腫瘍内科医のひとりごと 99 毎朝の歌「朝のひととき・早春賦」

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
発行:2019年3月
更新:2019年3月

  

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

私たちの病院でのことです。がん患者さんの多い病棟の廊下のコーナーで、月曜日から金曜日まで毎朝、患者さんの歌声が響いていました。

通算10年以上、2009年3月31日まで続きました。朝8時半頃から体操が始まり、45分から15分歌います。他の階、病棟から30人ほどの患者さんが毎朝集まっての会でした。

1993年、私の後輩で消化器内科のI医師が、お正月でも自宅に帰れない患者さん数人を集めて歌ったのが始まりでした。事務のAさんがその週に歌う4曲ほどの歌詞を印刷してくれ、集まった方に配り、ウクレレで伴奏してくれました。あちこちの病棟からも患者さんが集まるようになり、ある週では150部印刷しても足りないこともあったようです。

1995年末にI医師は故郷で開業されることになり、この歌の会を安心して続けるには、傍に医師がいる必要があるとの相談を受け、歌が大好きな私は、I医師の後を継ぎました。私は当時、化学療法科(現腫瘍内科)の部長だったと思います。

毎週、毎週続きました。ある地方から来られた男性患者さんは食道がんで手術後、放射線治療で2回目の入院でした。以前、一緒だった患者さんと再会され、うれし涙で「ふるさと」を追加リクエストして歌っていました。

入院期間が長かった時代ですから退院が決まった喜びの方、以前同室で亡くなった方への鎮魂、点滴を引きずってエレベータを乗り継ついでの方、1人ひとりの思いは違います。同じなのは皆さん歌が好きな方たちでした。あるときは患者さんの家族がプロ歌手で、朝早く来て加わったこともありました。

どこで聞いたのか、一度NHKのラジオで全国に流れたこともありました。ジャパンタイムズに英字で紹介されたこともありました。

ある年の病院内のテーマ別改善運動発表会では、サークル名「早春賦(そうしゅんふ)」で最優秀賞となり、東京都衛生局から「特別賞」もいただきました。

病気と闘い、泣いて笑った「歌う仲間」

時代は大きく変わって、大病院では包括診療報酬制度となって、多くの検査は外来で行われ、入院期間はとても短くなりました。

がん診療連携拠点病院では、相談支援センター、患者サポートセンターなどができてきました。多くの病院で、イベントとしてクリスマスコンサートなどのコンサートが計画され、また、がん種によっては患者会などもできました。

今は、あの時代からは、はるかに進んだ、良い医療が出来ているのです。しかし、患者が中心となって、患者が自主的に集まって歌う会は他にはあまり聞きません。

今は、クリニカルパス(入院診療計画書)というスケジュールに沿って短期間で退院する、そういう時代です。このような歌の会は、とても復活は無理なのですが、何かとても大切なものを失ったような気もしています。

事務のAさんが「再開するときのために」と、残してくれた歌詞集が私の手元にあります。

〝ノスタルジア〟と笑われそうですが、偶然、知らない患者同士が一緒に歌う、「ふるさと」「里の秋」「みかんの花咲く丘」「あざみの歌」……。歌った曲目は658曲です。

病気と闘い、泣いて、笑った「歌う仲間」があったのです。

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