腫瘍内科医のひとりごと 86 「やりたいこと、3つ」

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
発行:2018年2月
更新:2018年2月

  

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

「手術無事に終わりました。ご心配いただき、本当にありがとうございました。私ばかりなぜ? とつい考えてしまいますが、こうして連絡をいただき本当に嬉しいです。(中略)私のなかでやりたいことはあと3つ。さんざん心配かけた両親をきちんと看取ること。孫の顔をみること。ボランティアをすることです。こんな体では無理でしょうか」

Fさん(58歳、主婦、乳がん)からいただいたメールです。

 

 

 

40年以上前の患者さん

最初にお会いしたのは、確かFさんが16歳、血液のがんで入院されたときでした。

抗がん薬の種類も少なく、今のように嘔気(おうき)嘔吐(おうと)などを軽減する薬剤もありませんでした。両親と医師、看護師(当時は看護婦)がFさんに、我慢するように説得し、いわば無理矢理治療しました。

Fさんはそれでも一生懸命に耐えに耐え、そして当時としては運良く完全寛解(かんかい)となりました。5年以上経って、再発なく完治し、その後通院されなくなりました。それが、まさか、20年以上経ってから、乳がんになるとは思いもよりませんでした。

私の何台か前のパソコンが壊れてしまって、そのときのメールは探せないのですが、Fさんは、乳がんの治療では温存手術、化学療法、放射線治療、ホルモン療法と大変だったのですが、それでも頑張り克服されました。

その頃、Fさんから「息子がサッカーで全国大会を目指して頑張っている」という元気なメールもいただき、私も嬉しくなりました。

そして、それから10年経って、今回は2度目の乳がんなのです。10年前とは違った組織型の乳がんでした。

それでも今回、頂いたメールには「私ばかりなぜ?」と、そして、これからも不安を持ちながら、これからやりたいこと3つが書かれていたのです。

「さんざん心配かけた両親をきちんと看取る」

そうだよね! ご両親には本当に心配をかけてきましたよね。でも、Fさんが悪いのではないのです。

「孫の顔をみる」

息子さんは立派に成人され、Fさんはもうそんな年になったのですね。あの若かったときのFさんのことを思い出すと、孫の顔をみるなんて想像もつかないのですが、そんな幸せがきっと来ると思います。

そしてやりたいことの3つ目は、「ボランティアをすること」でした。

ボランティアは自分も救われる

Fさんが超長年、病気と闘って、闘って、何回も落ち込んで、それでも復活して、それで言える言葉だと思いました。私はピアサポートという言葉が、勝手に頭に浮かびました。がんの患者さんであった方が、がん患者さんの相談を受けるのです。

もし、Fさんが相談役ならば、あなたの超たくさんの経験から、今、がんで悩んでいる患者さんには、とても勇気づけられると思うのです。もしかしたら神様が与えた天命なのかも知れません。

同じがん患者として、誰よりもわかってくださる、理解者になれる。本当に悩んでいる患者さんはどんなに助かることでしょう。医師や看護師にはとても出来ないことです。

ボランティアは、自分が他人に役だっているだけでなく、逆に自分自身が救われる、自分の心が幸せになれることなのだと思います。

Fさん、これからも必ず応援しています。

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