がん哲学「樋野に訊け」 6 今月の言葉「『1人でも全宇宙を動かせる』という気概を持つ」

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学講座教授
取材・文●常蔭純一
発行:2017年1月
更新:2017年1月

  

それが本来の役割であれば、何ごとも成就できる
子や孫に自分の人生を伝えたい

Y・Dさん 78歳男性/神奈川県

 2016年9月に肺がんが見つかり、脳にも転移の兆しがあることが判明しました。私自身はすでに喜寿を過ぎたこともあってか、来るべきものが来たという心境で、さほどのショックも落胆もありません。

そのため医師から勧められた手術も断りました。がんになったことを天命と受け止め、どれだけ残っているかはわかりませんが、余生を淡々と送っていければそれでいいと考えているのです。

もっともただ1つやっておきたいことがあります。私は幼いころに両親を亡くし、周囲の親戚や友人、知人、さらに学生時代の恩師の力を借りて、何とか人生を生き抜いてきました。彼らに感謝の気持ちを伝えたい。

また、私はこれまで自らの人生について、子や孫たちに話したことはほとんどありませんが、私が他界してからでも、私の生き方を知ってもらいたい。そのことを通して、人と人との絆の大切さを理解してもらいたいとも思っています。

そのため、がんが見つかってから、家族には内緒で自分史というのでしょうか、私自身の人生について執筆を始めました。もっとも文章を書くことに慣れていないせいもあってか、作業ははかどりません。何とか生きている間に完成にこぎつけたい。そのためにはどのようにこの仕事に取り組めばいいのでしょうか。

ささやかな存在が思いがけない力を発揮する

ひの おきお 1954年島根県生まれ。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部長を経て現職。2008年「がん哲学外来」を開設、全国に「がん哲学カフェ」を広める。著書に『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)など多数

 私はこれまで、長く病理学者として研究を続け、また、近年はがん哲学外来を開設し、多くのがん患者さんと接しています。そうした経験から多くのことを学んできました。その1つに、それ自体は小さなとるに足りないような存在が時として驚くべき力を発揮する、ということがあります。

それは、実はがんという病気についての研究を通して得た実感です。

がんは最初の段階では、人を脅かすような存在ではありません。しかし、時にはたった1個のがん細胞が、何らかのきっかけで、乗数的に増殖し、やがて宿主を脅かす存在に成長していきます。もっとも逆の場合もあります。がん細胞が増殖を始めても、防波堤となる正常細胞が頑張れば、がんの進行を抑えることもまた可能でしょう。つい最近、私の恩師が91歳で天寿を全うされました。

のっけからこんな話をしたのは他でもありません。私はこうした微細な細胞の力が人間の生き方にも共通すると思っているからです。どんなにちっぽけな存在であっても、どんなに追い込まれた状況であっても、時として人間は思いもかけない力を発揮することができる。そう考えるとY・Dさんが、余生をかけて自分自身の物語を紡ぎあげることも、それほど難しくはないでしょう。

ただ、そのためには1つの条件があるのも事実です。それはY・Dさん自身が「1人でも宇宙を動かしてみせる」というほどの気概を持つということです。

見えない誰かが背中を押してくれる

こういうと、なかには勘違いをされる方もいるかもしれません。気概という言葉から、不屈の意志あるいは闘志といった言葉を思い浮かべる人もいるでしょう。

しかし、私が言いたいことは違っています。それはその人が為そうとしていることが、本当にその人に与えられた使命であるかどうか、Y・Dさんの場合で言えば、自分史を執筆することが、Y・Dさんの使命であるかどうかということです。

このことはがん哲学外来でもよく話すのですが、人間には誰でも、その人だけに与えられた本来の役割というものがあります。ここでいう役割という言葉は、仕事という言葉に置き換えてもいいでしょう。

そのことに気づき、本来の仕事に携わった時、その人は無上の喜びを感じとることができ、まるで見えない誰かに背中を押されるように、無条件でその仕事に全精力を注ぐことができる。そしてその結果、時には、思いがけないほどの成果を表すこともできるものなのです。

私がいう「気概」とはそうした心の働きを指しています。つまり、それがその人本来の役割、仕事であるならば、誰でも自然に、「宇宙をも動かせる」気概が持て、想像を遥かに上回る力を発揮することができるということです。

さてY・Dさんのケースです。Y・Dさんはこれまでの人生で世話になった人たちに感謝の気持ちを伝え、子や孫たちに自分の生き方を理解してもらいたいと言われています。それが本当にY・Dさんに与えられた本来の役割であるならば、どんなに苦労しても、最後までその仕事をやり通すことができるでしょう。

もちろん、しばらくの間は慣れない執筆活動に戸惑うこともあるかもしれませんが、それこそ見えない誰かに背中を押されるように、ぐいぐいと筆を進めることができることでしょう。

ただ1つ気になるのは、子や孫に自分を理解してもらいたいという思いが強すぎるように感じられることです。少々、過酷な物言いになるかもしれませんが、人に理解してもらいたいというのは、いってみれば我欲に他なりません。

本当の意味での気概とは、もっと純粋で、自然発生的に生じるものです。そのことを考えるとY・Dさんはまず、自分史の執筆が、本当に自分に与えられた役割なのか確認するべきでしょう。そのために理解されたいという我欲を捨ててみる。それでもなお、背中を押されるように執筆に向き合えるのであれば、その作業を続ければいい。

逆にそれでやる気を失くしてしまうのなら、改めて自らの仕事を探し直すべきでしょう。人生最期のひと時を充実させるには、本来の生き方を全うすることが何より重要なことをくれぐれもお忘れなきよう。

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