がん哲学「樋野に訊け」 21 今月の言葉「人生とは与えられたプレゼントである」

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学講座教授
取材・文●常蔭純一
発行:2018年4月
更新:2018年4月

  

限られた余生、1日1日を大切に生きたい

Y・Tさん 71歳男性/無職/東京都

 昨年秋に古希を迎え、体力の低下が気になったこともあり、数年ぶりに市の健康診断を受診しました。すると肺のX線検査で異常が見つかり、さらに専門の病院の検査で進行肺がんとの診断が下されました。担当の医師の話では、現段階の症状はステージⅡBとのこと。すでにリンパ節にがんが浸潤していることを考えると、脳や骨に微細な転移があってもおかしくないということです。

その診断を聞き、最初は何で自分が、と、暗澹(あんたん)たる思いに駆られました。しかし、今は人生なるようにしかならない。流れに身を任せながら、その中で精いっぱい生きていけばいいと、少しは達観した思いを持てるようになりました。

そして、そうしてこれまでの自分の生き方を振り返ってみると、ただ漫然とその場しのぎのような日々を続けてきたような気もしています。病気のことを考えると、私に残されている日々には限りがあるでしょう。ぜめて人生最期のひと時を1日1日、大切にして生きていきたいと思っています。

では、そのためには何を生きる指針とすればいいのでしょうか。何か、大きな目標を持つようにすればいいのでしょうか。人生を充実させたいと願いながらも、そのためにどうすればいいのか、わからずに困惑しています。晩年を生きていくうえでのヒントをいただければ幸いです。

外に出て出会いを求める

ひの おきお 1954年島根県生まれ。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部長を経て現職。2008年「がん哲学外来」を開設、全国に「がん哲学カフェ」を広める。著書に『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)など多数

 私が主宰している「がん哲学カフェ」でも、同じようなことを口にするがん患者さんが少なくありません。がんになって、初めて、立ち止まって自らの人生を振り返ってみたところ、ただただ気忙しく、落ち着きのない日々を送っていたと感じた。

これからはゆったりとした本当の意味で充実した日々を送りたいというのです。おそらく、こうした思いは、がん罹患の有無にかかわらず、その人に訪れていたことでしょう。

たまたま、がんがそう思い至る契機として作用したとみるべきかもしれません。

そして、そうした人たちは、遅かれ早かれ、それまでの自らの人生を虚しく思うようになっていたことでしょう。

さて、それでは実際に残された人生を充実させるためには、どうすればいいのでしょうか。これまでこの項で繰り返し、言っていることですが、何より大切なことは、人には誰しも与えられた役割があるということです。その役割を理解し、その役割を全うすることに日々の目標を置くようにすれば、自然に人生は生き生きと充実したものに変わっていくのです。

では、どうすれば、その役割を見つけることができるのでしょうか。そのためには自分を解放して、積極的に外に出ていくこと。そうして他の人たちとの出会いの機会を広げていくのです。

ここでいう「外に出る」という言葉は、物理的に外に出ることを意味しているわけではありません。

もちろん、外に出てボランティア活動にかかわってみる、趣味のサークルなどに参加するといった手立ても有効ですし、私が主宰している「がん哲学外来・カフェ」に足を運んでみるのもいいでしょう。そこでゆったりお茶を飲みながら、時間を過ごしているうちに、自分が求めている何かを発見できるかもしれません。

もっとも、外に出るというのは一種の比喩で、実際には家の中にいてもいいのです。例えば、それまでは読まなかった傾向の本を読み始めてみる、家族との対話を深めて、それまでは気づかなかった奥さんや子供たちの生き方にふれてみる、といったことでも構いません。要は自らを白紙の状態にして、視線を外に向ければいいのです。

そして、そうして視線を外に向けていると、ある日、突然に自分を必要としてくれている場があることに気づかされるものなのです。

そこで自分の持てる力を発揮することこそが、与えられた役割を全うするということなのです。そうして、その人の人生は活気と充実感に満ちたものになっていく。

こどものように無邪気に人と接する

ただ、その過程で知っておきたいこともあります。

それはすでに述べたことですが、心を「白紙の状態にして」外に向かっていくということです。あらかじめ何かを得ようとして、人と接しても、何も得ることはできないでしょう。心を無にして虚心坦懐(きょしんたんかい)に、言葉を替えれば、こどものように無邪気な気持ちで人と接するようにする。

そうして興味を魅かれたことはどんどん深めていくようにすればいい。その過程で面白いように人とのつながりが広がっていくでしょう。そして、その間に、自分の役割というものも理解できるようになるのです。

それが実際にどんなものなのかは人によって違っています。ある人の場合は、その役割は自分にとって最も身近な家族を支えるということかもしれないし、また、ある人にとっては、自分より弱い立場の人たちをサポートするということかもしれません。

ただ、1つ言えるのは、それはその人にとっては思いがけない意外なところに潜んでいるということです。それまでの人生では、振り向きもしなかったようなところに、その人が生きていくうえで、最も大切な事柄が隠れていることが多いものなのです。

人生の真実とは、実は「ごみの山の中」に隠れているものなのです。

ともあれ、そうして自分の役割を見つければ、その人は人生の何たるかを発見することになるでしょう。それは自分が他の人たちによって生かされているということです。

別な言葉にすれば、人生というものは与えられたプレゼントのようなものだということです。そして、そのことがわかると、自らも他の人たちにプレゼントを残したい、と思うようになる。自分に与えられた役割を全うするということは、プレゼントを人に残していく、ということでもあるのです。

自分が人にどんなプレゼントを残すことができるのか。そう考えれば、何だかワクワクした気持ちになるのではないでしょうか。ひょっとすると、そのワクワクした気持ちが「人生の充実感」へと発展していくのかもしれません。人から何を得るか、ではなく、人に何をプレゼントすることができるのか、を考えることが晩年の人生を充実させるうえでのポイントと言えるのかもしれません。

同じカテゴリーの最新記事

  • 会員ログイン
  • 新規会員登録

全記事サーチ   

キーワード
記事カテゴリー
  

注目の記事一覧

がんサポート4月 掲載記事更新!