ドイツがん患者REPORT 68 「僕と新型コロナウイルス感染症」その1

文・イラスト●小西雄三
発行:2020年6月
更新:2020年6月

  

懲りずに夢を見ながら」ロックギタリストを夢みてドイツに渡った青年が生活に追われるうち大腸がんに‥

今年(2020年)の5月4日(月)、ドイツでは新型コロナウイルス感染症の外出禁止令がかなり緩和されました。その前の4月20日に商店営業の緩和などもあり、少しずつ以前に戻りつつあるようにも見えます。

僕は直腸がん闘病以来、主な外出先といえば運動を兼ねて日課にしているスーパーの買い物と娘の犬の散歩。だから、外出禁止令が出ていたこの1カ月半、僕にとってはこれまでの生活と特段の変化はありませんでした。

望んでいない〝自粛生活〟を10年以上続けてきた体験から、みんなのストレスがいかに溜まるか、想像はつきます。僕とて、大腸の後遺症で活発な行動ができなくなっても、それを受け入れる心境にはなれず、最初のころは苛立ちもありましたから。

ドイツの新型コロナウイルス感染症の現状

2020年5月20日現在、僕の住んでいるバイエルン州は、総感染者数4万5,507人、死者2,287人、ドイツで最も被害が出た州です。国内の総感染者数17万8,000人、回復者数15万6,000人、死亡者数8,193人。最近になって死亡者が増え、致死率は4%を超えてしまいました。

ヨーロッパ内では、この新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)に対してドイツはかなり成功した国と言われています。イタリアやイギリスなどに比べ、医療制度が充実していることも要因でしょう。しかし、日本と比べて桁違いのPCR検査をしていても、4%を超える致死率です。

それでも、ドイツ政府の対応が失敗したとは思っていませんし、ドイツに住む人たちも現状に不安や不満はあっても、政府の政策を支持しています。

未知の感染症への対策に、今はまだ正解を出すことはできません。終息した後に、初めて出せるもの。そのときに「PCR検査を初期段階で片っ端から行い、その結果、医療者の対応を困難にした」「がん患者など他の病気の手術など不要不急の治療を延期したため、患者の命を縮めた」とわかっても、対応を責めることはないと思います。

僕だけが狭間でやきもき

2月4日から24日まで、息子とガールフレンドは日本を旅行していました。すでに日本国内では新型コロナウイルスの感染が問題となり、注意喚起されていました。

「来るのなら注意が必要」と、姉から息子に促すようにと電話が来ました。しかし、当時のドイツでは新型コロナウイルスは大して注目もされていませんでした。東アジアを、ドイツ語でFern Ostと言い、意味は「遠い東(極東)」、そんな遠い国の出来事に危機感を感じる人はいませんでした。

「日本ではマスクが必要」と言っても誰も理解してくれません。マスクは医療者や他人に感染させる危険性のある患者が着用するもので、街でマスクをしていようものなら避けられます。だから、マスクが日本では必須と伝えてもわかってもらえないのは当然のことでした。

姉のアドバイスは息子にすれば理解できないことで、姉と息子の考え方の違いを理解している僕は、マスク問題はストレスでした。姉に「なぜ、こんな時期に無理してまでも……」とまで言われても、昨年からの計画でしたから。

息子は小さいときに1度日本に連れて行ったきりでした。そのときの楽しかった思い出があって、また日本に行きたいというのが彼の長年の夢でもありました。

「僕の母親が長期間の闘病生活を送ったことや、その直後に僕ががんになっていなかったら息子をもっと日本に連れて行けたのに」と、僕が息子に対してすまないと感じていることは、姉にはわからないことです。

と同時に、多くの中国人観光客だけでなく、春節で中国に帰国していたEU(欧州連合)在住の中国人も多いので、僕は「ドイツも無関係でいられるわけはないのに」と思っていました。しかし、周りの人たちにとっては、〝対岸の火事〟でした。

バンド活動も停止に

2月16日のライブを最後に、僕の映画プロモーションバンドは短期の充電期間に入りました。今年は飛躍の年にと、練習スタジオも正式に借り、様々な計画やライブの予定も立てていました。しかし、本格的な活動前の休憩のつもりがもう3カ月、練習はおろか仲間と顔を合わせることもできません。

