がん哲学「樋野に訊け」 16 今月の言葉「結論を先延ばしにすることがいいときもある」

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学講座教授
取材・文●常蔭純一
発行:2017年11月
更新:2017年11月

  

長引く治療に不安が募る

Y・Hさん 68歳男性/農業/神奈川県

 それまで勤めていた会社を退職する直前の5年前に食道がんが見つかり、切除手術を受けました。幸い、術後の経過も良好で、そのことを契機に、かねてから考えていた農業を始めることにしました。長野に古民家を購入、週末になると妻と現地に赴き、畑仕事に勤しむ暮らしぶり。繁忙期には息子たちの協力も得られ、自分としては理想的な退職後の日々を送っていました。

しかし、好事魔多しとはよく言ったもので、今年の3月、体調不良で自宅近辺の大学病院で検査を受けたところ、今度は急性骨髄性白血病(AML)との診断を受け、緊急入院を余儀なくされました。当初は2~3カ月で退院できると思っていたのが、6カ月が経過した現在も入院中です。病院での毎日は、検査と抗がん薬治療で時間が過ぎ去っていくばかり。思いがけず治療が長引いていることもあって、その合間には、あまり考えたくない事柄も頭に浮かびます。

現在はまだ治療中で、結果は出ていないのですが、私のような高齢者の場合、この病気の完治は難しいようです。と、なるとようやく実現した理想の暮らしを手放さなくてはならないかもしれません。

妻と2人で畑仕事に汗した日々はとても充実したものでした。しかし、病気で体力が低下すれば農作業を続けることは、困難と言わざるを得ないでしょう。また、私が病気になってからは妻も自宅に留まっており、そのために、折角購入した古民家も、手入れがされないまま荒れ放題になっているようです。老後の充実した日々が、こんな形で終わってしまうのかと思うと無念でなりません。これからどう生活を切り替えていけばいいのか、悩んでいます。

まず必要なのは正確な状況把握

ひの おきお 1954年島根県生まれ。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部長を経て現職。2008年「がん哲学外来」を開設、全国に「がん哲学カフェ」を広める。著書に『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)など多数

 よく知られているように、白血病とは骨髄・末梢血の細胞ががん化する病気です。ひと昔前までは「不治の病い」と言われていましたが、現在では抗がん薬や幹細胞移植などによる治療法が確立されており、生存率も以前とは比較にならないほど高まっています。

治療法について、もう少し詳しく述べると、基本になるのは抗がん薬による寛解導入療法です。抗がん薬によって、まず血中のがん化した白血球を減少させます。

この状態は一般的に完全寛解と呼ばれます。完全寛解が達成されれば、再び抗がん薬を用いて、がん化した白血球を完全に死滅させます。この段階の治療は寛解後療法と呼ばれます。そうして、寛解後療法の後、一定期間検査を続け、同じ状態が続けば、完治と判断されるわけです。ちなみに抗がん薬による治療でうまく効果が上がらない場合、若年の場合は骨髄移植などの幹細胞移植による治療も行われます。

さて、Y・Hさんのケースですが、具体的な状況が今ひとつよくわかりません。一般的に完全寛解を目指す抗がん薬治療が、この質問者の場合はすでに半年近くも治療が続けられている。

これはある抗がん薬で効果が現われなかったために、薬を別のものに切り替えたとも考えられますが、断定はできません。いずれにせよ治療が難航していることは間違いない。とはいえ治療が続けられているところを見ると、治癒の希望もあると考えていいでしょう。

質問を見ると、入院生活が長引いているために、Y・Hさんは治療に疲れ、精神的にもいささか動揺しているようです。

そうした状況から脱出するには、何より、自らが置かれている状況を正確に把握する必要があります。自分1人だけでは、客観的になり切れない可能性も考えられるので、ご家族も交えて、一度、主治医に時間を取ってもらって、現在の病状、治療法について、しっかりと話を聞く必要があります。そして、その後でこれからの生活についてじっくりと考えてみればいいでしょう。まずは自分のポジションを正確に把握するということです。

大切なのは夢を持ち続けること

当然ですが、担当医から伝えられる話は明暗、どちらかに区分されるものでしょう。その話が治癒の見込みが伝えられる明るい内容であれば、そのまま受け止めればいい。入院中はひたすら治療に励み、治癒した後で、再び念願だった田舎暮らしを再開すればいいのです。

問題は、治癒が厳しいなど、話の内容があまり芳しいものではなかった場合です。その場合には、2通りの対処法が考えられます。1つは別の病院を探すなど、可能性を信じて治療を続けること。医師から治療が困難と言われたとしても、それは確率の問題に過ぎません。いくつもの病院を訪ねている間には、Y・Hさんのケースにうまく合致する治療法に出会わないとも限りません。ただ、率直にいって、その可能性はあまり高いとは言えないでしょう。

もう1つは、医師の言葉をそのまま受け止めて、生き方を切り替える対処法です。諦念ではありません。「それもまたよし」と、治癒が難しいことを素直に受け止め、新たな日々に向かって行くのです。哲学者カントはいまわの際(きわ)に「これでよし」といったと伝えられていますが、同じように自らの人生を肯定的に捉えるわけです。

もっとも、その場合でも結論を急ぐわけではありません。むしろ、逆に結論を出すことは延ばし延ばしにした方がいいかもしれません。厳しいとはわかっていても、心のどこかで「もう一度、田舎に暮し、農業に勤しむ」という夢を保ち続けておくのです。それが結果的に病いと付き合い続ける上での心の励みになってくれることでしょう。そのことを考えると、購入された古民家も当分は、そのままにしておくのがいいかもしれません。そうして、いよいよという段階になったときに、自らの人生を振り返り、「これでよし」と納得する。それもまた、1つの有意義な生き方といえるのではないでしょうか。

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