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ドイツがん患者REPORT 64 俳優のがん闘病を知って
ヨーゼフ・ハネスシュレーガー(Joseph Hannesschläger)。友人の自主製作映画「シュムックロス」に出演していた男優です。
彼は「ローゼンハイム・コップ」という刑事ドラマシリーズで有名な俳優です。刑事ドラマといっても、理論的な切れ味鋭い推理でうならせるといったタイプではなく、コメディタッチでバイエルンの地方ローゼンハイムを背景に、文化的な側面とそこに生きる人々の人情などを描いた軽いタッチの刑事ドラマで、人気があり長期シリーズとなりました。
俳優ヨーゼフ・ハネスシュレーガー
映画には多くのバイエルン出身の俳優が手弁当で出演しましたが、彼の役は、ミュンヘンの旧市街ギージングの住居を仕切り、地上げもするちょっと闇の部分のある家主。表は古銭や金の買い取り店の主人。しかし裏の顔はその地域のボス、ゴッドファーザーのような存在。
今までの正義漢の役とは正反対なのに、ぴったりはまっていて良い役者だなと驚きました。映画は、表と裏の顔を使い分ける悪の大ボスとして展開していきますが、実は彼も最近の金もうけ最優先の地上げ風潮に腹を立てていた1人で、彼のドラ息子がそこの住人に嫌がらせをしていたことを知り、解決に乗り出す。
ドラ息子をしかりつけている最中に、心臓発作を起こして入院するも、ラストシーンはかねてから憎からず思っていた女性と病室でうまくいく。この映画の誰も死なないし、みんなハッピーエンドというコンセプトに沿った役でした。
彼についての新聞記事を読んで
去年(2019年)11月17日、ミュンヘンでの映画のプレミアは、ほぼ全員の出演者が勢ぞろいしました。そこにテレビをはじめ、多くの取材陣が来た理由の1つが、11月13日の新聞「TZ」に載った記事にあったと思います。
大きく紙面を割いて、ヨーゼフ・ハネスシュレーガーがインタビューに答えて、映画「シュムックロス」が、彼が出演する最後の作品となることを発表しました。何も知らない僕は、この時初めて彼が闘病中で、映画の出演もそのさなかに行われたということを知りました。監督のトーマスもまったく知らず、だから彼にオファーが出せた部分もあります。
ラストシーンでは入院中の彼はハッピーなですが、実際には苦しい、本当の意味での闘病をしていたのです。ドイツ語でNeuroendocrine Tumor、神経内分泌腫瘍(人体に広く分布する神経内分泌細胞からできる腫瘍で、膵臓、消化管、肺など様々な臓器にできる)という希少がんです。僕はこのとき初めて神経内分泌腫瘍のことを知りました。
「化学療法を受けながら、撮影の日を心待ちにしていた」と彼は語っています。台本に書かれたラストの入院シーンをどのように演じようか? と彼は考えたことでしょう。最後の仕事になるとの自覚があって「本当に楽しみにしていたし、撮影が楽しかった」とも。
映画の舞台は、彼が生まれ育ったミュンヘンの旧市街、下町ともいえるギージング。子供のころの思い出なども語っていました。他の有名俳優と同じく、映画監督を志す後進の若い人を手助けしたいという思いは、僕にもよく理解できます。僕にとってのバンドみたいなものかなって、勝手に思っています。
直腸がんを発病して余命2年と言われていた僕は、治療がうまくいって乗り越えられそうだとわかったとき、自分のために生きようと思いました。自分がやりたいことは「自分のための音楽であって、他人はどうでもよかった」。そのうちに「若い人たちに協力できたらよいのに」と、変わっていきました。それは、次の世代に何かを伝え渡したいという人間の、いや生物の本能みたいなものかもしれません。がん闘病から11年、今はそういう意識は少し薄れてきてはいますが。
最近の彼は、書類整理など、最近よく言われる「終活」を妻と行いながら、ゆっくりとした日々を送っていると語っています。
劇場で彼の隣に座ったとき
プレミアの時、早い時間に館内に入り、バンドのメンバーとは別行動で、僕にとって都合の良い席を探しました。この日も長時間の拘束。薬で抑えているとはいえ、腹痛や下痢のリスクは絶えずあります。いつでも、みんなに気取られず退席できる場所は、トイレに一番近い上部の通路に近い角の席。ところが、僕にとっての特等席だけなぜか予約席となっているのです。僕以外にも同じような人がいるものだなと思い、その前の席に座ろうとすると知り合いに見つかり、その予約席の隣に座ることになってしまいました。
上映ぎりぎりになって現れたのが、彼でした。彼の妻と思われる女性に付き添われて、杖を片手にゆっくりとおぼつかない足取りで、予約席に座りました。ちらちら彼を観察すると、顔を動かさず映画に見入っていました。
映画の後半で案の定腹痛が襲ってきてトイレに立ちたかったのですが、歩くのも大変な彼が苦労して通路を空けて僕を通すことを想像して……限界まで我慢することにしました。運よく、最後まで我慢できましたが、映画を楽しむどころではありません。
上映後、出演者や製作者たちがスクリーンの前に立ち挨拶をしているとき、彼は付き添われながら舞台に上るために階段を下りていきました。このタイミングを逃さずにトイレに行くべきなのですが、花道を汚したくないという気になり我慢しました。後で考えてみれば、本当に何を僕はやっているんだろうとも思いましたよ。我慢する必要なんてないのですから。
そのときの彼の姿は老いた病人。映画の中の活力いっぱいのゴッドファーザーとは程遠く、優に80歳を過ぎているように見えました。
しかし、彼はまだ57歳、僕と2歳しか違わないことを記事で知り、親近感を持ちましたが、「僕は彼に比べて見かけは若く元気に見えるんだなあ」と思いました。実際の僕の中身は、もう75歳を過ぎているようなのですが、見かけだけは実年齢、ドイツではそれよりも若く見られることも多いのです。
若く見えることによる弊害を被ることも多くありますが、病気で体力が奪われても、生き方を工夫すれば、それなりに1日を過ごしていける。これは僕の経験ですが、感じ方によっては楽しくも生きられると思いたい。
彼の去って行く姿を見て
その後、僕たちはライブのためにパブに移動しました。映画館から大勢の人たちがやってきましたが、この日は一般ライブが禁止の日で、メンバーの身元をはっきりさせたプライベートパーティのみ開催できるのですが、これ以上ないくらい大盛況でした。
次の日もライブがあるのに、バンドメンバーたちはライブを終えたあと、すでに打ち上げ気分。調子よく飲みまくっていて、体調のあまり芳しくない僕は、みんなの良い気分を害さないようにと、距離を置いていました。
パーティの付き合いもそろそろいいかなあと思い、ほてった体を涼みに外に出ると、女性に付き添われ杖を突く彼の姿が目に入りました。タクシーに乗り込む様子を見ているとき、「この映画に出演してくれて、最後までライブにつき合ってくれてありがとう」という感謝の念でいっぱいになりました。
一期一会、すべて偶然のことなのでしょう。多分もう会うことはないと思いますが、こういうとき、「頑張らなきゃ」というミッションのようなものを感じ、モチベーションが上がります。僕には、まだまだ何かできるかもしれない。それが、生き残れた者の意味かもしれない、って。
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