ドイツがん患者REPORT 74 自宅に侵入してきたコロナ・後編

文・撮影●小西雄三
発行:2020年12月
更新:2020年12月

  

懲りずに夢を見ながら」ロックギタリストを夢みてドイツに渡った青年が生活に追われるうち大腸がんに‥

娘の誕生日パーティでコロナ患者が出た次の日、娘夫婦はすぐPCR検査に行くことにしました。娘婿は今回で2度目の検査。初めて検査したのは3月で、ドイツがパンデミックに襲われ始めた頃のことでした。当時は検査の仕方も手探り状態で家に検査員が来て行われたため、衛生局に連絡してから2、3日もかかりました。

今回は、当時と検査方法も変わっているようでした。手っ取り早いのは、ホームドクターに聞くことですが、娘たちはネットで検索して、自宅から一番近い検査場に連絡を入れ、予約を取りました。

パーティ後の週明けからミュンヘンでは行動規制が始まり、公共交通機関内や公共の建築物や商店内以外、例えばデモがよくある歩行者天国のような場所でもマスクの着用が再び義務化されました。ふた家族以上が集まっての飲食も禁止。

娘が誕生日パーティを開いたのは規制直前のことでした。こういうときドイツ人は、若者だけかもしれませんが、「それなら、禁止前に楽しもう」となるようです。

残念なことに娘のパーティで感染者が出てしまったのですが、僕は「禁止前に楽しもう」という考えにシンパシィを感じるのです。これは、ポジティブな思考、とくに病気の人にとっては推奨されてきた考え方です。しかし、コロナ禍なのだから、通常時との比較にはならないというのは、当然の考えでしょうが。

娘たちが検査場に着いて驚いたのは、誰も予約せず飛び込みで検査を受けに来ていたことだったそうです。ミュンヘンでは感染者の爆発的な増加を危惧する情報が飛び交い、ロックダウンに至らないまでも、それに準じたような規制が始まっていたので、大勢の人で混雑していると思っていたからです。

彼らの想像に反し、検査は簡単にすばやく終了し、家で結果を待つことに。検体の採取方法も、以前は鼻の奥からでしたが、今回は口腔内の粘膜からだったので、楽だったそうです。

それでも家内は旅行に行く

娘の誕生パーティでのセッション

感染リスクは娘たちとほぼ同じなのに、家内は検査に行くことを渋っていました。それは、日曜日から1週間、娘の犬を連れて北ドイツに旅行に行く予定で、もし陽性だったらキャンセルせざるをえないからでした。

本来なら、例年通り8月に旅行に行くはずでしたが、コロナの影響で9月に変更していたのです。この機会を逃して寒くなれば海辺のホリディはつまらないものになり、今年は中止ということにもなりかねません。家内にとって、旅行は生きる意味のプライオリティの最上部にあるので、中止だけはどうしても避けたかったのです。

娘たちと一緒に検査を受けに行くべきでしたが、理由にならない言い訳をして、結局検査を受けに行きませんでした。さすがに「美容院の予約が入っているんで」という言い訳に娘夫婦も「モラル上、問題がある」と不満を見せていました。

それでは僕はどうなのか? 僕も他人ごとではありませんでしたが、パーティにはほとんど顔を出しませんでしたし、外に出ても他人に感染させないようにとても気を配っています。逆に検査場に行くことのほうが、僕としては危険なことなのです。

娘夫婦は、翌日金曜の午後に陰性との結果が出ました。2人が陰性だったからといって家内も陰性といえません。しかし、娘たちの陰性を知って、喜々洋々と日曜日早朝、犬と一緒に旅行に出かけてしまいました。「バイエルンからドイツを横断してウィルスをばらまくかもしれない」という考えは微塵もなく……。

口腔粘膜から検査ができるようなったが

バイエルンではビール1本までは酒気帯びにもならず、飲酒運転違反の対象外です。人によれば、そのアルコール量でも十分酔ってしまうのに。「飲んだら乗るな」とは常識的に言われていますが、守る人はまずいません。

先日「欧米がいつも正しいとは限らない。世界基準で見れば特殊でも、日本のほうが正しいかもしれない」と言われました。僕も思っていることです。他国や異なった文化と比較することで、判断をより深いものにできると思います。

日本では検査数が増えないのが問題と聞きました。ドイツは、口腔粘膜からの検体採取の採用で、誰でも簡単に検査が受けられるようになっています。それでも症状が出ない限り、自主的に検査を受けようとする人は多くはいません。危険性の低い若者にとっては、ビールを飲んで運転しても飲酒運転ではない感覚なんだろうか。

僕は肉体的な接触を避けるソーシャルディスタンスが最重要で、他人にうつさないという意識が大切だと思っています。しかし、口ではコロナ感染予防は社会的な義務と言っていても、予防は面倒という意識があるかぎり、コロナは消滅しません。

マスクの着用を交通機関や公共の場所で義務化しても、自分が他人にうつさないためではなく、自分の身を守るためのマスクという考え方なら、感染したのは自己責任となりやすく、マスクの着用拒否にもつながります。

今までの自己決定の自由を制限されてまでの感染症対策を受け入れるのは、自分のためではなく他人に感染させないための社会的義務であると政府は啓蒙してきました。その手段の1つとしてマスク着用が場所によって義務づけられたのです。

ドイツでは比較的そのような啓蒙が受け入れられ、もちろん医療体勢もありますが、他のヨーロッパの国に比べ、感染者が少なくすんでいるように思います。

しかし、それがいつの間にか自己防衛、自己決定、自己責任と考える人が増えてきています。

いまや、若者にとってコロナは怖くなくなってきているし、中高齢者も同じように意識が変わってきています。それに対し、僕は僕のやり方で感染に気をつけていくつもりですし、それは今まで通りのことだと思っています。

やっと戻った日常

あれから2週間以上たち、入院していたゲストも退院して、自宅でのパーディ感染騒動は終わり、やっと日常を取り戻しました。

しかし、娘たちは住居の工事が続いているのでまだ同居しています。娘も時間があれば食事を作り一緒に食べるので、2人だけでは食べきれず残り物を食べる生活を回避できるのはありがたい。僕の極端に少ない食事量が原因ではあるのですが。

そんなことで娘夫婦はここしばらく不運に見舞われていましたが、娘婿に先日良い転職先が見つかりました。ドイツもコロナ禍で不況です。以前のような経済状況を取り戻そうとしても、コロナを無視して経済活動を行うような極端なことはできません。徐々に慣れ、共存していくしかないと思います。そんな厳しいなかで転職先が決まったことにとても喜んでいます。

僕は不運や不幸が続くと、「これは将来の良いことの兆し。悪いことがあった分、次は良いことが起こる」と思うようにしてきました。幸運なことが起こり、幸せなときは「次に不運が?」と、変な心配が頭をもたげてきますが、人生は山あり谷ありですからね。

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