僕にとって、唯一の対外活動のバンド活動が停止になり、この先どうなるのかもわかりません。映画プロモーションバンドの元となった映画もミュンヘンで16週間のロングランとなり、ドイツ全土に売り出そうとしていた矢先コロナで壊滅的となり、ついてないなあ~と感じてしまいます。

2月24日、息子らが無事に日本から帰ってきました。僕が心配するほど日本で不自由することはなかったと言っていました。逆に中国からの観光客がいなくて、観光地巡りが楽で、日本を満喫してきたようです。

息子は帰国後も、1週間学校が休暇中なのでミュンヘンにいましたが、その間に移動禁止令で、ケルンに戻ることすらできなくなってしまいました。

日本人の留学生

rainy day

ドイツ国内でも徐々に新型コロナウイルス感染が広まる中、今年も日本から1カ月間の短期留学生のホームスティを引き受けました。彼女は高校時代に1年間アメリカ留学の経験もあり慣れていたのですが、イベントの多くがキャンセルされて、残念な留学に。しかし、移動禁止令前だったので、ザルツブルクなどへの小旅行ができたのは本当に良かった。

彼女とはドイツ語での会話もままならず、家内とも英語で話すことが多くて、ドイツ語習得にもならず、留学生活を楽しめなかったのではと心配したのですが……。「また来たい」という言葉を聞けて、ほっとしました。

3月15日、彼女が帰国した翌日「日欧の行き来を制限する」と総領事館からメールが来ました。彼女の帰国が1週間遅れていれば、帰国は許可されても、その後14日間の待機になったはず。

去年の短期留学生は、3月から1年間ハイデルベルグに留学することになったとうちに寄ってくれて、ドイツ語を使う仕事をしたいという将来の目標を語ってくれました。しかし、渡独早々この騒ぎで、学校に行くことも外出もままならない状態でかわいそうですが、この逆境を何事も経験と乗り越えてほしい。

様変わりした今年のイースター休暇

今年のイースター休暇は、4月10日(金)~13日(月)まで。「同居の家族以外との接触を避けるように」との通達で、家内と2人だけの寂しいものになりました。クリスマスと同様に、イースターは家族が集まる祭日で、教会にも行きます。日本で言えば、お盆休みのようなもので、亡くなった人を偲び、お墓参りにも行きます。

いつもなら、イースター期間中は子供たちとの食事のための食材で台所や地下室の冷凍庫がいっぱいになり、バルコニーには飲み物が乱立。ところが、今年は平日より少し多めの買い物、冷蔵庫にも余裕がありました。

僕はイースター行事に感傷を感じませんでしたが、子供たちとの繋がりをすごく大事にしている家内はとても寂しがっていました。

イースターの2週間前の週末はすばらしく天気が良く、犬の散歩に出た僕が見た光景は、大勢の年寄りや人々が行き交う姿でした。ソーシャルディスタンスと不要不急の外出禁止。それでも運動不足を防ぐための散歩などは年寄りには必要と思われていましたし、新鮮な空気は健康に良いと信じ切っている人たち。それが結果として、感染者を大きく増やすことになってしまいました。

隣人の死

これまでと違うイースターの最終日の夕方、食事を終えてふと外を見ると、下に救急隊員が移動ベッドを携えて待機している姿が目に入りました。しばらくして隣人が搬出されていきました。彼は肉体労働系技術職で、レスラーのようにがっちりした体躯の50歳代後半の男性だったのに、見る影もなくやせ細って。1カ月ほど前に、犬の散歩に出かけるときに彼を見かけて挨拶をしたとき、何か上の空という感じを受けたのを思い出しました。

彼が膵がんの肺転移・肝転移で、3週間ほど前に3~6週間の余命宣告を受けていたことを家内は知っていました。

「コロナの院内感染の流行で病院への立ち入りが禁止されているので、彼の姿を見るのはこれが最後ね」と家内。身内は許されても、友人等はもう会うことはできません。明るい人柄で、会いたい人も多かったでしょうに。ここでも、新型コロナウイルス感染が、人生の別れも変えてしまいました。

