腫瘍内科医のひとりごと 76 「高倉健さんに似たAさんと桜」

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
発行:2017年4月
更新:2017年4月

  

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

Aさん(85歳男性)は6年前に肝臓がんの手術を受け、その後ひとり暮らしでした。

今回は食事が摂れなくなり、ある病院に入院しました。超音波の検査で肝臓に大きな腫瘍が見つかりましたが、本人は「それ以上の検査はしない、医療的な処置は望まない」とされ、息子さんも同意されて介護の施設に移ってきました。

施設に入ったときから、ほとんど話はせず、コーヒー、お茶は飲みますが食事は摂れませんでした。利用者がたくさん集まるデイルームに行くのを拒否し、血圧を測るのも嫌がっているようでした。

私は診察を依頼されて、Aさんの個室に伺いました。

Aさんはぎょろりと斜めに私をにらみつける感じでした。話しかけても答えはなく、診察をしようと近づいた私を手で払い退けようとされました。ふと40年も昔、映画館でみた、若い頃のやくざ役の高倉健さんを思い出しました。私はそのときは、「じゃあ、また来ます」と言って部屋を出ました。

その後、部屋に伺ったときは、車いすに乗って窓の外のビルを眺めているか、ベッドで横になっているかで、何も話されず、診察を拒否する態度は変わりませんでした。

食事はほとんど摂れず、点滴も拒否され痩せていかれました。息子さんはこの状況を理解されていました。

あるとき、私はD看護師さんの前で「介護士や看護師さんは、コーヒーを持ってきてあげること、身体を綺麗にする、いろいろあるけど、私はなにもやってあげられないな」とつぶやいたことがあります。そのときD看護師さんは頷いただけでした。

桜の季節がまためぐって

3月の末日になって、施設の玄関正面にある大きな桜が満開となりました。

1階玄関からは見上げる、2階フロアからも少し見上げる、3階からはほぼ正面、そして4階からはやや見下ろす。どの階から見ても視界はすべて花で埋め尽くされ、息が出来なくなるような見事さでした。

私はふとD看護師さんに、「Aさんが車いすに乗っているときに、さっと車いすを押して、玄関前の桜を見に連れていって欲しい。嫌がるかもしれないが、わずかだけでも……」とお願いしてみました。

D看護師さんは早速、Aさんが乗っている車いすを、さっと1階に運び、桜の木の前に連れていきました。Aさんは桜をしばらく見てから、「寒い」とひとこと言ったそうです。

翌日、私が玄関前を通りかかると、車いすに乗ったAさんとD看護師さんがロビーから桜を見ていました。そして、Aさんは私を見つけると手を挙げ、初めて見る笑顔で握手を求めてきました。私はとても嬉しくなりました。

次の日からはAさんの部屋に入ると、話はされませんが、私に手を振ってくれるようになりました。それから約1カ月後、血圧が低下して意識がなくなりました。駆けつけた息子さんが「お酒を飲ませたかった」と言われ、意識のないAさんの唇をガーゼに浸したお酒で濡らせました。

あれから1年、今年もまたその桜が空を埋め尽くすほど咲きそうです。その中でAさんが笑っているような気がしています。

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