腫瘍内科医のひとりごと 106 安楽死に思う

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
発行:2019年10月
更新:2019年10月

  

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

7月の選挙で、安楽死制度を考える会は「自分の最後は自分で決めたい。耐え難い痛みや辛い思いをしてまで延命をしたくない。家族などに世話や迷惑をかけたくない。人生の選択肢の1つとしてあると『お守り』のように安心」と書かれていました。

スイスに行って安楽死をされた方をNHKは密着取材し、医師が点滴の中に致死薬を入れ、そのストッパーを患者自らが外(はず)して、亡くなられる瞬間をテレビで放映しました()。取材したスタッフは、亡くなる瞬間をどう思って撮影していたのでしょう?

もし、私がそこにいたら止めさせていたと思います。安楽死を許している国、許さない国がありますが、その死に医師が手を貸す、殺人なのです。

「医者というのは、人間の社会から、殺害するために任命されたのでしょうか。医者が任命されたのは、できる限り命を救い、できる限り助け、そしてもう治せないときには看護するためではなかったでしょうか」

これは、ヴィクトール・E・フランクル()の言葉です。

生きていくのに迷惑をかけてもいい社会を

安楽死制度を考える会は、「耐え難い痛みや、つらい思いをしてまで……」と言います。しかし、現代は緩和医療の発達で、肉体的な痛みをコントロールすることが出来るようになりました。

もし、死を前にして、どうしても苦しいときには、セデーション(鎮静)と言って意識の低下を継続して維持することも可能です。ですから彼らの言うことは、ほとんど当たらなくなっています。

彼らは、「家族などに世話や迷惑をかけたくない」と言います。

健康な方でも、人は年を重ねるほど、体力は衰え、身体的な苦痛は増えます。頭も衰えてきます。人間、どうしても他人に迷惑をかけることになってくるのです。

日本においては、多くは独居か、一世帯2人です。一方の家族も年老いて、あるいは生計のための仕事で、もう一方の方を世話するのは無理になってきています。長時間ヘルパーさんを雇えるお金持ちは別ですが、家族に迷惑をかけないのは無理になってくるのです。

ですから、施設などを充実させ、社会が面倒をみる。生きていくのに迷惑をかけてもいい社会、そのような社会にしなければならないと思うのです。

「生きていくために迷惑をかけてもいい社会」、「安心して生きていられる」、みんながそう思える社会です。超高齢社会なのに、自分のことは自分でと、「自助」と言われる社会はおかしいのです。

「家族に迷惑をかける、だから安楽死を考える」、それではではあまりに悲惨すぎます。

安楽死は人を殺すことです。ですから、安楽死について議論することもない、安楽死なんていう言葉もない、そういう世の中になって欲しいと思います。

周りと相談して、自分の最後の希望を話しておく(人生会議)ことも必要かもしれません。しかし、本当に死期がすぐそこに迫ったときには、思いが違ってくる。「生きたい」という気持ちが湧いてくる患者さんをたくさん経験しました。人は生物ですからそれも当たり前です。

人は、自分の意思で生まれてきたわけではない。自分で作った体でもない。死を、自分のことだけを考えて決められるのか? 死に対しての自己決定権はあるのか?

人生において「自分のことは自分で決める」それは大切なことですが、人生の最後を自分で決めるのはとても難しいことと思います。

NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」(2019年6月2日放送)
ヴィクトール・E・フランクル=オーストリアの精神科医、心理学者。ナチスの強制収容所での体験を元に著した『夜と霧』は有名

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