パンデミック中の病気

家内の友人は、早朝起きようとしても起き上がれません。脳梗塞でした。身動きも取れず、1人暮らしで誰かが気づいてくれることも期待できず、自力で何とか携帯電話で救急車を呼べたのは何時間も経った後でした。

両親も他界し天涯孤独ですが、その救急騒ぎを見ていた友人が、家内に知らせてくれました。家内は彼女に必要なものを病院に届けましたが、やはりコロナで面会はできませんでしたが、経過は順調だそうです。

脳梗塞は入院後、直接リハビリセンターに送られますが、今回のコロナ騒動で面会はできません。「近所にいるのに、困っている友人に何もしてあげられない」と、家内はつらい思いをしています。

僕は4月20日の定期検診の1カ月延期を依頼されました。また、3週間に1度処方箋をもらいに腫瘍内科に行きますが、今回は電話で注文、中には入らず入口で処方箋を受け取りました。

そこに置かれていた消毒液のポンプはびっくりするくらい大量に液が出てきて、「なるほどこれなら確かに30秒は乾燥にかかり、ウィルスも確実に殺菌できそうだ」と感心。腫瘍内科に来る人は、僕以上に免疫力の弱い人も多いのでものすごく気を遣います。

ドイツは、不要不急の手術や治療を延期しています。統計には表れなくても、身近な経験から「通常だったら助かった命だったのにと」いう事例が多くないことを願いました。

PCR検査を自宅で受ける

「2日後にPCR検査のため自宅に検査員がくるので、犬を預かって」と3月末、娘から電話。娘婿がクラスターの起きたデュッセルドルフに出張に行ったあと、昨日から体調を崩しているので検査してもらうとのこと。

ドイツでのPCR検査の基本は、電話で相談して、検査のため検査員に来てもらう。検査は順番待ちで、2~3日は自宅待機になる。PCR検査の体制を整えるのにも時間は必要で、2~3日の待機は当然だと思いました。

2日後に陰性との結果。その後も発熱もなく、結局不安からの体調不良だったのでしょう。〝不幸症候群〟と僕は勝手に呼んでいますが、「もしかしたら」と思い込んだりすると具合が悪くなる人が結構いるものです。家内は、直腸がんの排便障害を、初めはそういう部類と思い込んでいました。

しかし、心配ならPCR検査してもらえるのはありがたいことです。

家内の仕事先の老人ホームでの感染

4月に入り、家内が早期年金受給者になったために義務付けられている1,000時間のソーシャルワークの仕事先である老人ホームで、院内感染が起こりました。270人の入居者のうち23人と、介護士も10人が感染。ただ感染は家内が働いているフロアではなかったので、彼女のPCR検査は1週間後(全入居者と職員全員をすぐPCR検査はできなかったようです)陰性で、一安心。感染した入居者23人全員は、病院での診察で感染したことが後に判明しました。

身近で感染が起こって、さすがに家内もマスクや手袋を考えるようになりました。購入が難しいマスクや手袋が老人ホームに従事する人に配られ、僕も少しだけ恩恵にあずかりました。前に姉が送ってくれたマスクを僕は保管していたので、今役立つはずだったのに、日本旅行のため息子に全部渡したので手持ちはありませんでしたから。

家内からもらったマスクは、EU域内での販売するうえで欠かせない欧州言語の記載が一切なく、中国語だけ。正規ルートの商品ではなく、中国からの支援物資の一部だろうと想像しました。

新型コロナウイルスが中国で発生したのは確かで、中国とWHO(世界保健機関)の対応の拙(まず)さで世界中に拡散し、ドイツでも被害が出ているのです。中国の支援と言われても釈然としない気持ちですが、案外この感染症の発生経路を知らない人がドイツには多いので、感謝している人は多そうです。

発生源の名を冠する病名はつけないそうですが、パンダ外交ならぬマスク外交みたいなことをされると嫌な気持になります。日本では一部の人のマスク買い占めで購入が今もって困難、輸入先の中国からの物流がよくないこともその原因の1つと聞いていたので、このマスクも本来は日本に行くものがこちらに来ているのでは? 欧米でも今回のコロナ感染はマスクの概念を変えてしまいました。

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