がん哲学「樋野に訊け」 20 今月の言葉「最優先するのはいちばん大変な人の声」

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学講座教授
取材・文●常蔭純一
発行:2018年3月
更新:2018年3月

  

植物状態の義母が不憫に思えてきた

N・Sさん 60歳女性/主婦/東京都立川市

 今年、90歳になる義母は数年前に見つかった肺がんが全身に転移し、排便はもちろん食事もできない状態です。さらに少し前からは認知症も進行し、嫁である私はもちろん、実子である夫も認識できていない様子です。病院ではすでに治療の術(すべ)がないために、自宅で在宅医療のお世話になっていますが、常に意識が朦朧(もうろう)としており、無表情でただ、ベッドで横になっているだけという状態です。

もっとも夫は、そんな状態でも少しでも長生きしてもらいたいと思っているのでしょう。経営している会社には、毎日、2~3時間、顔を出す程度で、それ以外の時間は義母に付きっきりの状態です。そうして母親に付き添う夫の気持ちもわからないではありません。でも、私はベッドを直したり、排尿、排便の世話をしながら、植物人間のようになってしまった義母を見ていると、そうして半ば無理矢理に生かしていることが本当に本人のためになっているのだろうかと考えてしまいます。

もっと正直にいうと、そろそろ楽にしてあげてもいいのではないかと思ってしまうのです。そのことを夫と話したことはありません。そう言うと、おそらく夫は私を「情のない冷たい人間」と、非難することでしょう。でも、私たちにも私たちの人生があるし、その前に、命を長らえさせることだけに意味があるとも思えません。そんなことを考える私はやはり薄情な人間なのでしょうか。

「死」に対する心構えが定まっていない日本人

ひの おきお 1954年島根県生まれ。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部長を経て現職。2008年「がん哲学外来」を開設、全国に「がん哲学カフェ」を広める。著書に『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)など多数

 日本人はいい意味でも悪い意味でも「死」に対する概念がきわめてあいまいで、死に対する心構えも定まっていません。そのせいでしょう。家族の誰かが死に瀕したような場合は、他の人たちは右往左往するばかりでどうすればいいかわからない、また、対処の仕方について、家族の間で意見が分かれるようなことが少なくありません。質問のケースも大きな視点で見れば、そうしたケースの1つといって言いでしょう。

質問の内容だけでは、患者さんである母上がどのような状態なのか、今ひとつ正確なところはわかりません。ただ、食事も自力では行えず、意識も朦朧とした状態で、周囲の人たちと意思の疎通もできていない、ほぼ植物人間に近い状態であることはわかります。さまざまな医療的な処置によって、辛うじて命がつなぎとめられている状態といって言いでしょう。

この問題を考えるうえで、1つのポイントはこの状態をどう判断するか、ということです。しかし、現実にはこれがとても難しい。本人が生前、例えば「延命治療を拒否する」といった、意思を伝えている場合なら、対処の仕方は自ずから明らかでしょう。

しかし、そうでない場合は、家族に判断が委ねられることになる。と、すると、当然ながらなかなか結論は出てこない。現実を言うと、安楽死は一切、認められていません。そのため一定期間、延命治療が行われた後に、家族と医療者の間で「そろそろいいのでは」と、話し合いが行われて治療が打ち切られ、静かに死に向かっていくというのが最もよくあるケースでしょう。これは一般的に尊厳死と考えられていますが、消極的安楽死と言ってももいいでしょう。

質問のケースでは、そうした死に向かうまでの期間がいたずらに間延びしているようにも思えます。そのために、主たる介護者である質問者に疲れが現われているのではないでしょうか。「このままでいいのか」と、疑問を感じ始めておられるのも、そのことが作用しているように思われます。

大変な人の声に耳を傾ける

さて、ではこの問題をどう考えればいいのでしょうか。

すでに述べたように、まず第1に考えなければならないのは、患者さん本人の意思でしょう。しかし、それが不明確な場合には、家族に判断が委ねられることになる。では、その場合は家族のなかの誰の考えが優先されることになるのか。その答えは明確です。

そこには血縁も利害関係も介在しません。今、もっとも大変な思いをしている人の意見こそが最も重視されるべきなのです。この場合で言えば、N・Sさん自身の考えが最も優先されるべきなのです。

質問では、ご主人も患者さんに付き添っておられるとか。しかし、現実にさまざまな処置を行っているのは、奥さんであるN・Sさんであることもわかります。ご主人は、付き添ってはいるものの、介護の主体には到底なり得ていないことでしょう。これは一般論ですが、こうした場合に男性はほとんど役に立たないものなのです。

さて、ではN・Sさんの立場になるとして、どう、この問題に対処すればいいのでしょうか。

私はその1つの方法として、自宅での介護をあきらめて、母上を施設に預けるということを考えてみてはどうかと思います。家族間での介護というのは、どうしても感情が働きがちで、難しい面が出てきます。それならいっそ、その分野のプロに任せてしまうほうがスッキリするのではないかと思うのです。

そういうと、ご主人は「どうしてそんな冷たいことが言えるのか」と反発するかもしれません。しかし、それは介護の現実を知らない人の無責任な言葉です。だいたいがこうしたケースで、「本人がかわいそう」などとクレームをつけるのは、遠くから訪ねて来た親戚など、現実に直面していない人たちです。

もし、ご主人に反発されれば、N・Sさんが日々、母上のためにやっていることを列挙して、納得してもらえばいいでしょう。それでも理解してもらえなければ、何日か、ご主人に役割を交代してもらうという手もあるでしょう。

ただその場合でも忘れてはならないのは、後に悔いが残らないようにするということです。「あのとき、こうしておけばよかった」と、悔いを残すと、それが後々、夫婦の関係にも影響を与えかねません。禍根を残さないためには、とにかく現在の状況に全力でぶつかることです。

今、N・Sさんにできることは、ご主人と話し合うということでしょう。将来に災いの種を残さないためにも、全力でご主人にぶつかって、全力で話し合ってみてください。そのためには、N・Sさん自身が母上の介護についてどうしたいのか、さらに将来にわたって、ご主人とどんな暮らしを送っていきたいのか。まずは自分の考えをしっかりとまとめておく必要があるでしょう。

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