腫瘍内科医のひとりごと 100 ある緩和病棟でのこと――死ぬ覚悟

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
発行:2019年4月
更新:2019年4月

  

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

あるがん遺族の会報で、とても気になった投稿がありました。

それは、緩和病棟に入院したお母様のことでした。

「苦しんで逝かせてしまいました。
……(母は)死ぬことを恐いと言い、呼吸ができなくなりそうだったときも死の影に怯えていました。それなのに、死ぬ覚悟は折にふれ求められました。
……患者は生きたいと思っているのに医療スタッフは死ぬ覚悟を迫る。
……〝生〟の感覚に乖離(かいり)があるように思えてなりません。
……患者の揺れる気持ちをくむのは家族でさえ難しいことです。でも、がんとわかって治療をするのは何故なのでしょうか。苦しい息の下であっても『生きたい、乗り越えたい』と思っているかも知れません。『助けて』というのは生きるためではないでしょうか。
私は母の最後に『ごめんね』と言いました。〝死〟とは奪われることでしたが、私はそれで終わっていいようには思えませんでした」

私は、この投稿を読んだだけで、実際の状況を知りません。どこの病院かもわかりませんし、緩和病棟のスタッフの意見も聞いていません。

しかし、ご遺族は、数年過ぎた今でも、緩和病棟で「母は死ぬ覚悟を迫られた」と悩んでおられるのです。

緩和病棟とは、がんの治療をするところではなく、心身の苦痛を除く所、そしてそこで亡くなる方もおられるのです。緩和病棟スタッフは、「死ぬ覚悟が出来ている」ことで、安らかな死、良き死を迎えられると考え、患者をそのように導こうとしていたのではないか? しかし、そのことが逆に患者とその家族を苦しめているのだ。

死の覚悟を押しつける緩和病棟スタッフ

以前、私が看護師の研修会で、緩和ケアについて講義したとき、あるホスピスに勤める看護師から、こんなレポートをもらったことを思い出しました。

「ホスピスケアは身体症状を除去するだけではない。死の受容ができずにホスピスに来ているからこそ、『死の受容について』アプローチせざるを得ないのだ。自分の人生の総まとめができるように関わることは……良き死が迎えられるために大切な関わりでもある。患者・家族が生きる希望を持ち続けることは自由である。しかし、ただ、生きる希望を支えるだけでいいのだろうか? 傷口に触れずに最期までみるのは簡単だが、それでもなお踏み込むことの意味を考え、必要な介入であればそれによる影響も覚悟し、気持ちの変化につき合う、支える覚悟を持って我々は関わっている」

きっとこの看護師も、ホスピスで患者に「死の受容」を迫っているのかもしれない。

患者は、それぞれ違う人生を歩み、緩和病棟で最期を迎えるときは、つらいことが少ないように、よく看てもらいたい。衰弱していて医療者には逆らうことも出来ないのだ。

「生きたい」と思いながら亡くなったとしても、死を受け入れ、覚悟して亡くなったとしても、死は同じ死ではないか。

医療者が良き死を考えるのは自由だし、まだ患者が元気なときに議論するならわかるが、死が迫っている患者に、死の覚悟を押しつけるのは言語道断だ。

日本の多くの緩和病棟では、このように「死の覚悟」「死の受容」を迫ることはないと思っています。

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