ドイツがん患者REPORT 65 〝闘病〟という言葉

文・絵●小西雄三
発行:2020年3月
更新:2020年3月

  

懲りずに夢を見ながら」ロックギタリストを夢みてドイツに渡った青年が生活に追われるうち大腸がんに‥

「がんサポート」連載のきっかけは、2013年の夏「がんサポート」誌の闘病記大賞に応募したことからでした。

闘病記の冒頭に、「闘病という感覚が当人にはないのですが……」と書いた記憶があります。もう、7年近く前になるんですね。

その当時も〝闘病〟という言葉について、「僕の場合はちょっと違うなあ」と思っていましたが、自分の心情をぴったり表現できる言葉も見つからず、しょうがなく闘病という言葉を使っています。

〝闘病〟の意味

僕が持っている辞書は30年以上前の古いものですが、「闘病とは懸命に病気を治療すること」と書いてあります。そこでネット検索してみると、「病気を治そうと強い意志で療養に努めること」とありました。

初めてがんを告知されて治療を始めた頃、その後、治療が順調に進み助かりそうだとわかった頃など、当時のことを振り返ってみても、「本当に強い意志で病気を治そうとしていたのか?」と、自問自答すると違うような気がします。

ドイツでの表現もやはり「病気に対して闘う」で、Kampf(闘う)を使い、まさに闘病です。英語でもa fight against〜と言うようで、同じような感じです。ところが英語には「もがく、あがく」という意味のstruggleという言い方もあり、闘うという言葉一辺倒のドイツ語の表現よりは、僕にはこっちのほうが向いてそうです。

しかし、前号に書いた俳優が先日亡くなったときも、「がんとの闘病の末」と新聞に書かれていたので、やっぱりドイツでは闘病という言葉しかないのだと思います。それに闘病と書いたほうが、「一生懸命に生きた‼︎」という印象もあり、メディアの表現としては当然でしょう。それに、昔から感じていたことですが、ドイツ人は闘うという言葉が好きです。

〝闘う〟という言葉が好きなドイツ人

「へー、そうなんだ。ドイツ人は闘争心が強いというか、えらく強い言葉を使うんだな」と初めて思ったのは、ドイツに来て間もない頃のことでした。書類を提出しにミュンヘンの総領事館に行ったとき、それは隣の窓口から聞こえてきました。仕事先で交わした契約条件が実際とは違うと、相談に来ていたようでした。

「この国では、自分の条件をはっきりと相手に話して勝ち取るようになっているんですよ。Kampfの国なんですよ。黙っていてはダメ、闘わないと。Kampfですよ、Kampf‼︎」

いつもは冷静沈着に機械的に話す領事館員が、このときばかりは力強く熱のこもった調子で話していたことをよく覚えています。

〝のらりくらり、穏便に〟がモットーの僕としては、この先のドイツでの生活が思いやられると暗雲が垂れ込んできそうな気がしました。まあ、それでも僕はその後もマイペースでやっていきました。

ドイツ人経営者の会社で僕が若いアルバイトを使って仕事をしていたときのことです。

「もっときつく言わないとダメ、あなたは優しすぎる。仕事は戦場なんだから。自分ができること、やったことをもっとアピールして、給料を上げてもらうようにしないと。会社の善意を待っていたら、仕事もせずに、口先だけで自己アピールのうまいのが、あなたの働いた分の給料をぶんどっていくわよ。闘って勝ち取らないと」と、年長のおばさんから言われました。

「なんか、大変だな。僕にはそういうのは向かないし」と、やっぱり、その後も自分のスタイルを押し通しました。

かの有名なアドルフ・ヒトラーの著書『Mein Kampf』(我が闘争)が、すぐに頭に浮かんでくることもあるのですが、僕はこのKampfという言葉が好きではありません。日本語の闘うという言葉もですが。できることなら使いたくない、というのが本音ですし、僕は闘うのが苦手なのです。

がんになったから、がんと闘いなさいと言われても……できそうもありません。当時はがんに関する情報も人任せ、治療法も医者任せ、僕がやったことといえば、決めたことを信じてやり通すことだけでした。それを、本当に闘病と言ってよいのか? と今でも思っています。

「別の言い方ってあるのかな」と、いろいろと考えてみました。僕の場合は、「今の状況をすべて受け入れる」という感じでしたので、それでは〝闘病〟という言葉は使えません。「病気を克服する」。ああ、これなんか良いなあ、と思いましたが、これは目標であって、治療中のことではありません。

探しては見たものの、ピッタリとした言葉が見つかりませんでしたが、そのとき、僕が治療中によく言っていた言葉を思い出しました。

取っ手やつかみ、ハンドルなどを表す単語で、グリフ(Griff)という言葉です。制御下にある(Under control)という意味でよく使用される言葉です。「大丈夫、何とかなっているよ」というように聞こえるとても便利な言葉です。体調が良くても悪くても、これさえ言っておけば、周りに悪い印象を持たれることも心配されることもなく、大丈夫と思ってもらえます。同情されたり、心配されたりするのは僕には大変な苦痛なので、この便利な言葉をよく使っていたものでした。

それにしても、闘病というような大げさに聞こえるものではなく、ごく自然に治療の姿勢を表すような言葉はないのかな?

最初の肝転移手術の直前に描いた絵。当時のカオスな気持ちをそのまま表現した

負担に感じてしまう

「闘病中」と新聞やメディアが言うときには、そこには視聴者など第三者の、患者はそういうポジティブな存在であってほしいという願望のようなものを僕は感じとってしまうことがあります。

それで勇気つけられたり、モチベーションが上がる患者も多いのかもしれませんが、がんを克服しなければという使命感や義務感を感じてしまい、逆にプレッシャーをすごく感じる僕のような人もいると思うのです。

「がんばれ」の応援はうれしいものですが、その反面、「がんに勝たなきゃならない」と思うと心苦しい。もちろん勝てるものなら勝ちたいのです。

最初は苦しいのが嫌で、積極的に治療して治すよりも苦痛が少なく穏やかに終われる緩和治療を中心になどと思っていたのです。しかし、まだ成人していない子供が2人いて、その子供たちに見せる最後の父親としての姿としてそれはどうなのか? と思い直しました。また、生きていてほしいと願う家族や友人たちの気持ちを考え、病気に対してサバイバルの姿勢を見せようという気持ちになりました。

やっぱり闘病でよいのかな

治療中は、さまざまな痛みや苦痛があっても我慢して、口に出すことはありませんでした。下手に口に出してしまって、そのために抗がん薬治療が中止されたり変更されたりするのが怖かったからです。無知のなせる業なのですが、サバイバルの姿勢を見せようと思ってからは、とにかく病気を治すことだけを目標にしていました。がんさえ治ればそのあとはバラ色の人生が待っている、思い込むようにしていました。目標は1つ、敵は1つ。それに集中していたおかげで、痛みや苦痛さえも一緒に、その間の生活を楽しんでいました。生きるという「活力」が一番あった時期だったと思います。

「向かう敵は1つ」と思っていたのなら、やっぱり闘病でよいのかな? とも思えてきます。「相手に反発せずに受け入れるが、屈しない」、これも闘い方の1つなのかもしれないと思えてきました。

治療がひと段落つき、もう大丈夫と思えた時点で、僕はバーンアウトのようになってしまいました。明確な目標がなくなってしまったからです。しかし、がんとの付き合いは、その後もずっと続いてるわけで、闘病は勝手に終わらせてはくれないようです。

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