腫瘍内科医のひとりごと 112 乳がんと故郷の風穴

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
発行:2020年4月
更新:2020年4月

  

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

Sさん(43歳女性)は、首都圏の短大英文科を卒業し、いまは新薬治験などの登録・統計を扱う小さな会社に勤めています。これまで恋愛することはなく、魅かれる男性もなく、独身です。趣味は映画鑑賞で、日曜日はひとりでよく出かけ、とくに不自由なく過ごしていました。

東北の田舎で農業を営んでいた両親は、60代で脳出血、心筋梗塞で亡くなり、弟が家を継ぎ、結婚して田畑をやってくれています。

ある日、検診で乳がんと診断され、某病院の乳腺外科で、左乳腺と腋窩(えきか)リンパ節郭清(かくせい)の手術を受けました。大きさ3cmの乳がん、リンパ節転移があって、ステージⅡBの診断でした。

退院後に、抗がん薬治療を3週間に1回、計4回受けました。前もって髪を短く切り、ウイッグを準備したのですが、抗がん薬開始1カ月後から、ごっそり抜けだしたのには驚き、とても憂鬱になりました。しかも、ホルモン薬は10年間も飲むのだそうです。

私の人生に何か意味があるの?

毎日、鏡を見ながら大きな傷痕をシャワーで洗い流していると、情けなくなって涙が出てきました。

「今までの人生で何か、いいことあった? 勉強はクラスで中くらい、運動会はいつもびり、独り身で、子どもはなく、乳がん。私は何のために生まれてきたのでしょう? 私の人生に何か意味があるのでしょうか?」

会社の上司に病気を打ち明け、抗がん薬治療が終わるまでの4カ月間、休みをもらいました。

ご先祖さまがいて、そして私がいる

最後の抗がん薬治療が終わると、弟に連絡して、久しぶりに田舎に帰ってみました。

お花を持って、弟がお墓に車で連れて行ってくれました。ご先祖のお墓のそばの桜は、わずかに咲き始めていました。

乳がんはステージⅡBだから、そんなことはないと思いながらも、手を合わせて(今度は私がそちら側でお世話になりますので、よろしくお願いします)と、心で父母に言いました。

弟は「久しぶりで、裏山の風穴に行ってみるか?」と誘ってくれました。中学生のときに、遠足で行って以来です。

山のほうへ向かって約30分、途中、新緑が山道を飾っていました。車を降りてしばらく歩くと、一面、緑の大きなくぼ地がありました。中に入って座り、穴に顔を近づけると風が吹いていました。

手術した左手を近づけて、(この腕と胸を清めてください!)と祈りました。

そして、山寺から町一面を見渡してから、山を下って帰りました。

古い家に戻って、仏間でひと息ついたら、欄間にある大きな写真、祖父、祖母、父、母が目に入ってきました。

おじいさんは、川で泳ぎを教えてくれた。おばあさんはままごとで遊んでくれた。お父さんは、私が徒競走でびりになっても、親の競走に出て1位になって私に賞品をくれた。お母さんはいつもお弁当を作ってくれた……。

そう、思い出しているうちに、皆さんが「あなたを守っていますよ」と言ってくれている気がしました。

「そうか、ご先祖さまがいて、そして私がいる。皆さんがいてくれたから、これからの私もある」

4歳になる甥が、「おばちゃーん、御飯ですよー」と大きな声で叫ぶのが聞こえました。

「はーい」と答えながら、東京に戻ったら、担当医にいつ乳房再建の手術をするかを相談しようと思いました。

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