- ホーム >
- 連載 >
- コラム・レポート >
- ドイツがん患者REPORT
ドイツがん患者REPORT 56 「ブレグジットで医薬品が逼迫?」
EUは、英国のブレグジット(EU離脱)を2019年10月31日まで延長しました。延長になったからと言って、ブレグジットによる影響が緩和されるわけでもないですが、「とりあえずは、まだ先か」というのが一般的なドイツ国民の感情で、楽観視している面があります。僕は「いい加減にして」とあきれを通り越して、飽きてきたというのが正直なところです。
ブレグジットは、経済人や政治家たちだけではなく、庶民、とくに「病気の人々をも不安からイラつかせている状況を作り出している」というテレビ番組を見ました。3月中旬の放送で、英国議会が3月29日にブレグジットを決定、その結果を見てから原稿を書こうと思っていたのですが……。
そこでブレグジットで引き起こされるであろう混乱に、特別な医薬品を必要とする患者の不安と、それに対応しているドイツの医療関係者について、番組で紹介されていたことを中心に紹介します。
1.特殊な医薬品が、税関管理の再開による混乱で供給不足が起こる可能性
2.多くの医薬品は英国で承認されているため、EUの他の国での再承認に時間がかかるため、その一定期間販売ができない可能性
この2つの不安要素が、患者や医療業界に恐怖のシナリオを想像させています。
ある糖尿病患者の不安
サビーネ・ハンドは糖尿病を患っていて、もう50年間もインスリンを注射しています。しかし、人間(ヒト)用のインスリンは命の危険になるようなアレルギー反応を出すため、動物インスリンを使用。このインスリンを製造しているのはヨーロッパでは唯一、英国のWockhardt社で、ドイツの医薬品販売会社を通じて購入しています。
「このインスリンが供給不足に陥っても、たくさんストックがあれば、不安の解消になります。しかし、健康保険が、それにかかる多額の余分な費用を負担してくれると思うのは、現実的ではないでしょう。そう考えると、インスリンが入手できなくなるかもと思えてきて、とても不安になります」とブレグジットの混乱への不安を募らせます。
「EU内には製造のポテンシャルのある会社があるから、製造できないのか?」と思いますが、それだけの費用対効果に見合うだけの市場でないから製造してこなかったのだと思います。ならば、EU以外から輸入すれば良いのに「EU内で済まされることはEU内で」という、これまでの閉鎖的なEUの姿勢のせいなのか、その方向での解決策は示されませんでした。
医薬品の供給不足への不安
インスリンに限らず、英国からは多くの医薬品がドイツに輸入されています。年間220億ユーロが英国からドイツに輸入され、ドイツからは年間510億ユーロが輸出されています。
「2020年までの移行期間は、双方が特別な契約状況で輸出入を行う」とドイツ製薬業者協会のエルマー・クロートは話します。しかし、合意なき離脱の場合は、その移行期間がなく、税関が慣れるまでは通関審査の遅延などが予想されます。もう長い間、英国との通関をしていないので、再開も簡単ではないと思います。
「ドイツ・英国双方に供給不足をもたらす」と業界エキスパートは言っています。また、ある薬剤師は患者への医薬品の準備状況は悪くなり、「役所や製薬会社が即時対応を怠れば非常事態ともいえる状況になり、必要な薬の提供が危ぶまれる」と心配します。
〝ハムスター式買い物〟をする英国民
「英国の状況は?」というと、「相当なところに来ている」とロンドンの薬剤師は言います。「毎日、ハムスターのように目につくものは何でも購入、パニック状態の客は手当たり次第に薬を購入している」と言い、そういう客たちのために小冊子を作成して、ハムスター式の買い物の抑制を試みています。
彼が言うには、「確かに、ブレグジットによって供給不足がひどくなる可能性は高い。でも、それ以上に、パニックを起こしてハムスター式買い物で買い占められることで引き起こされる供給不足のほうが、もっとひどい状況にする」と指摘しています。
こういうパニックを起こしている状況をプロパガンダに掲げている人たちは、英国議会前でデモを行っています。パニックによる買い占めの被害にあっているデモ参加者は、「癲癇(てんかん)の薬がいるのに、いくつかの薬局に電話をかけ、まず最初に、そこで購入できるかの確認をしなければならないんだ!」と怒ります。
噂通り「政府を少し懲らしめてやろう」なんていう気持ちでEU離脱に票を入れた人たちが多いのなら、「後悔していないのか?」と疑問に思います。
そういう人たちは、医療にまで考えがいかなかったのか、そもそも服用している薬がどこから来ているのか知らなかったのか? 直接民主主義に限らず、ころころ変わる民意というものに大きなウエイトがのしかかる民主主義に怖さを感じ、1人ひとりの個人の無力さを感じます。
英国が大きな役割を担ってきた医薬品の承認
これまで、英国の医薬品協会は、EUの医薬品界で大きな役割を担ってきました。4分の1にあたる医薬品が、英国で承認されているのです。大きな役割を担ってきた分、離脱での影響は大きくなります。そして、合意なき離脱の場合は、この承認が失効されます。
その影響の回避の方法の1つは、他のEU国でそれらの承認をすることです。短期間での承認は不可能なので、先述のドイツ製薬業者協会のエルマー・クロートは、「先行してコストをかけ、すでに4分の3は承認を済ませ、残りの4分の1もこの数週間で完了させます。合意なしになるのかはわからない状況ですが、まずは供給を最重要視しての判断です」と言います。
