腫瘍内科医のひとりごと 68 「オオカミ少年」

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
発行:2016年8月
更新:2016年8月

  

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

Oさんは会社の部下から「仕事では鬼のように怖い」と言われ、一方ではとても面倒見がよく、慕われていた方でした。

定年後は、関連会社に勤め、料理と日本酒、和服が趣味。高校野球では、母校の部の先輩として夢中になって応援しておられました。

65歳になられたとき、健診で、血液の異常タンパクを指摘され、私の外来に来られました。IgGという免疫グロブリンが正常の3倍も高く、多発性骨髄腫という診断がつきました。

入院して、4日間の抗がん薬点滴を行う標準的治療が行われましたが、その効果は全く認められず、「このまま病気が進行したら、数カ月の命が予想されます」と厳しい予後(余命)が、本人、家族に告げられました。

しかし、Oさんには全く自覚症状はなく、外見上も元気そのものに見えました。淡々とされていましたが、「数カ月の命」と告げられたOさんのお気持ちは如何ばかりであっただろうと思います。

仕方なく、外来で抗がん薬内服の治療となりました。しかし、この弱い治療が予想を上回る効を奏し、次第に異常免疫グロブリンは減り、2、3年間は平穏に経過しました。

Oさんは、仲間や以前の部下に、ことあるたびに「俺はもうすぐ死ぬ」「俺は近く死ぬ」と話していました。その言葉と、元気さのギャップにみんな驚いたそうです。

そうして4年、5年と過ぎた頃、Oさんは「友人からオオカミ少年と言われるようになりました」と私に話されました。

私は「うーん、そうか。そうだよなー」と答え、2人で笑いました。

不死身だから……

そのころから、次第に貧血が進み輸血が必要となり、異常免疫グロブリンは再度増加してきました。Oさんは、いつも輸血後、帰る前に、淡々と、直立して「はい、大丈夫です。気をつけます」と話されます。

しかしながら、夏になると「実は先週の暑い日、野球場に応援に行って来ました」と話されるのです。夏の炎天下、どんなに止めても、その行動は続きました。Oさんの病状では、脱水、熱中症は、最も避けなければならない、死に至る危険がありました。

しかし、Oさんには奇跡的に何も起こりませんでした。その後、新しい分子標的薬など試されましたが、期待される効果は出ませんでした。

輸血が頻回となり、白血球数は著しく減少し、発熱による入院、抗生剤治療を何回も繰り返しました。

入院は嫌いで、いつも数日で退院され、仕事に行かれました。

暮れのある日、高熱となり、駅で倒れ緊急入院されたとき、Oさんは「今度こそもうだめかもしれない」と話されました。

私は「Oさんは不死身だから」と答えると、ニコッと笑顔を返されました。

その日、Oさんは友人に「僕はあと3日で死ぬ」と連絡されました。

驚いた友人たちは病室を訪ね、私に「本当に3日の命ですか?」と尋ねられましたが、私は「Oさんは不死身だから」と答えました。

正月は自宅で過ごされました。きっと羽織袴姿で、日本酒を片手に、友人の訪問を待っていたのではないかと思いました。その3カ月後、自宅近くの病院で亡くなられました。

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