腫瘍内科医のひとりごと 111 いのちの繋がり

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
発行:2020年3月
更新:2020年3月

  

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

私は高校生のころ、生意気にも定年が近い父に、「父さんは、人生で何を成したか?」と問うたことがあります。父は国鉄に勤務し、母が結核で長く入院したり、苦労して一家の大黒柱で頑張っていました。

父は、「お前たち、子どもを残した」と答えました。

仕事などの答えを予想した私には意外でした。だから「お前たち、がんばれ」という父の励ましと思っていました。

父は、私の娘、息子が生まれたときは、とても喜びました。

息子のときは、病院からの電話で「おぼっちゃんです」と言われたことを告げると、「おぼっちゃんではわからない。男か? 本当に男か?」と言いました。喜びすぎて、こんなとんちんかんなことを言ったのだと思います。

「DNAが繋がっただけよ」

今から20年ほど前のことです。

Sさん(58歳女性)は大腸がんで、肝臓、骨に転移がありました。2年間の抗がん薬や放射線治療の効果なく、病状が悪化し、緩和病室に入院しました。

ある日、看護師が「Sさん、お孫さんがもう生まれそうと聞きましたよ。お会いしたいですよね」と話しかけたところ、Sさんは「DNAが繋がっただけよ」と言われたのです。きっと、Sさんは孫の誕生どころではなかったのでしょう。

私は、「DNAが繋がっただけ」の答えに、深くは考えませんでしたが、その言葉が妙に忘れられないでいました。

Sさんは残念ながら、お孫さんには会えずに亡くなりました。

「先生、子どもが生まれる予定です!」

約10年前、簱谷一紀氏は、悪性リンパ腫が再発し、奈落に落とされ、死を考える日々を経て、骨髄移植を受けるに至ったことを書かれた著書『体に聞く骨髄移植』(文芸社2009年)を送ってくださいました。

それから、久しぶりに2018年12月に手紙が届きました。

「私はお陰様で元気にしており、病気の再発もございません。そして2年前に結婚して、来月子どもが生まれる予定です! 生きさせてもらえて本当によかったと心から思える毎日を過ごしております」

強い抗がん薬、放射線治療で、子を持つことは諦めていたかも知れないのに、この朗報だったのです。

そして昨年1月末、かわいい女の赤ちゃんの写真を送ってくれました。

簱谷氏は10回も入院を繰り返し、悩み、深く死を考え続けた、その10年後にこのような運命が待っていたとは、誰が想像できたでしょうか。

「お前たち、子どもを残した」

最近は、抗がん薬治療を受ける前に、精子や卵子あるいは受精卵を凍結しておく方がおられます。これはがんが治癒してからの大きな希望だと思うのです。

そして、私事ばかりで恐縮ですが、息子が結婚して7年、子がいないものと諦めかけていましたが、昨年12月に男の子が誕生しました。私の初孫です。

私は毎日、理屈なしの嬉しさ、かわいさで、孫の写真、動画を見ながら暮らしています。

20年前、気の毒なことに、Sさんは初孫に会えませんでした。そして、最後に遺した言葉、「DNAが繋がっただけよ」を思いだすのです。

Sさんはあのとき、もし、がんで苦しい状態でなかったら、初孫に会えたら、どんなに喜んだであろうかと思うのです。Sさんのお孫さんは、今、20歳になるのだと思います。

子や孫はDNAが繋がっただけなのかもしれないのですが、この弾むような気持ちで、父の「お前たち、子どもを残した」がわかる気がしています。

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