がん哲学「樋野に訊け」 12 今月の言葉「病気は個性のひとつと考える」

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学講座教授
取材・文●常蔭純一
発行:2017年7月
更新:2017年7月

  

がんになって自分に自信がなくなってしまった

S・Kさん 46歳男性/会社員/神奈川県横浜市

 これまで40数年間、ほとんど病気知らずの日々を送ってきました。週に3回、会社帰りにジムに通い、週末はテニスにゴルフ、冬には休暇のたびにスキーやスノボーを楽しみます。もちろんタバコは吸わないし、酒もたしなむ程度。そのため会社内では健康優良児のように思われていました。

しかし、それも今は昔。そんな私がこともあろうに社内の健康診断でがんであることが判明したのです。精密検査による診断はごく早期の肺がんで、内視鏡による手術でがんはきれいに取り除かれました。しかし、がんになったことによる精神的なダメージからは、なかなか立ち直ることができません。これまでは何日、残業が続いてもほとんど疲労を感じることはなかったし、逆にやりがいを感じていたほどでした。趣味のスポーツでもチャレンジブルなプレーを得意にしていたものでした。

しかし、がんになってからは体のことが気になって踏ん張りが利きません。仕事でもスポーツでも、「無理をすると、がんの再発につながるのでは」との不安から、積極性がなくなりました。

そしてそうこうしているうちに、仕事にもスポーツにも、以前のように身が入らなくなってしまっていることに気づかされました。早い話、私はがんになったことにより、自分に自信を無くしてしまっているのです。同僚や友人は、「早期に見つかってよかったじゃないか」「今どき、がんなんて大した病気じゃない」と言ってくれます。

しかし、斜に構えるようになった私は彼らの言葉を素直に受け止めることもできません。つい、先日も同じように励ましてしてくれた友人に「がんになっていないお前にわかるか」と食ってかかる始末です。このままでは大切な人間関係も壊れかねません。自分を取り戻すための処方箋をいただけないでしょうか。

自信があった人ほど落ち込みも激しい

ひの おきお 1954年島根県生まれ。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部長を経て現職。2008年「がん哲学外来」を開設、全国に「がん哲学カフェ」を広める。著書に『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)など多数

 がんになると、程度の差はあれ、誰しも自分に対する自信をなくし、人生の迷い子のような状態に陥ってしまいます。私が主宰するがん哲学外来を訪れる人たちも、ほとんど例外なく、自分に対する自信を喪失しています。つけ加えると、病気になる前は、自信満々で肩で風を切って歩いていたような人ほど、落ち込みも激しいものです。

質問を見ると、S・Kさんは仕事にも趣味のスポーツにも、チャレンジブルな姿勢を貫いていたようです。と、すれば、がんになったことによる落ち込みも一通りのものではないでしょう。

当然ながら、立ち直りには、ある程度の時間が必要です。一般的にいって、がんを患った後の落ち込んだ状態は、1年程度は続きます。落ち込みが鬱(うつ)に移行すると、立ち直りまでの期間はさらに長引きます。幸いにして、この方の場合は、まだそこまで状態は悪化していないように思われます。そのことを考えると、1年程度は自信喪失の時期が続くと見ておくべきでしょう。逆にいえば、1年もすれば、元気を取り戻せると楽観的に考えることもできるわけです。

もっとも、私に言わせれば、ただ元の元気な状態に戻るだけでは、少々もったいないような気もします。と、いうのは、がんという病いを得ることは、これまでの自分のものの見方、考え方を改め、新たな人生を切り開く絶好のチャンスでもあるからです。

もう少し、具体的に見ていきましょう。

S・Kさんのこれまでの生き方は、他の人たちとの競争を前提とした生き方ではなかったでしょうか。仕事でもスポーツでも、手応えを感じていられたのは、あくまでも他の人たちとの比較を前提としたもののように思えます。他者との比較によって、自分はスタミナがある、挑戦的であると自己評価し、心のどこかで優越感に浸っていたのではないでしょうか。

また、少々飛躍すれば、残業も厭わないS・Kさんは同期の間では、先頭を切って出世街道を歩んでいたようにも思われます。友人や同僚の励ましの言葉に素直に反応することができないのもそのことによるものでしょう。他者との比較で自分が劣っていると思うため、競争相手である同僚や友人の言葉にシニカルに反応してしまうのです。こうした競争原理に基づく生き方に縛られている限り、S・Kさんが本当の意味で前向きになれることはないでしょう。

譲れるものはどんどん譲る

では、どうすればS・Kさんは新たな方向性を切り開き、再び積極的に人生に向かい合うことができるのか。

そのためには、何よりまず、他者との比較で自分を評価する生き方にピリオドを打つ必要があるでしょう。仕事でもスポーツでも、譲るべきところはどんどん譲ればいい。自分はがんだからと腐るのではなく、がんを1つの個性として捉え、その個性に合わせた生き方を実践するということです。そうしてできた時間、エネルギーの余裕を活用して、本当の自分にふさわしい生き方を探し始めればいいのです。

これは私を訪ねて来たがん患者さんに、必ず言うことですが、人間は誰しも、その人にしか果たせない役割を授かっています。それがどんなものなのかは、実際にそのことに出会わないとわからない。ただ、その役割を見つけるためには、従来の行動範囲から飛び出して、外に向かっていく必要があります。それはある種の社会活動かもしれないし、がん患者会のような活動かもしれません。また人によっては書物を通して、自らの役割を発見することもある。いずれにせよ、視野を大きく広げ、従来とは異なる世界に果敢に飛び込んで行くことです。そうした試行錯誤を続けていく中で、必ず、これこそはと思う仕事が見つかります。そして、それこそがS・Kさんに授けられた役割なのです。私が落ち込みから立ち直るには1年程度は必要でしょうと言ったのも、実はそうした自らの役割が見つかるまでの期間を指した言葉でもあるのです。

実際にS・Kさんの役割がどんなものなのか。それは私にもわかりません。ただ確実なのは、この世界のどこかにS・Kさんを必要としている人が必ず存在すること。その人を支えるという、本来の役割を果たすことでS・Kさんの人生は、充実感に満ちたものになるのです。がん罹患という好機を生かし、新たな人生に果敢に挑んでいただきたいと願います。

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