていると知ったので、彼女に聞いてみたら、堀ちえみを知らないそうです。僕が日本にいた頃、堀ちえみは大阪出身のアイドルでした。

あっという間に週末が来て家内とバトンタッチ。朝食を大事にする家内としては、朝一緒に朝食をとる人ができて喜んでいる様子です。

2月に誕生日を迎えた家内は、3月1日付で年金受給者となりました。ドイツでは67歳まで働かないといけません。職人など肉体労働者は受給の減額を受け入れて、早期の年金受給者になることは可能です。

なぜ、家内が10年も早く引退できたか、それは公務員だからです。ドイツの年金は健康保険と同じ年金保険なので、年を取って働けなくなったから受給されるという考えが基本です。しかし、公務員の場合は違うようです。

犬がダメな人は無理です

去年結婚した娘は共働きで、娘の愛犬ティトを平日や長時間留守をするときに預かっています。僕は以前に飼っていた犬を手放さざるを得なかった罪悪感からティトを甘やかしてしまい、食べるときはいつも一緒で、我が家で唯一上がってよいのは僕のベッドだけです。

留学生にも「犬がダメな人は無理」と伝えてあります。家内は、僕以上にティト・ファーストなので。だから、留学生がティトとうまくやってくれるか気がかりでした。ティトは子供が苦手だからです。

留学生が20歳とはいえ、日本人はドイツ人に比べるとかなり子供っぽく見えますが、ティトはすぐに彼女のことが気に入りました。そういえば、子供が近づくと震えていたティトが、初めて自分から近づいて行った子供は、路面電車内で偶然一緒になった日本人の小学生の女の子でした。僕も、それにはびっくりしました。ティトがその女の子に頭を撫でてと自分から催促するなんて、それまでの彼の行動からは想像もつきません。娘もハーフだから同じような匂いを感じ、大丈夫と感じたのかも知れないと解釈しました。

「動物は好きだけど犬を飼ったことはない」と言っていたので、彼女にとっても犬との暮らしが物珍しいのかもしれません。ティトは撫でてもらうのも好きですが、食べ物をもらうのがプライオリティの1番。彼女が食事をするときは、必ずティトは前足を彼女の膝の上に乗せて、「僕はここにいますよ、お忘れではありませんか? ひと口くださいませんかぁ?」とアピールしています。

彼女が我が家に来て、一番楽しんでるのはティトかもしれません。

彼女の留学体験がいい思い出になるように

35年前の1月、19歳の僕は単身イギリスのヒースロー空港に降り立ちました。「英語がわかるようになりたい」と、当時の僕は本当に単純でした。

ある事情で大学受験ができなくなり途方に暮れていた僕に、イギリスから語学留学を終えて帰ってきた友人がその生活を語ってくれました。語学留学することをすぐ決め、留学費用は親から出してもらいました。当時は今と違い欧州は結構遠く、飛行機代も高価でした。

ロックやポップにのめり込んでいた僕は、洋楽をやりたいのに英語の理解力はゼロ。だから、イギリスへの語学留学が天命のように思えたのです。

3カ月間のイタリアとドイツ滞在を合わせて約1年半の欧州滞在。その大半は、イギリス南部サザンプトン近くにあるボーンマスという留学生と高齢者ばかりの街にいました。元々は海辺のリゾート・保養地で、イギリスの中では気候が温暖で住みやすい穏やかな町でした。

それなのにいろんなトラブルやハプニングが起こり、のんびりしながらも退屈な思いをしたことがない日々でした。思い返しても、そのときが人生で一番楽しかった。学生であって学生でないような中途半端な状態がとても心地よく、トラウマになりそうなこともありましたが、それも今となってはよい経験で、今の僕の基礎が作られたとも思います。

僕の留学体験は、いろんな意味でよい思い出です。もちろん、今回の彼女とはまるっきり違います。それでも、異文化とふれあい、そのときのインプレッションが後の人生や思考、人格にさえ影響が出ると思います。

幸いにして、彼女はドイツが大好きです。僕の祖父はドイツ語教師だったという話を幼少時から聞かされていたので、僕はドイツが大好きではないにしても、悪い印象を持っていません。だから、不満や嫌いなところがあっても住んでいられるし、嫌いにはならないですね。

彼女も、この滞在中にたくさん楽しい思い出を作ってほしい。その手伝いを微力ながらできればと願っています。

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