がん哲学「樋野に訊け」 13 今月の言葉「1日の苦労は1日で足れり」

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学講座教授
取材・文●常蔭純一
発行:2017年8月
更新:2017年8月

  

がんになっても、何とかやれると思えるようになったが……。

T・Yさん 62歳男性/埼玉県

 3年前にⅡ期(ステージⅡ)の大腸がんが見つかり、手術で切除したものの、昨年になって大腿骨や骨盤への転移が見つかりました。このため今は、杖なしでは歩くこともままならない状態です。そのせいか、外出の機会もめっきり少なくなり、自宅で引きこもりのような生活に陥りました。身の回りの世話をしてくれている妻とも、会話らしい会話はほとんど皆無という状態でした。

ところが最近になって、あることに気がつきました。がんの骨転移のせいで、歩くことは大変ですが、自転車を使うと、ほとんど痛みを感じずに動けることがわかったのです。そのことに気がついて、まるで目からうろこが落ちたようでした。がんになっても、知恵を絞って工夫すれば、自分なりに生活を楽しめると思えるようになったのです。

しかし、そうなると、今度は自らの行く末が気になり始めます。自宅で引きこもっていた時は、自暴自棄というべき状態だったからか、いつ寿命が尽きてもかまわないと開き直っていました。しかし、日々の暮らしを楽しみたいと思うようになった途端に、死を恐れる気持ちが強くなってきたのです。毎日、床に就く前には、これからどれだけ生きられるのか、という不安が頭を離れません。せっかく気持ちを切り替えられたのに、そのことを考えると、気持ちが萎えて落ち込んでしまうのです。この怯えを克服することはできるのでしょうか。

大腸がんを患い、骨に転移したという現実は変わらない

ひの おきお 1954年島根県生まれ。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部長を経て現職。2008年「がん哲学外来」を開設、全国に「がん哲学カフェ」を広める。著書に『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)など多数

 がんという病気になると、誰もが自らの余命を案じ、そのことについて深刻に思い悩みます。それも無理はありません。最近になって、さまざまな新たながんの治療法が発表されてはいますが、現実を見ると残念ながら、がんという病気の怖さ、やっかいさは変わっていないと見るべきでしょう。がん患者さんの多くが、予後(よご)について思い悩むのも、そのことを直感的に理解しておられるからでしょう。

T・Yさんの場合は、3年前に見つかった大腸がんが2年後に骨転移したとのこと。大腸がんについて言えば、新たな治療法も報告されており、その面でまったく期待が持てないというわけではないかもしれません。しかし、それにしても、T・Yさんが大腸がんを患い、骨に転移したという現実は変わらない。そのことはしっかりと受けとめておくべきでしょう。つまり、T・Yさんががんになり、そのがんが転移したという事実は、どう抗っても変えることはできないということです。言葉を替えると、そのことについての本質的な解決法は存在しないということです。

もっとも解決はできなくても、問題を解消することは可能です。禅問答のように思われるかもしれませんが、問題は問題としてそのままにしておいて、そのことを気に留めないようにすればいいのです。わかりやすくいうと、がんのことは現実として受け止めながら、そのことを思い患うことなく、1日1日をしっかりと生きていくということです。そのためには例えば家の中を掃除する、庭の花に水をやる、そんなささやかな日常を無邪気に楽しむ心構えが必要でしょう。そうして、自分のやるべきことを精一杯、やり続ければ、余計な不安や脅えもいつしか遠のいていくことでしょう。

がんになっても工夫次第で生活が楽しめる

もっとも、そうはいっても、現実にはそうした心境に達するのはなかなか容易なことではありません。そこでお勧めしたいのが、心持の方向を切り替えてみることです。がんになって余命が不安で仕方ない、というのは、自分を中心に人生を考えているからではないでしょうか。そんな心の方向を他の人たちに切り替えてみるのです。いわば利己主義から利他主義へ、気持ちの方向転換ということです。

明治・大正期の海軍の総帥で、「戦わずして勝てる者に勝利の栄冠が授けられる」との名言を残した東郷平八郎は、晩年、がんの痛みに苦しみ、ことあるごとにそのつらさを訴えていたと聞いたことがあります。しかし、かかりつけの医師から「痛いものです」と、諭されてからは、一切、そのことを口にしなくなったとのことです。

これは東郷の心の方向が自分から他者に切り替わったことを物語っています。もちろん、医師に諭されて痛みが無くなったわけではありません。しかし、他者の立場になって考えた結果、人前で痛みを口にすることを慎むようになったのです。私に言わせれば、これは東郷の人間としての大きな成長です。T・Yさんの場合でいえば、「がんになっても工夫次第で生活が楽しめる」と考えられるようになっている。

見方によっては、このことも1つの成長のプロセスといえるでしょう。ならば、もう1歩ジャンプして、人間として大きな成長を遂げていただきたいものです。

手厳しいことを言うようですが、これまでT・Yさんは周囲の人たちに対する気遣いに欠けていたのではないでしょうか。がんになった後、奥さんとの関係が気まずいものになったのも、そのせいかもしれません。そうした自分中心の生き方を他者中心に切り替えてみるのです。これまでずっと面倒を見てくれた奥さん、それにお子さんについて一度、じっくりと考えてみてはどうでしょう。そして、どうすれば彼らを幸福にできるかということに思いを巡らせ、そのことを無邪気に、そして懸命に実行する。そうすれば、余命についての不安などは、いつの間にか消し飛んでいることでしょう。

ちなみに利他主義で生きれば、結果として周囲との関係も改善し、自分自身もずっと幸福になることができるものです。結局のところ、人生で最も大切なことは、他の人たちにどれだけ「心のプレゼント」を贈ることができるか、ということです。そのことを肝に命じて、無邪気にそして精一杯1日1日を楽しんでいただきたいと思います。

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