がん哲学「樋野に訊け」 4 今月の言葉「人生の目的は『品性の完成』にある」

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学講座教授
取材・文●常蔭純一
発行:2016年11月
更新:2016年11月

  

妻をがんで亡くして人生の目的を見失った

S・Kさん 無職/64歳男性/神奈川県

 1年前に進行性の乳がんで妻を失くしてから、生活は荒(すさ)む一方です。私たち夫婦にはこどもがおらず、結婚以来40年、妻と2人で暮らしてきました。

5年前に定年を迎えた後も、私は嘱託として会社に残り、昨年ようやく仕事から解放されました。これからは妻と2人で共通の趣味のテニスや旅行を楽しみながら、ゆったりと生きて行こうと思っていた矢先の出来事でした。

妻の死によって、私は生きる目的を見失ってしまったようです。何に対しても興味がわかないし、何にもやる気が起こらない。実際、これではいけないとテニスクラブに足を運んだこともありますが、やはり、まるで面白くありませんでした。

今は家に閉じこもり、味気ないコンビニ弁当を食べながら、ぼんやりとテレビを眺めている毎日。いっそのこと、妻の後を追ってやろうかと衝動に駆られたことも1度や2度ではありません。

以前、先生のご著書で「人生の価値は晩年で決まる」という言葉を見つけ、なるほどと思っていましたが、私の人生の晩年は最悪です。妻を失くしたばかりの頃は、ショックで呆然としていたものの、時間が経てばまた元気になれると思っていました。

しかし、それから1年を経過した今も状況はまったく変わりません。何か新たな人生の目的を見つけることができれば、生きる気力も湧いてくると思うのですが……。

人生の目的は自分磨きにある

ひの おきお 1954年島根県生まれ。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部長を経て現職。2008年「がん哲学外来」を開設、全国に「がん哲学カフェ」を広める。著書に『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)など多数

 ある調査報告では、日本で30年連れ添った夫婦のどちらかが亡くなった場合、残された人の寿命について調べています。その結果は驚くべきものでした。夫に先立たれた妻の余命が20年に達しているのに対し、妻に先立たれた夫の余命はわずか3年にすぎなかったのです。

この調査結果から読み取れるのは、日本人男性がどれだけ妻に頼り切っているかということです。女性は日々の暮らしの中で生活基盤を確立し、交友関係も広げている。実際、夫が亡くなった後も、友人と海外旅行に出かけるなど、生活を楽しんでいる人が少なくない。

一方、男性の方はというと、競争ばかりでストレスをため続け、その反動で家に帰るとここぞとばかりに偉そうなことをいうのです。

でも現実には生活のすべての面で奥さんに依存しきっていて、1人では食事することさえままならない。そんな日本人男性の弱さ、脆さが端的に現われている調査結果といえるでしょう。おそらく質問者のS・Kさんもそうした典型的な日本人男性の1人だったに違いありません。

それはともかく、S・Kさんが生きる気力を取り戻すためには、新たな生きがいを見つけることが不可欠の条件でしょう。そして、そのためにはS・Kさん自身が言っておられるように、これまでとは異なる人生の目的を発見する必要があるでしょう。

では、それはどうすれば発見することができるのでしょうか。

これはS・Kさんに限りませんが、多くの人たちは人生の目的とそれを達成するための手段とを取り違える傾向にあります。ごく平均的な男性に人生の目的について聞いてみると、たとえば仕事での目標を達成したい、平和な家庭を築きたい、といった答えが返ってくるでしょう。

でも、これらは実は人生の目的を達成するための手段にすぎません。S・Kさんの場合も同じです。奥さんとゆったりとした人生を楽しみたいというのは、実は人生の目的ではなく、その目的を達成するための手段にすぎないのです。

では、人生の真の目的とは何なのでしょう。それは、その人自身の人間性を完成に導いていくことです。

あえていえば「品性の完成」といえばいいでしょうか。仕事で壮大な目標を達成するのも、平和な家庭を築くのも、また奥さんとゆとりのある人生を楽しむのも、品性を高めていくうえでのプロセスと考えればいいでしょう。

実際、目に見える目標を達成しただけでは、人は本当の意味での満足感や充実感は得られません。そのことによって、自分が1段、高められたと思うからこそ、達成感を覚えるのではないでしょうか。そうして少しずつ、自分自身を磨いていくことにこそ、人生の究極の目的があるのです。

その点でS・Kさんに知っていただきたいのは、人生の究極の目的はたった1つですが、そこに至るプロセスは無数に存在するということ。

S・Kさんが奥さんを失くして、気落ちされるのも、その状態が長く続いているのもよくわかります。

しかし、だからといって人生の目標が喪失したわけではありません。八方塞がりの状態でも天は開いています。まだ、しばらくは落ち込みが続くかもしれませんが、何かの折に頭上の青空を見つけて、人生唯一の目的に向かって歩みを始めることは十分に可能だと思うのです。

大きな世界で自らの品性を高めていく

もっともなかには「品性」といっても、今ひとつピンとこないという人もいるでしょう。私が敬愛する内村鑑三先生は、品性とはその人が持って生まれた性格を指しているといっておられます。

もちろん私も同感です。と、すると品性の完成ということは、自分自身の性格を極限にまで高めていくということです。

例えば、ある人がせっかちな性格だったとしましょう。これにはいい面とよくない面があります。

たとえば困っている人を見た時に、間髪入れず助けの手を差し伸べるのはいい面だと考えられます。逆に深く考えることなく拙速に行動するのはよくない面と考えられます。

そのなかでいい面を見つけ出し、その部分をどんどん伸ばしていくことが「品性の完成」につながります。つまり持って生まれた自らの性格、個性を最良の形にしていけばいいのです。

では、そのためにはどのように生活に向かい合えばいいのでしょうか。1ついえるのは、多くの人と交流を持ち、その人たちのいい部分をどんどん吸収していくこと。

そのことに呼応して、S・Kさん自身の長所にもどんどん磨きがかかっていくのです。と、すれば、積極的に外に出ていく必要があるでしょう。その際に知っておきたいのは、まずは自分自身を空っぽの状態にしておくこと。

空っぽの容器として人と接すれば、相手は無条件でそこに豊穣な水を注いでくれることでしょう。そしてその水を肥やしにして自分を高めていけばいいのです。

もっともそうはいっても、いきなり人と交流を持つことは少々難しいかもしれません。まずはブラリと散歩気分で外出してみてはどうでしょう。

そして景色を丹念に眺めてみる。すると、これまでは、当たり前に思っていた景色のなかに何かしら新たな発見もあるでしょう。そうして少しずつ刺激を受けながら、新たな人生に向かう準備を進めていただければと願います。

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