がん哲学「樋野に訊け」 1 今月の言葉「同心円ではなく楕円形の精神で生きる」

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学講座教授
取材・文●常蔭純一
発行:2016年8月
更新:2016年8月

  

がんの悪化で生き方がわからなくなった

H・Tさん 56歳男性/会社役員/東京都

 50代半ばに至るまで、仕事はもちろん、私生活でも自分なりに努力を積み重ねて生きてきました。仕事でわからないことがあったときは人に話を聞き、本を読んで、その事柄について理解し、また、トラブルが生じたときは、とことん相手と話し合い、互いに納得できるように努めてきました。家族や友人たちとも同じように接し続け、わだかまりが生じたことはなかったと思います。そんなふうに生きてきたせいでしょう、何ごとに対しても、努力すれば必ず道は拓けると信じていました。

ところが1年前、肺がんを患ってからそんな私の信念が揺らぎ始めています。病期(ステージ)はⅡ(II)期で手術は成功。その後も先生の話に耳を傾け、100%指示に従って、治療に取り組み続けてきました。また、自分でも病気や治療法について勉強し、体にいいと思うことは積極的に取り入れました。にもかかわらず、骨や脳に転移の兆しが表れ始めているのです。病気なんかに負けてたまるか、という気持ちは変わりません。しかし、その一方で、自分の生き方は間違っていたのかもしれない、と考えてしまうこともあるのです。

たとえば人との関係1つとってみても、人とうまくやってきたつもりだったのが、実は自分のいい分を一方的に人に押しつけていたのではないか、という気もします。そんなことを考えていると、自分の生き方に自信が持てなくなり、治療に対する熱意も薄れていくようです。これから自分はどう病気に、人生に向かい合っていけばいいのか。ご教授お願いします。

楕円形的な生き方を目指す

ひの おきお 1954年島根県生まれ。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部長を経て現職。2008年「がん哲学外来」を開設、全国に「がん哲学カフェ」を広める。著書に『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)など多数

 質問者のH・Tさんは、自分で言われている通り、何ごとに対しても一生懸命。努力で自分の道を切り拓いてこられたのでしょう。いろんな人との間に生じた葛藤にも、粘り強く対応し、自分の思いを貫いてこられたに違いありません。1人の人間として見ると、努力で苦難を克服し続けてきたH・Tさんの半生は、とても立派で素晴らしい生き方といっていいでしょう。

しかし、残念ながらそうした生き方には、いつか必ず限界が訪れます。と、いうのは、H・Tさんは自らの価値観だけを支えに生きてこられたように思えるからです。

支えになる柱がたった1本だけというのでは、その人の人生はとても窮屈で柔軟性にも欠けるため、何か問題が起こったときに、人生そのものが瓦解(がかい)するかもしれない脆(もろ)さが潜んでいるのです。実際、今、H・Tさんが自らの人生に疑問を感じ始めているのも、そうした危機が顔をのぞかせ始めていることによるものでしょう。

私が「心の師」と敬愛している内村鑑三は「人生は楕円形であるべき」、と語っています。同じ円形でもまん丸な円形と楕円形では、まったく異なる特徴があります。まん丸な円は同心円と呼ばれるように求心点は1つだけ。一方、楕円形には2つの異なる求心点が存在しています。それが実はとても大きな力になるのです。

「努力すれば道は拓ける」、と自分の理想や価値観を貫いてきたH・Tさんの生き方は、「同心円的生き方」の典型例と言ってもいいでしょう。こうした生き方は、傍から見ると情熱的で魅力的でもあります。そのため何か活動を始めても短期的に見ると、同志が集まり、活動も発展するでしょう。

しかし、1つの価値観を支えにしているために、そこに疑問が生じると、その人の生き方が根底から覆されるという危険もはらんでいます。また、意見を異にする人に対しては、衝突の危険もはらんでいます。

一方、「楕円形的生き方」はまったく事情が違っています。

私たちの体内で交感神経と副交感神経という真逆の性質を持つ神経が一体として働いていることをご存知の方も多いでしょう。これら2つの神経は、緊張をはらみながら、バランスよく働いている。それが私たちの健康維持につながっているのです。

楕円形的な生き方では、その人の内面で2つの価値観が、交感神経と副交感神経のように、互いに緊張関係を保ちながら、全体としてうまく機能するのです。

たとえば理想と現実という2つの事柄を思い浮かべればわかりやすいでしょう。「自分はかくありたい」という理想と、「生きるために状況を受け入れる」現実が、その人の中で併存しているのです。これが楕円形的生き方です。

楕円形的な生き方には、いくつもの大きな利点があります。

理想だけを追っていた場合には、受け入れられない人の存在も認めることができ、人間として成長できる。また人生のスタンスが広がることで、ゆったりと楽に生きることができる。さらに異なる2つの求心点があることで、人生がより強くしなやかなものになることもあげられるでしょう。

WhyではなくHowを考える

では本論に戻りましょう。

がんが悪化の兆しを見せたことで、自らのこれまでの生き方に疑問を持ち始めたH・Tさんは、これからどう人生に向かい合えばいいのか。

1つ知っておかなければならないのは、大切なのはこれから生きていく上での方法論を考えることであって、なぜそうなったのかと原因を探っても、まったく意味はないということです。大切なのはHowで、Whyと過去を振り返っても、得られるものは何もありません。

そのことを踏まえた上でH・Tさんにアドバイスしたいのは、まず自分の生き方は間違っていたのか、などと自分を追い詰めることを止めること。そして、もっと前向きに自分の中に、理想と現実という2つの求心点を持つようにすること。

理想というのは、H・Tさんがこれから目指す生き方と考えればいいでしょう。そして現実というのは、言わずもがなでしょうが、病気と治療ということです。言葉を替えれば、厳しい現実を直視しながらも、自らの理想の生き方を追い求めていくということです。

これは私ががん哲学外来に来られた方に必ずいっていることですが、人は窮地に陥ったときにこそ、本当の自分の生き方を発見するものです。これは「その人本来の役割の発見」と言ってもいいでしょう。現実は苛酷かもしれない。しかし、その現実に打ちのめされないためにも、大いに理想の羽を広げていただきたいと願ってやみません。

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