がん哲学「樋野に訊け」 17 今月の言葉「残された者へのプレゼントは人によって違っている」

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学講座教授
取材・文●常蔭純一
発行:2017年12月
更新:2017年12月

  

夫ががんと闘ってくれない

N・Tさん 65歳女性/主婦/東京都

 数カ月前、市の健康診断で70歳の夫に肺がんが見つかりました。大学病院で検査を受けると、がんはすでにステージⅣに達しており、脳や骨にも転移しているとのこと。担当の先生からも「率直にいって状況は厳しい」と言われました。ただ、これ以上、症状を悪化させないためには抗がん薬による治療を行ったほうがいいとも聞きました。

私が驚いたのは、その時の夫の対応です。何を思ってか、夫は「治療は一切、必要ありません」と、薬物治療を拒否したのです。その後も夫は諦めの境地に達したのか、「元気なうちに」と身辺整理をしたり、何年も音信不通だった友人に会いに出かけたりしています。それはそれで、1つの病気への向き合い方なのでしょう。でも正直に言って私はそのことが不満です。

私は夫とともに50年近い歳月を共にしてきました。その間、夫はいつも、自分のことよりも、私たち家族のことを優先して考えてくれる優しさに満ちた人でした。それがなぜか、病気のことに関しては、私たちの意見を聞こうとしてくれません。私は夫がいなくなることについてまだ、心の整理がついていないし、夫が亡くなった後、どう暮らしていけばいいのか、ということも考えられません。

正直、夫がいなくなることが不安で仕方ないのです。そんな私のことを考えてくれるのなら、少しは病気と闘ってくれてもいいのではないかと思うのです。すでに成人して、他家に嫁いでいる2人の娘も私と同じように考えているようで、「少しでも長生きして欲しいのに」と、不満を口にしています。実際、化学療法で時間稼ぎをしている間にいい治療法が見つかることも考えられるのではないでしょうか。結果はどうなるかわからないけれど、私は夫に病気と闘って欲しい。これは私のわがままでしょうか?

去って行く者はプレゼントを残していく

ひの おきお 1954年島根県生まれ。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部長を経て現職。2008年「がん哲学外来」を開設、全国に「がん哲学カフェ」を広める。著書に『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)など多数

 がんを患った場合の人の対応は様々です。もっとも、質問のように、症状がある程度以上に進行し、治療が困難な場合には、患者さんの対応は大きく2通りに分かれます。

まず1つは、治癒は困難とわかっていながらも全力で治療に取り組むケース。この場合は自分自身が少しでも長く生きたいと願っていることもあれば、家族の意向をくみ取って治療に臨むケースもあるでしょう。そしてもう1つは、人生の最期を見据えて、治療よりも自分らしく生きることを選択するケース。当然ながら、これはどちらが正しいと判断できるものではありません。あくまでも、その人自身の価値観の問題でしょう。

と、すればご主人が、病気と闘わないことを責めることはできないでしょう。

そして、さらにもう1つ、ご主人の最期を看取られるだろう奥さんには、ぜひ考えていただきたいことがあります。それは多くの場合、去って行く者は残される者に、何かを伝えようとしている、ということです。言葉を替えれば、人は残される家族や友人にプレゼントを残して去って行くのです。人は誰しも自分のためだけに生きているのではなく、他の人たちを生かすために自らも生きています。もちろん、人生の最期にあたっても、そうした人の生き方は変わるものではありません。

もっともプレゼントの中身は様々で、病気と闘う姿をメッセージとして残すこともあれば、自分らしく淡々と生きる姿を伝えるということもあるでしょう。また、ご家族がそうしたプレゼントにすぐには気づかず、後になって自らが病気になった折りなどに、「あの人はこんなことを伝えたかったのだな」と、気づかされることもあるでしょう。プレゼントというのはそういうものなのです。

気をつければプレゼントを見つけられる

では、質問のケースはどうでしょうか。

質問の文面から拝察すると、がんを患っているご主人は、ご家族思いの優しい人柄の持ち主のようです。おそらくこれまでも、様々な歓び、楽しみをご家族で分かち合ってこられたことでしょう。と、すると、がんが見つかってからも、奥さんや2人のお子さんに大切なプレゼントを用意されているに違いありません。ただ、今の段階では、ご家族の「病気と闘って欲しい」という気持ちがかち過ぎて、ご主人の優しさに気づいておられないのではないでしょうか。

前にも言ったように、去っていく人が残していくプレゼントは人によって様々です。

例えば、そのなかには、ともに時間を過ごすということも含まれます。例えば近場でもいいから、夫婦水入らずで旅行に出かけるというのも、かけがえのない思い出になるでしょう。

また、どこかに出かけたりしないでも、同じ部屋で打ち解けた空気の中で、ともに時間を過ごすというのも、残される人にとっては大切なプレゼントになるものです。そのときはそうと感じなくても、後になって、そうした思い出のかけがえのなさが痛感されることでしょう。

質問者である奥さんには、そうしたことを踏まえた上で、もう一度、ご主人の態度や行動を見直していただきたい。そうすれば、きっと「そう言えば」と、ご主人のさりげない優しさに満ちたプレゼントを見つけられるように思います。もちろん、時間が経過して、ご家族に心の余裕ができてくれば、自然に、ご主人の気持ちに気づかれることでしょう。こうして質問をされていることでも、奥さんがご主人を理解したいと願っていることは察せられます。

ただ残念ながら、残された時間は限られています。その時間をより充実したものにするためにも、今一度、ご主人の振る舞いを振り返っていただきたい。そうしてご主人からの大切なプレゼントを確かめていただければと思います。

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