英国議会の混乱が、結局ドイツに無用なコストを強いたことになるのですが、結果を待っていては遅い。その通りだと思います。
準備を整えても残る不安
2016年6月にブレグジットが国民投票で決まってから、すでに3年近くが経過しました。それに備えて、ドイツの製薬業界は警戒態勢を長く続けてきました。人命にかかわるような最悪の供給不足を防ぎたいと、製薬会社のベーリンガーインゲルハイムのドイツ責任者は、その防御策として、「2017年よりブレグジットに備えての準備態勢を整え、予備の倉庫をレンタルし、在庫のキャパを増やすなどをしました」と語っています。バイエル社も同様の対応をしていますが、「とはいえ、放射線系の医薬品のような有効期限が短いものに関しては、在庫は不可能」とその限界も指摘しています。
ダルムシュタッドにあるメルク社の社長は、「わが社の製品のすべてに影響が出るのを、回避できません。抗がん薬や多発性硬化症の特殊な医薬品、心臓や甲状腺の疾患のための医薬品などなどに、一括ではなく個々の疾患の医薬品に対応するために、この2年間の努力の結果、ある程度の安全性の担保はできてきました。しかし、不測の事態というのは起こりえるので、今でも神経をとがらせいます」と語っています。
「例えば、税関で輸送トラックが渋滞を起こした場合の対応は?」などと、業界の警戒のレベルは下げられません。それに呼応するように、前述の糖尿病患者は正直な気持ちを語ります。「車などの工業製品ではなく、薬は命に係わります。私たちの命綱なのだから、英国はちゃんとした決定をもとに計画を立てて欲しい」
彼女は、英国のせいで命を危険に晒(さら)せねばならない不条理を感じていると思います。
ブレクジットの影響を大きく受ける他のEU諸国、もちろんドイツにしても、「なぜ、誰も得をしないバカなことをするんだろう?」とブレグジットを選んだ英国民の考えが理解できません。いろいろ考えた末、たぶんですが、こういう気持ちだったんだろうと思います。
もし、日本が戦後米国に合併され53番目の州になっていたら、「英国国民と同様の判断をするのでは」って思いました。防衛も経済も米国の言いなりで、自主性がなく、実質は米国の53番目の州だと、自嘲(じちょう)交じりの言葉を聞いたことがありますが、それでも、日本は自主独立しています。米国の州はかなりの自主権を持っていますが、それでも米国の大きな枠組みの制限を受けます。だから、もし米国に日本が合併されれば、自主独立の日本を取り戻したいと国民は思うでしょう。
英国は、他のEU各国とはかなり違っていましたし、EUと独自の距離を置いてきました。ところが、80年代には不況で経済は疲弊した。90年代初頭、僕も英国の出稼ぎ労働者をよく見かけましたが、EUと合流するしか道はなかったのです。
しかし、その選択は正解で、金融をはじめ英国は経済を立て直し、労働者が働ける場所も、英国内で増えていきました。以前は、移民にならざるを得なかった英国労働者も国内で十分な需要があり、今度は逆にイギリスに移民が入ってきました。
多くの戦争の歴史を持つEU諸国は、戦争回避策として、ヒトとモノがEU内で流動することで争いをなくそうという理念を持つため、都合の良いときだけの流通の自由化は認められません。自主通貨ポンドを使い続けさせたり、EUは英国の不満が出にくいように、いろいろと苦慮して優遇してきましたが、英国民は自主決定したいという欲求がいろんな不満を伴い、吹き出たのでしょう。高齢者の世代は、植民地時代の多くの遺産による恵まれた福祉政策を懐かしんだこともあると思います。
「英国は、欧州であって欧州ではない」と昔から言われています。英国人は、若い人ほど〝欧州人〟と答えますが、〝英国人〟と答える人は多い。母国のアイデンティティを大事にするのは悪いことではありません。しかし、EUは、米国以上に排他的にEU各国を守ってきたし、欧州連合という大きな統合体という強みでそれが可能でした。
しかし、そのせいで、英国の望むような、どことでも自由な貿易や関係を結ぶというのは難しいのですが、昔の大英帝国の面影がなくなった今、他の弱いEU各国と手を結び協力することでエゴを抑え、争いを避けてきたのです。
とにかく、まだまだ流動的なイギリスのブレグジッド。ドイツをはじめ他のEU諸国はこの3年イギリスに振り回されてきましたが、患者に不安なく医療が受けられて、特殊な薬でもスムーズに手に入るようにと願っています。
同じカテゴリーの最新記事
- ドイツがん患者REPORT 91 ドイツレポートを振りかえって 後編 最終回
- ドイツがん患者REPORT 90 ドイツレポートを振りかえって 前編
- ドイツがん患者REPORT 89 ドイツで日本のアニメを見て その2
- ドイツがん患者REPORT 88 ドイツで日本のアニメを見て
- ドイツがん患者REPORT 87 ドイツの医療用〝カナビス〟事情
- ドイツがん患者REPORT 86 「続々・コロナがうちにやってきた」家内がブレークスルー感染して2
- ドイツがん患者REPORT 85 「続・コロナがうちにやってきた」家内がブレークスルー感染して
- ドイツがん患者REPORT 84 「コロナがうちにやってきた」
- ドイツがん患者REPORT 83 乳房インプラントのスキャンダルが規制のきっかけ EUの新医療機器規制は本当に患者のため?
- ドイツがん患者REPORT 82 「1回だけでもワクチン接種者を増やす」に転換